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妖精に愛された少女の行方は誰も知らない  作者: 宵月碧
春:季節はずれのオンシジューム
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episode.8


「──準備はできたのか?」


 ガウラの呼びかけに、しゃがみ込んでアッシュを撫でていたディサは大きく頷いた。


「はい。いつでも出発できます」


 ガウラと二人きりで話したあの夜からまた数日が過ぎ、ディサの脚の怪我はすっかり良くなった。ガウラの知り合いだという薬師の調合した薬は思っていた以上によく効くもので、咬傷の怪我以外は痕も残らず綺麗に消えた。病院に行く必要もなく治ったことに、ディサは心底安堵している。


 アッシュに噛まれた傷だけは少し痕が残りそうでガウラには謝られたが、ディサはまったく気にしていない。この傷痕を見る度に、ガウラの家での生活を思い出すことができるだろう。


 そうして今日という日に、ディサはお世話になったガウラの家を去ることになった。


 荷物など最初からなかったディサの準備は、この日のためにガウラが用意してくれた服に着替えたことで完了した。森の中を歩いても怪我をしないように、パンツスタイルの動きやすい服を用意してくれたのだ。


 世話になっている間はサイズの大きいガウラの服を借りて過ごしていたので、自分にぴったりの服を着るのは久しぶりだった。ディサより頭一個分以上は背が高いガウラの服は、室内で過ごす分にはシャツ一枚で充分だった。


 ガウラがディサのために服を買って来てくれたことが嬉しすぎて、貰った服を抱き締めてちょっと泣いたのは内緒だ。


「アッシュ。短い間だったけど、いつもそばにいてくれてありがとう。あなたに会えて、本当によかった」


 ディサはぎゅっとアッシュの首に腕を回し、柔らかい毛に顔を埋める。野生の獣の匂いと、仄かに香るお日様の匂い。いつの間に、この匂いをこんなにも好きになっていたんだろうか。

 名残を惜しむようにゆっくりと顔を離すと、アッシュの長い舌がディサの唇をぺろりと舐めた。別れを察したような青色の瞳に見つめられ、ディサは微笑んでからもう一度アッシュの顔に頬を寄せ、その白い毛にキスをする。


「アッシュ、元気で」


 アッシュとの別れの挨拶を済ませたディサが立ち上がると、玄関ドアに寄り掛かって様子を見ていたらしいガウラが、「行けるか?」と一言発した。


「はい」


「じゃあ、もう行くぞ。早めに出た方がいい」


 ガウラがそう言ってドアを開けると、アッシュが先に外へと出て行く。ディサもそれに続き、ドアのところでそっと室内に顔を向ける。もう二度と、この家に来ることはないだろう。僅かな胸の痛みを隠すように唇を結ぶと、ディサは太陽の光が差し込む外へと足を踏み出した。


「少し森を歩くぞ。王都の方からは外れたところに出ることにした」


「え?」


「湖を沿って行けば王都に続く道に出られるが、そっちには行かない。ラグルスにはバスに乗って行った方がいい。王都の乗り場は一目につくから、別の乗り場まで連れて行く」


「バス……でも……」


 思いもよらない提案にディサが目を丸くしていると、ガウラは眉を寄せて表情を険しくした。


「お前……まさか歩いて行くつもりだったのか? 女の足で何時間かかると思ってる。日が暮れるぞ」


 歩く以外の選択肢がなかったディサにとって、ガウラの言っていることの方が驚きだった。


「バスだなんて、考えもしませんでした」


「……なら今考えろ。公道だろうが日が暮れたら女のお前には危険だってこと、少しは頭に入れておけ」


「はい……」


 気の抜けたディサの返事にガウラは顔を顰めたままだったが、諦めたように後頭部を撫でると手にしていた簡易バッグを肩にかけた。


「行くぞ。足元に気を付けろ」


「あ、はい」


「アッシュ、付いて来るなよ。留守番してるか、群れに戻るんだ」


 家の前で落ち着きなくうろうろしていたアッシュは耳をぴんと立てると、その場で立ち止まって二人をじっと見つめた。ガウラの言葉で、どうやら付いて来ることをやめたように見える。


「アッシュはガウラさんの言葉が分かるんですね」


「言葉なんて理解していない。音を聞いている。俺の場合は狼と意思の疎通が図れるから、少し特殊なだけだ」


 狼達がガウラの言葉を分かっているように見えたのはそういうことだったのかと、ディサは歩き出したガウラの背中に尊敬の眼差しを向けた。どうやって互いに理解し合っているのかはさっぱり分からないが、なんだか特別な関係のようで、羨ましく思う。


 ディサは一度後ろを振り返って、家の前でおとなしく座っているアッシュを見た。言葉が通じなくても、ディサの気持ちは伝わっていたと信じている。


「おい、危ないから俺の後ろを歩くようにしろ。あと、蛇は見つけても触るなよ。毒をもつやつもいる」


「き、気を付けます」


 ガウラの家の前は庭のような広場になっていて、日当たりがよく草花が茂っているだけの歩きやすい空間だが、少し先を行けば忽ち木々の立ち並ぶ薄暗い森の中へと入り込む。道という道は存在せず、アッシュ達が通ったと思われるような獣道があるだけだ。


 ガウラはなんの迷いもなく、道なき道を進んで行く。家が見えなくなるところまで歩いた時には見渡す限りのすべてが木々となり、ディサはあっという間に今通って来た道が分からなくなりそうだった。


「ガウラさんはどうして、こんなに広い森で迷ったりしないんですか?」


「どうしてって言われてもな……」


「私はもう、ガウラさんの家がどこにあるのか分からなくなりそうです」


「まだ全然歩いてないのにか。よくそれで森を通ってラグルスに行くとか言えたな」


 笑い混じりのガウラの言葉に、ディサは思わず苦笑した。自分が如何に無謀なことを考えていたか、こんなにすぐに思い知ることになるとは。

 アッシュではないが、この森にいてはガウラの言うことをおとなしく聞いておいた方が良さそうだと、ディサは心に刻み込んだ。



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