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妖精に愛された少女の行方は誰も知らない  作者: 宵月碧
春:季節はずれのオンシジューム
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episode.6


 春の匂いを運ぶ冷たい風が、窓辺に座るディサの頬を優しく撫でた。

 鬱蒼とした森に吹き込む夜風は、まだ少し肌寒い。薄い雲のベールを纏った丸い月がぼんやりと夜空を照らし、様々な虫や動物の鳴き声が、どこからともなく聴こえてくる。


 ディサがガウラの家で世話になり始めて、数日が過ぎた。最初の二、三日は遠慮気味に過ごしていたディサだったが、「過剰に気遣われるのは鬱陶しい」とガウラにはっきり言われてからは、自分の家のようにのんびり過ごすことに決めた。


 床に座るディサの隣では、アッシュが大きな体を横たえて眠っている。背中をディサにくっつけて規則的な寝息を立てるアッシュを見て、自然と口元が緩む。


 ガウラと過ごして分かったことは、狼のアッシュはずっとこの家で生活しているわけではないということだった。基本的にほとんど家には居らず、時々姿を現して、ガウラやディサの近くで寝ていたりする。

 ディサにとって恐怖の対象であったはずのアッシュは、言葉を交わせない代わりに、気付くとそばに寄り添ってくれている温かな存在だと知った。


 ディサは眠るアッシュの体に手を伸ばし、ふんわりとした柔らかな毛に触れる。毛流れにそって脇腹の辺りを撫でると、尻尾が緩やかな動きで床を擦った。


「なんだお前ら、随分と仲良くなったみたいだな」


 背後から聞こえたガウラの声に、ディサとアッシュは振り返る。夕方から外出していたガウラが帰宅したことで、ディサはアッシュと共に立ち上がって笑顔を向けた。


「ガウラさん、おかえりなさい」


「ああ。飯は食ったのか?」


「はい。でも、アッシュはまだです」


「アッシュはいい。自分でなんとかする」


 ガウラがそう言って玄関のドアを開け放つと、外を徘徊する獣の荒い息遣いと足音が室内まで聞こえてきた。複数の獣がドアの付近を歩き回っている気配を感じて、ディサははっと息を呑む。


「アッシュ、アルダー達が迎えに来てるぞ。ここはいいから、狩りに行ってこい」


 ガウラの言葉を理解しているかのようにアッシュは尻尾を揺らしながら玄関まで向かうと、外から家の中を覗き込む別の狼と鼻を突き合わせて匂いを嗅ぎ合う。どこか嬉しそうなアッシュの様子に、ディサは自分を襲って来た複数の狼の存在を思い出し、彼らがアッシュの仲間なのだと気が付いた。


「どうやらアッシュにはかなり気に入られたみたいだな。俺の留守中は、お前のことが心配でここにいたようだ」


「え……そうだったんですか。そういえば、ガウラさんが出掛けたあとにアッシュが来ました」


 ガウラの留守中にアッシュが掃き出し窓からひょっこり姿を見せたのは、ディサに会いに来たからだったのだと分かると、なんだか嬉しくなる。


「他の奴らにも会ってみるか? 俺がいるから、襲ってくるようなことはない」


 ガウラからの突然の提案にディサが戸惑っていると、言葉を返すよりも先に二匹の狼が互いを押しのけるようにして室内へと入ってきた。更にもう二匹が後に続くと、ディサは慌ててガウラの後ろに隠れるかたちで回り込む。


「ガ、ガウラさんっ……!」


「大丈夫だから、落ち着け」


 落ち着けと言われたところで、アッシュを含めて五匹の狼が室内にいるのだ。床の匂いを嗅いだりガウラの後ろに隠れているディサの匂いを嗅いだりしながら、玄関からリビングまでをうろうろしている。

 アッシュに慣れたばかりのディサにとっては、狼がディサに抱く好奇心のようにはいかない。室内を埋める圧迫感は、ただただ恐怖でしかない。


「アルダー」


 ガウラが低い声でそう呼ぶと、五匹の中で一番大きな灰褐色の狼が、すかさずガウラに飛び掛かった。


「こいつはアルダーだ。群れのリーダーで、アッシュの父親だ」


 牙を剥きだしにしてガウラの手に甘噛みしようとしているアルダーを上手くあしらいながら、ガウラは別の狼を顎で指す。


「で、アッシュに似てる白いのが母親のエルダー。アッシュを含めた三匹は、この二匹の子どもだ。狼は基本、血縁で群れを作る。一夫一妻制で、つがいを大事にする生き物だ」


 ガウラの後ろに隠れていたディサは、室内にいる狼を恐る恐る見渡す。今もがうがうと唸り声をあげてガウラにじゃれついているアルダーを見て、目を瞬いた。


「まだ怖いか?」


 上からかかった声にディサは控えめに頷き返すと、思わず掴んでしまっていたガウラのシャツから手を離した。


「でも……アッシュの家族なんだと思ったら、さっきよりは……平気そうです」


「ふーん。まあ、アッシュは群れの順位では三番目くらいか。この中で襲われても守ってくれるかもな」


「こ、怖いこと言わないでくださいっ……」


「冗談だよ」


 意地悪く目を細めて笑うガウラを、ディサは不満げに見上げた。優しいのか意地悪なのか、よく分からない。


「他の二匹も、名前があるんですか?」


「ああ。一番体の小さいのがヘーゼル。その横にいるのがオークだ」


 リビングをうろついている二匹を指しているようだが、正直ディサには毛色の同じ灰褐色の狼三匹を区別することは難しそうだった。よく見ればそれぞれ違うのだろうが、ガウラのように一目で区別することはできそうにない。


「別に覚えなくてもいいぞ。森を出れば、もう会うこともないからな」


 そう口にしたガウラの言葉に、深い意味などないのだろう。それもそうか、とディサは納得する一方で、胸の奥に小さなもやがかかるのを感じていた。


 この家は、居心地がよすぎるのだ。たった数日過ごしただけで、ディサにひとつの感情を抱かせてしまうのだから。


 寂しい、などと思うのは、甘えなのかもしれない。



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