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妖精に愛された少女の行方は誰も知らない  作者: 宵月碧
春:季節はずれのオンシジューム
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episode.5


「ガウラさん、お風呂ありがとうございました」


 風呂から上がったディサは、リビングのソファに座って寛いでいるガウラにお礼を述べた。

 汗や汚れでべたついていた体を綺麗に洗い流せたことで、ディサの気持ちの方も随分とすっきりした。温まった体は熱を持ち、無造作に腰まで伸びていたぼさぼさの髪も、幾らかまとまって艶がある。


 気のない一瞥とともにガウラが短い相槌を打つと、彼の足元に伏せているアッシュの耳がぴくぴくと動いた。


 石造りの暖炉の前にあるローテーブルを囲むように配置されたソファとふたつの椅子は、ダークブラウンで統一され、落ち着いた雰囲気がガウラに合っている。平屋建てのリビングの天井は開放的に吹き抜け、窓から差し込む光が室内を明るく照らしていた。


 開いた掃き出し窓から見える外の景色は緑に色付き、気持ちのいい穏やかな風がディサの髪を靡かせる。


「突っ立ってないでこっちに座れ。傷を手当てする」


「あ、はい」


 外の景色をぼんやり眺めていたディサは、慌ててガウラの座るソファの前まで行くと、促されるまま隣に腰を下ろした。


「脚を見せてみろ」


 薬箱を手にしたガウラに言われ、足首まであるスカートの裾をそっと捲り上げる。太腿の付近まで捲り上げてガウラにちらりと視線を送れば、彼の眉間に寄った皺を見つけてディサはたじろいだ。


「……それじゃ見えないだろ。こっちに脚を乗せろ」


「え、でも……」


「いいから、早くしろ」


 ソファの上に横向きになって遠慮がちに両脚を乗せると、アッシュに噛まれた右脚をガウラに掴まれる。両脚の間から下着が見えそうになり、ディサはひえっと無意識に声を漏らしてスカートの裾を抑えつけた。


 会って間もない男性に露出した脚を見せるのも恥ずかしいというのに、こんなふうに脚を掴まれては、ディサの羞恥は増す一方だ。頬が熱くなっているのは、風呂上がりだけが理由ではない。


「傷はそこまで深くなかったが、お前が寝てる間に知り合いの薬師に診てもらった。変な奴だが、薬の調合の腕は間違いない」


 淡々とそう言って脚の傷を消毒し始めたガウラは、頬を赤らめているディサに気付いているのかいないのか、顔色ひとつ変えない。意識しているのが自分だけだと思うと、ディサは更に居たたまれない気持ちになって俯いた。


「この森に医者なんてものは呼べないが……まあ、このまま悪化しなければ感染症なんかも大丈夫だろうとのことだ」


 ガウラの言葉にディサは伏せていた視線を脹脛の傷口へと向ける。噛まれた傷の周辺が痛々しい痣になっているが、見た目ほど痛みは感じない。ディサにとって身体的な痛みというものは、慣れとともにある程度我慢できるものになっていた。


 小さな瓶に入っていたとろりとした透明な液体が、ガウラのごつごつとした大きな手によって傷口からその周辺に塗られていく。冷たく感じたのは最初だけで、指先から伝わる熱で皮膚が温かくなる。


「何から何まで、ありがとうございます」


「別に、気にするな。こっちにも非があるからな。これに懲りて、もう無防備に森には立ち入るなよ。アッシュが怪我をさせたのは悪いと思っているが、狼の縄張りを侵したお前も悪い」


 低い声で言ったガウラは間を空けることなく「それと」と一言続けると、ディサの右足首を掴んで自分の目線まで持ち上げた。

 思いもよらないガウラの行動に、ディサは驚いて目を丸くする。


「裸足で森の中を走り回る奴がどこにいるんだ。こんなに傷だらけで、よく平然と歩けるな」


 呆れたように顔を歪めるガウラを見て、初めて気が付いた。

 逃げることに必死で、靴を履かずに部屋を飛び出したこと。ここで目覚めてから、歩く度に足裏に違和感を覚えていたこと。

 痛みに鈍感になっていることには気付いていたが、どうやら森の中でいろんなものを踏み付けて走っていたらしい。怪我をしていると分かった途端、じんじんと足裏から痛みが広がってきたように感じる。よく見ると、脹脛にも小さな傷がいくつもあった。木の枝や植物の葉でできたすり傷だろう。


「森の中を夢中で走っていたので、気付きませんでした……。確かに、ちょっと痛いです」


「ったく……、どこまで鈍いんだ。変な女だな」


「すみません……」


 溜め息をつきながらもガウラはディサの傷だらけの足に薬を塗り終えると、咬傷と足裏の深い傷にガーゼをあて、慣れた手付きで包帯を巻いていく。

 ガウラの鋭い二重瞼から覗く深い灰色の瞳を見つめていたディサは、微かな既視感に、床で寝ているアッシュを盗み見た。


「ガウラさんは……どうしてこの森に住んでいるんですか?」


 口を衝いて出た疑問に、包帯を握るガウラの手が止まる。感情の読み取れない瞳が一瞬だけディサを捉えて、すぐに逸らされた。


「あ……答えたくなければ、構いません……」


「……別に、たいした理由じゃない。こいつらとの暮らしが、俺には性に合ってる。人の寄り付かない森は、居心地がいいんだよ」


 こいつらというのが、狼であるアッシュを指していることはすぐに分かった。

 妖精が棲むと言われるこの森で、ひとり、狼達と共存生活。今までのディサであれば正直考えもつかなかったガウラの生活も、身近になって目の前で見てみれば、なんて羨ましいことだろうかと、思わず息が漏れた。


「それは……自由、ということですか?」


 憧れと尊敬を含んだディサの声は、自然と明るさを帯びる。ガウラは虚を衝かれたようにディサに視線を送ると、くくっと低く喉を鳴らして笑った。


「自由か……俺はこの森で暮らす代わりに、お前のような迷い人や掟破りを管理する仕事をしている」


「管理……ですか?」


「森が荒らされることのないよう、見張りも兼ねてるってことだ。森に入った人間を、場合によっては罪人として突き出すこともある」


 にやりと口角をあげたガウラに、ディサは体を硬直させた。敢えて禁じられた森に入り込んだ自分は、まさに「罪人」と言われても仕方がない状況かもしれないと、急に背筋が寒くなった。


「あ、あの……せめて、一度ラグルスに行くまでは、突き出さないで頂けると……」


「突き出す気ならとっくに王都に連れて行ってる。アッシュの件があるからな、今回は見逃してやる」


 床で寝ていたアッシュが呼ばれたことに反応して顔をあげる。その姿を横目で確認して、ディサはほっと胸を撫で下ろした。噛まれてよかったと思うのは、都合が良すぎるだろうか。

 ガウラは巻き終わった包帯を結んでハサミでカットすると、掴んでいたディサの脚を漸く開放した。


「ほら、終わりだ。腕の傷は大丈夫なのか?」


「ありがとうございます。腕は、大丈夫です。もう治っていますから」


 ディサはすぐさま捲っていたスカートを戻して足を引っ込める。袖の上から怪我をしていた腕を数回さすると、いそいそとその場で居住まいを正し、改めてガウラの顔を見つめた。


「ガウラさん。短い間ですが、お世話になります」


「──ああ」


 漆黒の髪をかき上げるように後頭部を撫でたガウラが、ぶっきらぼうに短い返事をする姿に、ディサは小さく笑みを浮かべた。



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