表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
知恵の戦争  作者: カリナ
7/7

シーズン1 第四幕ー所在の無い少年①ー

第四幕に突入します。主人公の特異体質や、銃が撃てない理由について明記しています。ここからは、より私色の異世界が増幅していきます。皆さまにも楽しんでいただけることを切に願っております。

――第四幕 所在のない少年――


 微かに湿った草と土の臭いがする。石のジャングルとは別の臭みだった。部屋の造りも殺風景な石小屋とは違い、鍬や縄、軍手にタオルといった農家を連想させる道具と、藁が山積みになって置いてあった。気絶させられていたために、ここがどこなのか、どれくらい移動してきたのかも分からない。

 

 物理的に干渉できないと知ってからこの世界を甘く見てしまっていた。銃を向けられても怯まずに立ち向かえたし、美女に脱がされたいなどという卑猥な想像をする余裕もあった。しかし、僕の体が光ったあの時から、というより自分に百円の価値が付いた時から、殴られれば痛いし、銃弾も僕の細胞を根こそぎ破壊してしまう。赤黒く染まった肌の辺りは、燃え盛る炎のように熱が引く様子は無い。対して、吊るされたまま放置された四肢の先は、極寒にさらされているかのように冷たくなっていた。ぼろ布も剝ぎ取られ、未熟な体を露わにしてしまっているが、恥ずかしさなど感じる余裕はとっくに持ち合わせていなかった。意識を保っているのが嫌になってきて、いっそのこと殺してくれと懇願するほどまでに辛かった。幾度かの休憩を挟むたびに、質量に食い殺された細胞は、後になって気付く恥ずかしさのように、痛みをゆっくりと膨れ上がらせている。癌が媒介者に痛みでその存在を示すように、飛び行く意識を何とか保とうと、体は脳に向かって痛み信号を発信し、魂をその場に留まらせる。


「物質は重力に反して移動しない。物事には歯車が必要であり、歯車は動かすものが必要だ。人間が亡骸となるのは至ってシンプルだ。歯車が故障することだ。人間には大事な部品が無数に備わっていて、その部品で構築されているのが目視できるその腕や足、胴体や頭だ。これら全てが顕在していて人は本当の自由を手に入れられる。何十年とそれらを酷使して、幸せを掴み取る。どうだ?自分の体を大切にする気にはなれたか?もうその腕には血液が何十分と通っていない。スープが冷めていき、湯気の揺らめきが薄れていくように、その腕とともに生気も無くなっていく。吊るされたまま生涯を終えてもいいのか」


 男は僕の顔面を拳が潰れるほど殴る。彼もやや息切れをしていた。お互いに体力が無くなっていた。血まみれの拳に何度も力を籠め、これでもかと殴る。


「家族は!名前は!パレードに乗り込んだ目的は!所持金については!」


 目に染みるのが涙なのか、汗なのか、血なのか、唾なのかもう分からなくなっていた。ただただありのままを話しても、彼は聞く耳を持たなかった。


「なあ。いい加減、一度死んだなんてホラ話やめにしねえか」


 拳の痛みが増してきたのか、彼は何枚目かの純白のタオルを取り出して、顔をしかめながら手に被せた。じわじわと赤色に染まっていくタオルを眺める。既に体は限界を迎えていた。水分が失われ乾ききった喉に唾を通そうとも上手く呑み込めずに噎せ返る。朝から何も食べていないため、吐き戻すのは鮮やかな赤色の液体のみだった。


「もう限界だろ。本当に死ぬぞ」


 彼は気まぐれで優しい声をかける。これも拷問の戦略なのか、意図は不明だが、その度にふざけるなと唾をかけたくなった。彼がタオルを床に捨て、僕の方を睨んだ刹那、扉を叩く音が鳴った。男は僕に眼を飛ばしながら音の方へ向かっていく。扉を開けると、男よりもやや背の高い女性が入ってきた。


「ちょっと!やりすぎなんじゃない!」


 彼女は慌ててた声色で叫ぶと、茶色の長髪を揺らしながらこちらへ駆け寄ってくる。男の仲間だろうか。それにしては縄を解く手つきが優しい。薄く青い瞳で僕を心配そうに見つめている。彼女の服装はぼろ布なんかではなく、上品な灰色のローブだった。恰好や顔立ちから二十代後半だろうか。目元にうっすらと皺が見え始めている。


「ほら大丈夫?しっかりして」


 腕が重力に従い、真っ逆さまに急降下する。鈍い音を立てながら、石畳にぶつかるも、何ら痛みは感じなかった。重りが肩に圧し掛かるように、上手く腕を持ち上げられなかった。暫くして、ダムから水が放たれるが如く、全身を血液が一気に駆け巡り、鋭い痺れが四肢を襲った。


「君の気持ちも良く理解している。俺だって辛いが、こうしろという命令だった」


 彼女は男の言い分を無視して僕の怪我を見ている。


「さあ。手当をしなくちゃ」


 彼女は小屋の隅から救急箱を取り出し、絆創膏やらガーゼやらを器用に使い、慣れた手つきで処置をしてくれた。その間、男は人が変わったかのように彼女のサポートをしていた。


「時間より早く来て正解だったわ」


「ここまでやるつもりは無かった」


「私だって、あなたの気持ちはちゃんと理解しているわ。でもね、気持ちを内に秘めているだけじゃダメなの。考えて実行しなくちゃ、気持ちなんて無いのと同じよ。他に方法があったはず」


 僕に話しかけた時とは打って変わって厳しい口調だった。男の声色から感じられる焦りや緊張は、何か特別な感情を含んでいるように見受けられた。子分達に見せていた態度とは真逆の、尊敬とは違うかもしれないが、尊重し合っているようだった。


「すぐにお湯を用意するから、その腕、暫く冷たいかもしれないけど我慢してね。血が通って元通りになるから。つま先も冷えて青白くなってるし、ホント可愛そうに」


 手当を終え、大きめのタオルを僕の体に巻き付ける。そして、小屋の奥へと走っていくと、両手一杯の薪を抱えて出てきた。


「マッチを用意して頂戴」


「分かったよ」


「坊や、ちょっと動けるかな」


 僕はふらつく手足を懸命に動かして、転がるように移動した。僕が吊るされていたのは囲炉裏だったようだ。四角く切り抜かれた場所に薪をバラバラと散らし、火のついたマッチを何本か落とし入れる。すると、数分も経たないうちに薪が火花を散らしながら燃え始め、温かな空気が部屋に広がった。そして、僕を縄で吊るしていた出っ張りを少し下げて小さな鍋を引っかける。どうやら僕は自在鉤に吊るされていたようだ。そのまま火炙りにされなくて良かったと安堵するも、未だ囚われの身という事実に落胆する。


「湯が湧くまで少し待たないとだから、それまで君の話を聞かせてよ」


 上手い手だ。僕が純粋無垢な子供の心を持っていたならば、僕を危機から助けてくれた正義のヒーローという認識になるだろうが、残念ながら実年齢は君たちの二倍はある。安直な子供騙しには引っかかるまいと思うも、男には本当のことを話した。彼女にも同じ話をしてみるべきだろう。はぐらかせば今度こそ火炙りにされかねない。


「僕は」


 発音しようと舌を動かすと、鋭い痛みに襲われた。鉄の味が口の中に広がり不快感が増す。


「口腔内も酷いことになってそうね。一度うがいをしましょうか」


 彼女は鍋に入れていた水をコップに注ぐと、一度自分の口に入れてから渡してくれた。


「まだ熱くなってないから大丈夫」


 コップは木製であり、使いまわしているとしたら傷口に菌が入り込むのではないかという心配が脳裏を過る。


「あなた潔癖みたいね。そのコップはつい最近調達して使ってもないから問題ないわよ。賢いのね」


 ニコリと微笑む彼女は天使に見えた。若い頃、元の世界で出会えていたらという雑念も一緒に洗い流してしまう。ふと、吐き出そうとして困ったことに直面した。立ち上がれないのだ。外へ出たくとも、足腰に力が入らずに立ち上がることが出来なかった。


「さっさと吐き出せ」


 生まれたての小鹿のような僕を目の前にしてなんて冷たいのだろうか。


「坊や、もしかして外に出て吐き出そうとしているの?」


 言葉を発せないので首を縦に振る。彼女はその後、少し考えてから男と目を合わせた。


「じゃあ適当にそこに吐き出して」


 血溜まりが出来るのを見ながら、胃潰瘍の痛みを思い出した。今の傷と過去の病気が重なったせいか、全身に痛みが走る。


「ちょっと話すのは酷みたいね」


「俺が彼の話を一から話す」


 男は埒が明かないと思ったのか、自分から話すと乗り出した。さっきまでの威圧は突然吹き荒れた風に攫われてしまったようだ。気味の悪さは一旦置いておき、彼の話に違いが無いか、傾聴することにする。

 

 男は僕の経緯を事細かに話した。彼は僕を殴りながらも、表情や口ぶりを観察しながら聞いていたようだった。彼曰く、僕が嘘を吐いているようには見えなかったようだ。だが、当たり前と言えばそうだが、突っ込みどころ満載でどうしても信じられないとのことだった。この世に輪廻転生があったとして、記憶を保持したまま生まれてきた子供の仰天ニュースがあったとして、中途半端に育った体に魂を宿らせて、全く文明の違う世界に辿り着きましたという禁書目録があったとして、それはエンタメだから面白いのであって、こんな大真面目な舞台では不適切である。しかし僕は文字通り大真面目なのである。


「なるほど…俄かには信じ難いけど、この世には謎があった方が面白いじゃない?彼は神様から私たちへの贈り物かもしれないわ。興味湧くでしょ」


「だが、王の遣いかもしれないし、誰かの手先かもしれない。最悪魔物が生み出した産物かもしれない。何でも首を突っ込みたがるのはよせ」


「ここまで拷問しても発言は同じだったでしょう。それに嘘を言っているようには見えなかったんでしょ?経験を信じなさいよ。あなたはとても立派な人よ。もっと自信を持ってもいいんじゃないかしら」


「そういう話じゃなくて」


「何が気に入らないのかしら。彼の主張が一点張りだってこと?それとも王様に追われる役を演じる遣いとでも?はたまた謎の勢力の手先だって?どれも何の根拠もないでしょう。それに、彼は売買の方法も、服従の鎖も知らなかったみたいじゃない。それも演技に見えたわけ?あなただけじゃなくてあの人も演技には見えないって言っていたのを聞いていなかったの?」


「…そうだが、もしこの子供を引き入れたことによって組織崩壊の危機が訪れたらどうするつもりだ」


「その時はその時よ。この子とこの子のボスが強敵過ぎたってことで決着よ。でももしこの話が本当だったらどう?お金もなくて貧民にまっしぐら。加えてここの文化や歴史の何も分かっていない状態で生きていけると思う?軍にも追われているのよ」


 彼女は彼の目を強く見つめ、一呼吸置いて話を続ける。


「私たちがこの組織に入ったのは、長く続く王の歴史を終わらせるためだったでしょう」


「子供がいるんだぞ」


「この目の前の子に誠意を見せるの!私たちはそれぞれの夢のため、自由のために戦っていることを忘れたのかしら!」


 きっと彼女たちは信念を持って行動しているのだろう。会話から想像するに彼らもケイ達と同様に、王に立ち向かおうとする人々なのだろう。両者とも王への反逆という点で協力し合えるのではないかと思うのは浅はかなのだろうか。いずれ僕を助け出すため、ケイの組織とこの二人が所属する組織がぶつかる時が来るはずだ。僕が安全に戦地から抜け出すためには、第一にこれ以上血を流さないようにすることだ。


「僕を…助けに来る…」


 どうしても彼女に賛同出来ずにいた男は、彼女の叫びに答えること無く、こちらへ歩み寄る。喧嘩中の友達の間に割って入るような気まずさがあった。口の中が痛んで話すのもやっとであるというのに、空気を読んでなどいられない。何より自分の命がかかっているのだ。彼らには話を聞いてもらわないと困る。


「大事なことを話す気にでもなったのか」


「戦争になる……」


「ねぇこの子にハクヤクを打つべきよ」


 気がかりな単語が唐突に出現した。


「駄目だ。あんな高価なものを使ったら組織を追い出される」


 再び二人の口論が始まる。また僕は置いてきぼりだ。


「慎重なのは分かるけど、今は賭ける時よ!時間が無いのよ。彼の傷が治るまで待つなんて言ったら一週間はかかるわ!誰がこんな目に合わせたと思っているの!?」


「…ああ。動ける程度には加減するつもりだった。だが、この胡散臭い子供じゃなくたって良いだろう!まだ他の子供でも代用できる!それにこいつはパレードで顔がばれてる!」


 どういうことだ。彼らも僕を利用しようとしているのだろうか。何か急ぎの作戦で僕が必要なのだろうか。何にせよ、結局の目的が同じならば、余計に彼ら二つの組織は協力すべきだ。どうにかして彼らをケイの組織と合併させたい。僕も両組織で取り合われなくて済むし、王に対抗する力も膨れ上がるということだ。


「話を…聞いて…!」


「分ったわ。何か大切なことを話したいんでしょう。痛みを堪えながらも話さなければいけないことなんでしょう。今薬を打つからね。体の傷が癒えてすぐ話せるようになるわ」


「おいおい!」


「黙ってなさい!」


 彼女は今までで一番の声を張り上げて男を黙らせた。僕を殺そうとした隊長と呼ばれる男よりも迫力があったかもしれない。芯が強い女性だとは思っていたがこれほどまでとはと感心した。


「さあ腕を出して。少し痛むからね」


 彼女は懐から緑色の液体が入ったシリンジを取り出す。得体の知れないモノを血液にぶち込まれると思うと不安と恐怖に駆られた。しかし、今は彼女を信頼しよう。注入するのに喧嘩をするほど大切な薬なのだ。さぞかし素晴らしい秘薬なのであろう。


「動いたら痺れるからね」


 注射針を取り付ける頃には、既に覚悟は出来ており、腰に腕を当てて肘を出していた。


「ハクヤクを打ったことがあるの?」


「前世で」


 彼女はふーんと言うだけで特に追及してくることは無かった。男も口を挟んでこなかった。沈黙のまま処置は進んだ。彼女は医療の知識があるようで、肘から肩にかけて三分割し、しっかりと注射部位を測っていた。三角筋にアルコールを塗り、肉を少々摘まみ、針を挿す。アルコールが乾ききっていないことには目を瞑ろう。その後何の声掛けも無かったので、シリンジに血液が逆流していないかを自分で確認する。この世界の医療レベルはどの程度なのだろうかと、自分で捨てたはずの医学に少し興味が湧いてしまった。もしもあの時、看護大学を中退せずに卒業していたのならば、この世界で医療の知識を用いて生活することが出来たのだろうか。きっと前世でもそれなりに良い仲間を持って、家庭を持つことが出来ていたのかもしれない。


「おい。ボケっとしている時間は無いぞ」


「坊やごめんね。この薬はしばらく頭に靄がかかったような眠くなる感覚に襲われるけど、今は我慢して私たちに君が伝えたいことを話してほしいの」


「あ…ああ。分かったよ」


 返事をすると痛みが薄れていることに気付いた。舌を動かしても鉄の味はしなくなっており、両手足も血のバーゲンセールは終了して自由に動くようになっていた。ただ少し、酒に酔ったように視界が眩む。歩けなくなる程ではなく、風邪をひいた時に、歩くのが苦になるような感覚に似ていた。


「まず確認したいんだけど、どうして僕を攫って拷問したんだ。王の遣いじゃないなら僕にこだわる必要もないだろう。さっきの会話から察するに、金髪の男よりも僕が重要そうじゃないか」


「それは…そうだな…」


 男は言葉に詰まり、上手いことを言おうと言葉を探しているようだった。秘密にしておきたい何かがあることは間違いなさそうだ。


「まぁ僕は人に攻撃しようとするとなぜか体が固まるし、君たちに無理矢理秘密を吐かせることは出来ない。ただ」


「ちょっと待ってくれ」


 全て言い終わらないうちに男が口を挟んだ。


「やっぱりお前は服従の鎖を知らないんだな?」


「そういえばさっきもお姉さんが言ってたね」


「私はベロニカ・セリオルドっていうの。ベロニカって呼んで」


 彼女は僕の前にしゃがみ込むと満面の笑みを見せた。なんて心安らぐ女性なのだろうか。もし結婚しているのならば、素敵な旦那さんに違いない。


「二十七歳で、そこにいるぶっきらぼうな男は旦那」


 衝撃だった。僕の心と共鳴するように鍋が水を吹き出し始める。


「いけない!熱しすぎたわ!」


 彼女が鍋に駆け寄ろうと腰を上げるが、既に男が下ろしていた。単語一つで人のイメージはがらりと変わるということを理解した。つい一分前までは野蛮な不衛生な男という認識だったが、今では紳士に見えてしまうほどだ。口は災いの元とはよく言ったものだ。口は人をも助けるというのも広めてはどうだろうか。


「ほら。温かいタオルだ。これで体を温めろ」


 男は僕にタオルを渡すと地面に尻を着いた。凍りそうだった手足にタオルを当てると、病院での清拭を思い出した。牢獄だと思っていた病院も、今思えば身動きの取れない老いぼれでも生きていけるように手を尽くしてくれる素晴らしい楽園だ。誰も僕を殺そうとはしない。みんながみんな、故意に命を奪わないという点で信頼できるというのは凄いことなのではないかと思う。


「さて、話の続きをしようか!」


 ベロニカは自然な笑顔を見せて僕に話しかける。ケイのように何か企んでいそうな雰囲気は無く、この男のように無理矢理吐かせようとする気配もない。彼女とは変な心の読み合いなどせずに会話をしたいと思えた。僕は分かったと返事をする。


「王様に銃を構えた時に、体が金縛りにあったような感じがしたんだよね」


「そうだね。人を撃つのが怖かったとかそういうのじゃなくて、誰かというか、何かという方が正しいのかな。うん。何かにがっちり固められて動かなくなったんだ」


「私の旦那を撃とうとした時も?」


 ストレートすぎる質問に、少し申し訳なさを感じながら返答する。


「そうだよ」


「固まった後、どうやって動けるようになったの?」


「頭から段々と動けるようになっていったかな。動かせていても、うーんと、激しい運動をした後みたいに、ちょっと体が重い感じがしたな」


「そうなのね。それは間違いなく服従の鎖に縛られていたのよ」


「その服従の鎖っていうのは何?」


「ちょっと右腕を見せてみろ」


 男は僕の腕を乱暴に掴む。


「ちょっとあなた」


「あ、ああ分かったよ」


 どうしても僕が気に入らないみたいだ。まあ無理もないだろう。人は未知な物体や生物には恐怖心を抱く。何なら男の方が正常な状態と言えるだろう。


「君たちにとって僕が異質な存在だということは今日一日で良く分かった。だからこうして質問を重ねて、僕が普通な人間だと証明しようとしているんだ。宇宙人からしたら地球人が宇宙人なように、僕にとっては君たちも異質な存在だ」


 ここが地球という名で通っているならば今の例えは上手かっただろう。


「そうよ。お互いオープンでいなくちゃ」


 通じたようで良かった。しかし、この世界も元居た世界と同じように宇宙の概念があり、地球という名称も同じなのも僕を混乱させる要素の一つだった。


「分った。分かったよ!お互い突っ込みなしで行こう」


 男は不貞腐れながら胡坐を組み直す。ベロニカは近くにあった丸太に腰を掛け、膝の腕で手を組んだ。僕の分の丸太は無かった。


「あ、ごめんなさい。座りたかった?」


「いやぁいいんだ。それより服従の鎖について教えてよ」


「そうね。鎖なんて呼んでるけど、実際鎖が目に見えるわけじゃない。それは君も分かるでしょ」


「そうだね」


「あれは、所持金が十万以上の差があると発生する自然現象よ。テクノロジーで開発したものとかで

はないわ」


「というと、体の構造がそうさせているとか?心臓が自ら活動するように」


「まあそんなところだけど、心臓とは違って自分の生命を維持させるものとはちょっと違うの。あの鎖は他人を生き永らえさせるものよ」


「いまひとつ読み込めないな」


「お前の腕に刻まれている100の数字。それはお前の所持金であり、階級を示すものに使われてい

る」


 タオルを捲って右腕を見てみる。焼き印のように100と刻まれているが、何ら痛みは感じない。


「さっきお前のボロ服を金髪の男に百円で売り、その百円がお前の腕に刻まれた」


「なるほど」


「そして、その百円がお前の価値だ」


 何という侮辱だ。僕は最低賃金以下の人間だということか。生涯かけて何千万という金を稼いできた僕がこの世界では百円しか持ち合わせていないのだ。


「百円ってのはつまり」


「五枚揃ったら五百円。十枚なら千円だ」


 昔のように一銭という概念はなさそうだ。ならば僕は、正真正銘の貧乏人だ。


「坊やは王や彼に危害を加えようとしたけど、その鎖によって阻止されたのよ」


「ということは僕とは十万円以上の差があると」


「そうだ。さっきの会話を聞いていなかったのか?」


「さっきの会話?」


「もう一度言うが、俺の所持金は十万三百だ」


 確かに、ケイとの会話でそう言っていたような気がする。冷静なつもりでいたが、大事な言葉を聞き逃していたようだ。というより、その会話についていけなかった為か、右から左へと流してしまったのだろう。


「お前がどんな場所から来たのかは知らないが、ここでは金が命だ。数字が出たら出来るだけ覚えて

おくようにしておけ」


「アドバイスをどうも」


 男は低く唸る。どうやらうっかりしていたようだ。


「あなたもまだ甘いところがあるのね」


 ベロニカは嬉しそうに微笑む。僕を殺そうとしてたぞという突っ込みは胸にしまっておくことにしよう。


「だから他人を生き永らえさせるものだということか」


「そうね」


「でも、彼は僕をぶん殴っていたけど?」


 皮肉を込めて言ってやる。


「差があっても、上の人間は鎖が発動しないの」


 だから絶対王政を取っており、貧富の差が顕著に表れていたのだと理解する。当然のようにそう言った。彼女たちにとって当たり前の事なのだろう。しかし、この仕組みに疑問は持たないのだろうか。下の階級の人間は必ず下にいる。どんなに努力をしても、這い上がれないのだ。そこで気付いた。彼らが王に反逆しているのは上を求めているからなのだ。上に昇りたければ犯罪者となるのは必然の答えだった。


「状況が読めてきた。君たちやケイ…金髪の男は貧困層を抜け出すために、王に追われることになっても組織を作って動いているのか」


 すると彼女は少し考えてから、そうねと答えた。


「俺たちの目的は詳しくは話せない。まだお前を信頼していないからな」


「んなるほど」


 深く溜め息を吐いて、どうしたものかと思考を巡らせる。真実を言っても信頼してもらえていない。これでは八方塞がりだ。僕が選べる選択肢は二つしかない。一人で隠れながら生活をするか、彼らにどうにかして仲間に加えてもらうかだ。前者の場合、僕は生涯貧しい生活をしながら朽ちて行くのを待つだけだ。後者は危険と承知で仲間と共に金を追い求め、良ければ一発逆転の裕福人生を送れる。選択肢は一つである。


「どうすれば僕を仲間に加えてもらえる」


「大事なことを忘れているようだが、お前は仲間に加えるために攫ったんじゃない」


 そうだ。僕は何かに使われるために拉致されたのだ。結局、仲間だ何だという悠長な話ではない。どのみち僕は下僕人生を送るのだ。生前のように。


「で、どうしろと」


「まずはお前のことを知るのが先だ」


「街に出るのよ!」


 何だか妙な展開だ。何をやらせるにしても、十万円以上の差がある限り、こちらは彼らに危害を加えられない。従って彼らの奴隷と同じなのだ。それか、僕が命令を放棄して逃亡すると思っているのだろうか。


「僕はちゃんと命令をこなすさ。僕は本当にどこからともなくやって来た少年だ。逃げたところで行く当ても無い」


「念のためだよ。ごめんね」


 彼女は再度小屋の奥へ行くと僕の鞄を持って出てくる。


「ローブを着て。中間街へ行くのよ」


「中間街?」


「ここは貧民街で、さっき坊やが軍にちょっかいかけた場所が中間街と呼ばれる場所よ。その奥が城

下町で、その少し先が貴族の住む街になってるの。まあ詳しくは街に出れば地図があるからそれを見ましょう」


 どうやらここはまだ貧民街のようだ。


「貴族の住む区画の先には城があるってことでいいのかな」


「その通りよ」


「城を抜けた先は何があるの?」


「さあね。噂では魔物の世界が広がっているとか」


「なんだそりゃ」

「城は渓谷に聳え立っていて、そもそも一般人が出入りするのは不可能なのよ。王やその遣いがどうやって城から街へ出入りしているのかは不明。貴族街も広大で、三級から一級までの区画に区別されているの。一級の区画には特に厳しい検問がされていて、入ることは疎か出ることさえ難しいのよ。その先にある城なんて未知の世界だわ」


「それなのに渓谷にあるということは分かるのか」


「ええ。この世界を示す地図は昔から世に出回っているの。きっと地図で示さないと流通が困難になるからよ」


 そこまで説明し終えると、ベロニカは僕に服を着るように促した。キッズサイズにとなってしまった僕のイチモツを見られるのは少々気が引けたが、キノコを食べれば大きくなるということは無いだろう。諦めて着替えることにした。


「さて、じゃあ移動しながら説明するわよ」


「ちょっと待って、みんな王に追われる身なのに大丈夫なの?」


「勿論。私たちは王に顔を見られていないからね。坊やはこのお面でも被っていて」


 彼女は自分の持ち物の中から烏天狗の面を取り出した。


「まさかこれを付けろと…」


 子供が付ける面にしてはやたらと気迫を感じられる。作り手はかなり手を込めているだろう。触れてみて分かったが、面は漆黒の絹で出来ており、うっかり滑り落としそうだった。人で言う白目の部分は黄金に塗られ、まさに眼光を放っていた。勿論、黒目の部分は刳り抜かれている。鼻腔も金色に塗られており、総合して面は二色で飾られていた。被ってみると自分の口と嘴が、瞳と眼球が丁度フィットするように作られていた。まるで呪いの仮面のように、一寸の隙間なく顔に密着する。薄気味悪さと、嘴による視界の悪さを訴えながら外に出る。


「黙ってその面をつけていろ。絶対に外すなよ」


「寧ろ目立つんじゃないか」


 男は僕の鋭い指摘を無視して僕を担いだ。僕が面を付けている間に着替えたらしく、彼はヴァンと同じような灰色のパーカーを着ていた。なぜこの世界にはファンタジックなローブと、現実世界のような部屋着感満載のパーカーが混在しているのだろうか。疑問を投げかけようとするも、次の瞬間、僕の体は宙を舞っていた。


「痛っ!」


 先ほどまでの石の感触とは違い、どこか懐かしがあった。暗がりの中目を凝らすと木目が見えた。天井があり、小さな窓もある。籠の中にいるのだと理解した。


「そこで大人しくしていろ」


「ごめんね。ちょっと揺れるからね」


 そう言いながら扉を閉めたベロニカの顔は、僕の視線の高さと同じ位置にあった。窓から微かに入ってくる、草を毟る音。続いて二人が腰を掛ける音。空気を切り裂くような、弾くような響き。刹那、甲高い鳴き声。最後にウッドブロックの音色。そして確信する。僕は馬車に乗せられたのだ。この世界では馬車が貧民街を走るのだろうか。街の人々は皆徒歩か這って移動していたのは見間違いだったのだろうか。馬は僕の不安を取り残して颯爽と走る。



閲覧ありがとうございました。次回からは中世をイメージした中間街への進出となります。独特の世界観が引き立つよう描写しておりますので、是非楽しんでいただけたらなと思います。また、三人の掛け合いも多くなっており、それぞれの人間性が垣間見える場面となっております。

引き続きご愛好の程、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ