一人称形式文章って、語り手は誰に向けて語ってんの?
※(例文1)
オレの名前は山田中一太郎。どこにでもいる普通の高校一年生だ。
進学して一ヶ月も経てば、だいぶ新生活にも慣れてきた。
「ヤッバ……!」
ある日、寝坊したオレは走って登校していた。
ひたすら急いでいたので、足音に気づくのが遅れた。
「の゛!?」
交差点で横からなにかがぶつかり、気づけばオレは地面に倒れていた。
「痛ったぁ~……」
オレにぶつかってきたのは、女の子だった。ウチの学校は詰襟セーラーなのに、この辺りでは見たことないブレザーの制服を着ていた。
女の子の手にはかじりかけのトーストがあった。
オレは思った。
(えー……? まさか、遅刻しそうになってパンかじりならダッシュする転校生とかじゃないよな? そんなマンガのお約束みたいな……)
女の子のスカートは、結構短かった。そんなのを着て少々はしたなく尻餅をついているものだから、パンツが見えてしまっていた。
「…………!」
女の子はオレの視線に気づき、顔を赤くし、スカートの裾を押さえた。
オレは思った。
(そんなところまでお約束じゃなくても……っていうか、黒か)
○ ○ ○ ○ ○ ○
例としてはあんまり上手い文章とはいえないが、自分にはこれが精一杯。
一人称形式文章を見ると、自分は思う。
語り手よ。お前は地の文で誰に説明してるんだ?
いや。一〇〇歩譲れば、まだ理解できなくもない
語り手である作中のキャラクターが、明確に『現実の読者』に向けて語っている書き方だとすれば。
言葉の正確さは少々怪しいが、要するにフィクションのキャラクターが『これはフィクションですよー』と主張するメタ・フィクションとなるから、自分みたいに受け付けない人も少なくない。だが手法としては問題ないし、メタ前提と知れば読者も認識を持って読める。
冒頭の(例文1)みたいな書き方だと、そう納得するのも無理だけど。
ワイドショーとかYoutubeの実況系動画とかと比較してみてればいい。
そういうリポート形式に書き直すとすれば……
○ ○ ○ ○ ○ ○
※(例2)
はい。山田中一太郎です。
どこにでもいる普通の高校生を自称するこの私、本日寝坊してしまったため、現在学校に向けて全力疾走しております!
「の゛!?」
い、痛……!
交差点で誰かが横からぶつかってきたため、私は吹っ飛ばされてしまいました……!
どこ見てやがるゴルァ!?
……おっと、私としたことが。大変失礼いたしました。
「痛ったぁ~……」
どうやら私と衝突したのは、女の子のようです。同様に転倒しております。
見た感じ、彼女も高校生と思えますが、どこの学校の生徒でしょうか? この辺りでは見たことないブレザーの制服を着ています。ちなみにウチの学校は詰襟セーラーなので、当然違います。
おや? 女の子の手にはかじりかけのトーストがあります。
そんなマンガのお約束みたいなことが現実に起こるとは思えませんが、まさか私は、初日早々遅刻しそうになってパンをかじりながら走る我が校への転入生と衝突してしまったのでしょうか?
しかも尻餅をつく彼女、短いスカートがちょっとまくれているため、パンツが見えております。これまたお約束です。
黒ですか。
眼福ではありますが、高校生でその色はちょっと早くないかと私めは思ってしまうのですが……?
転校初日で気合を入れているのでしょうか? いえ、我が校への転校生か確認しておりませんが。
「…………!」
女の子が私の視線に気づき、顔を赤くしてスカートを押さえながら避難の眼を向けてきましたが、見てしまったのは不可抗力を主張したい! 事故です事故!
○ ○ ○ ○ ○ ○
……これが例として相応しいのかはスルーして。
小説に使えるかも甚だ怪しいがそこもスルーして。
冒頭の(例文1)と明確に違う点を挙げると、以下のようになるだろう。
●語り手と読者の距離感
まずわかりやすいのから。
言葉遣いだ。
丁寧語を使わず(悪く言えば)馴れ馴れしい語り口で評価を得ているYoutuberもいるだろうが、まぁ普通は丁寧な言葉遣いを心がけるだろう。
幾分距離を隔てた話し方、とも言える。
だが人間関係には適切な距離がある。近ければいいとは限らない。大した関係性でもないのに馴れ馴れしければ、多くの人は不快に感じる。
適切な距離をまだ計ることができる特定個人に対してではない、『読者』や『視聴者』という大雑把なくくりの大衆相手であれば、失礼なく聞き苦しくなくしゃべるのが無難だ。
●主観性
リポーターは客観的な説明だけでなく、『自分はそれをどう思ったか』という主観と織り交ぜてしゃべる。
よく一人称文章形式の特徴として、『語り手に近づき、心情を集中的に書ける』『没入感、現実と非現実の境を曖昧にする』というのが挙げられる。
だが思うのだ。
『私は~した』『オレは思った』という説明は、果たして語り手の『主観』による文章だろうか?
行動したのは語り手自身でも、すごく冷静かつ淡白な他人事のような書き方のため、むしろ主観からかけ離れているようにしか感じられない。
書き手の心理描写はどこいった?
小説のHowToでよく『私は~した』『オレは思った』といった書き方をタブー視している。その理由は大体説明的といったことが書かれているが、そういうことだ。
主語を彼・彼女に変えるだけで容易に三人称形式になってしまう文章であれば、読者に近しい語り手の主観的文章とは呼べない。
●臨場感
リポートは、語り手が今どこにいて何をし何が起きどう感じたか、現在進行形で語る。
だが小説の場合、よくある(例文1)の書き方だと、この辺りは曖昧となる。
これは日本語の宿命でもある。
学生時代、多くの人が苦しんだだろう。英単語が現在形・過去形・過去完了形・現在進行形などで形が変わるアレ。
ヨーロッパの言語は、この『時制』が比較的キッチリしている。説明するそれがいつの出来事かを単語単位で明確にする。
日本語では違う。この時制は曖昧でも通じてしまう。
冒頭 (例文1)の文章は、そのようにできる文末は全て「~た」の形にしている。
ならばこれは、過去の文章だろうか?
そう思う人もいれば、語り手が現在進行形で体験していることを説明している、と感じた人もきっといるはずだ。
意識しているリポート形式だと、いつのことがわからない、なんてことはない。ハッキリと語り手が現在進行形で体験中とわかる。文末が「~た」でも、せいぜい数秒前の過去で、読者はほぼ『現在』として認識するはずだ。
時制は作者がキチンと意識し明文化していないと作れない。
●読者の存在
最たる違いがこれだ。これまでの総括とも言える。
語り手が誰に向けて話しているか。
語りかける相手を定めていないと、文章は全般的に『報告』となる。この時こういうことが起こりました……という書き方だ。
情緒たっぷりに読ませる文章になっているならまだしも、そうじゃなく小学生低学年の日記か読書感想文みたいに事実だけダラダラ書いてあって『面白かったです』で締めくくるような、読者は『だからなに?』と言いたくなる文章になる。
語りかける相手を定めると、共感を得ようとしたり、語り手側から問題定義するといった書き方が挿入されてくる。
(例文2)で挙げると、だいたい記号『!』『?』が文末になっている文はそれに当たる。
○ ○ ○ ○ ○ ○
勘違いしてもらっては困るが、自分は一人称形式文章なら全部リポートみたいにしろ、なんて暴論を言うつもりはない。
……というか、この書き方、かなりキワモノにカテゴライズされるぞ。特徴づけの方向性としてはアリだし、掌編・短編ならなんとかなるだろうけど、一〇万字以上の長編なら大御所作家でも躊躇すると思うぞ。
むしろ逆。
明確に聞き手を定めていない、独白のような形式でも、それはそれでいい。
というかだ。
(例文1)のような一人称形式文章で物語を紡ぐ作者さんは、多分モノローグ形式のつもりで書いているんじゃないか? 意識・無意識はさておいて。
でも多くの場合、違う。そうはなっていない。
心理描写が少なくて、『オレ・私は~した』系の事実説明が多いから。
それ『ナレーション』だかんね?
演劇や映像の世界では、ナレーションは『ナレーターによる場面や状況の説明または解説』、モノローグは『登場人物の声に出せないつぶやき』と明確に違いがある。
これを小説に持ち込むとすると、一人称形式文章における地の文は、『モノローグ』となる。語り手であるキャラクターが、他の登場キャラクターにわかるよう口には出していない言葉なのだから。
もちろん一次元(あんまりこの言い方正しくないけど)の小説では、二次元・三次元の画像・映像媒体とは違って、文字列以外で表現することは不可能だ。挿絵のある小説? 思いっきり二次元じゃん。
そのため小説では文章による状況説明も大量に必要となってしまうのが、モノローグだとしても演劇や映像と異なるが、言い張るには叙情 (感情表現)を優先する必要がある。
だが『オレは~思った』『私は~した』とか、『○○は~だ』の形式は、間違いようがないくらいに叙景や叙事 (事実説明)で、ナレーションの部類となる。
とてもモノローグ……一人称形式だとは認識できない。
というか、一人称形式文章のメリットを、作者自身が全力で潰しにかかっている。
主語が『僕は~』『私は~』でさえあれば一人称形式だって判断する人間のことは知らんわ。そんな単純な話じゃないから。
あとそんな書き方、小説に対応させるとしたら、ナレーションとしても認められないだろうが、ここでは関係ない話となるので割愛する。
あとダイアローグは全部感情表現、って思うのも違うから。
○ ○ ○ ○ ○ ○
一人称形式文章は書きやすい、なんて意見をたまに目にする。
本当にそういうタイプの作者がいることまで否定しないが、自分に言わせれば『正気?』と言いたくなる。
自分は一人称形式を書きにくいタイプなので、という理由も当然あるが、少なくとも一定以上のクオリティにしようと思えば、素人が一人称形式で物語を書くのは難しい。
乖離や情報の取捨選択を意識してないと、作者=主人公=語り手で書くから。主人公が神様ならともかく、大抵これやっちゃいけないことだから。
は? 正真正銘の素人が書いてるんだから、素人くさい文章でも問題ない? そんな意見知らんわ。
やはり素人くさくない一人称形式文章を書こうと思えば、幾つか注意点がある。
キャラクターの描写。『オレの名前は○○、しがないサラリーマンだ』みたいな説明もテンプレートとして認められている気配もあるが、まぁやはり語り手自身が自分のことを説明するというのは素人くさい。
文章でしか表現できない小説なら説明が多いのは致し方ないが、やはり一人称形式なら、書き手の心情描写は盛り込まないとなるまい。
『一人称形式って、語り手は誰に向けて語っているの?』というのがこの文章の原点ではあるが、やはり語り手の独白として聞き手が誰かを定めない書き方が多く、需要としては求められるだろう。
これらを考慮して例文を書き換えるなら……こんな感じ?
○ ○ ○ ○ ○ ○
※(例文3)
「ははははははは! 山田中一太郎サマのお通りだ! 愚民どもよ! 我のためにひれ伏して道を開けよ!」
今はまだ高校一年の身分に甘んじているが、ここから我・山田中一太郎の覇道は始まる!
具体的には学生生活一ヶ月を経てようやく慣れ始めたというのに、遅刻してショートホームルーム中に気まずい思いしながら教室に入るのを避けるための全力疾走が! モーゼの海割りの如く、行き交う愚民たちが我の叫びに応じて道を明けていく! これなら間に合う!
「の゛!?」
交差点で横から我が覇道が阻まれただと!? それも吹き飛ばされる勢いで!?
「痛ったぁ~……」
我輩を阻んだのは愚民の女か!?
多分高校生だろうが、我輩が通う私立秘宝館高校の制服とは違う。それどころかブレザーの制服を採用している学校なんて、この辺はない。
いや、それはどうでもよい。
問題は、女。お前が手にしているトーストだ。
まさか、遅刻しそうになってパンをくわえてダッシュする我が校への転校生と衝突などという、どこかで見たような展開を現実に経験しているのではなかろうな?
しかもお約束のように、女は短いスカートで尻餅をつくから、我からは下着が見えてしまっている。
「…………!」
気づいたようだ。女が顔を赤くして睨みながら、スカートの裾を押さえたが、見てしまったのだからもう遅い。
しかし……頂けない。
「貴様に似合う下着の色は、黒ではない……赤だ」
「……!」
愚民女が殴ってきやがった!? なぜだ!? 人が親切に忠告してやったというのに!
○ ○ ○ ○ ○ ○
こうか!
説明が多くても主人公兼語り手のキャラクター性も感情もバッチリ伝わるだろう!
確定的な書き方をしていないが、誰に向かって語っているのもきっと伝わる! 等しく『愚民』だ!
単なるDQN以外に見えないけどな!