探偵のオペラ【11】
八ツ寺スタジオの舞台上でルノー役の人の周りに役者たちがたむろしていた間に砂橋がおもむろにパイプ椅子から立ち上がった。
「砂橋……?」
舞台上で蘇生措置を行っている。劇団員が何人も囲んでいて、俺たちができることはないのだが。砂橋に声をかけるも、返事をせずにさっさと砂橋は舞台に手をついて、乗り上げた。
どうしようか迷ったのは数秒。
俺は砂橋を追って、舞台に乗り上げた。
上手側から舞台横へと入るとそこには、衣装や小道具がいくつも置かれていた。人が通れる通路は確保されており、砂橋はその通路をスマホのライトで照らして進んでいた。
「おい、砂橋」
「いつ、あの人、死んだと思う?」
砂橋がこちらを振り返ったと思うとライトで俺の頭上を照らす。何を見たいのかと俺は首を回してライトの光を視線で辿る。舞台の天井あたりを見たいのだと気づくのにそう時間はかからなかった。
「今はそんな話をしている場合か?」
「人命救助なら人手は足りてるでしょ?」
「それはそうだが……」
いつ死んだと思うか。
ルノー役のあの男の様子は白い幕に映し出された影によって分かっている。悪魔に首を絞められ、そのまま天井へと引き上げられた。体が宙に浮いている間、彼は苦しんで手足をばたつかせていた。そうなると死んだのは、吊り上げられた後だろう。
私たちは彼が生きているところを見ている。
話したことも名前も知らないが、ルノーという役が動いていたのをこの目で確認している。
砂橋もどうやら劇の最中に目を瞑って寝ることはなかったようで、舞台裏をスマホの灯りで照らす。
「あのロープ、上げ下げするところってどこか分かる?」
「上に足場と絡繰りがあるんだろう。どこかにはしごがないか?」
どうやら大学二年生の頃に苦手意識を持ってから、演劇関係に全く触れていなかったらしい。砂橋はきょろきょろと周りを見回す。
「ああ、あった。これかぁ~」
砂橋は「う~ん」と首を捻った。
「さすがに上ったら警察に変なこと言われそうだしねぇ」
新聞に載っていないとはいえ、砂橋は今まで関わった殺人事件で警察に知り合いが数人いる。知り合いが来るのであれば、どうということはないが、そうでない場合は逆に犯人として疑われる可能性がある。
「余計なことはしない方がいいだろう」
「まぁ、僕も早くグラタン食べたいし……適当に話して今回はさっさと帰ろっか」
砂橋は肩をすくめて、スマホのライトを切った。
「……あ、ねぇ、弾正。演劇のリハーサルって前日に一回だけしかやらないの?」
「いや、何度も行うだろう。本番で失敗しないように調整も何度も行わなくてはならないからな」
「それじゃあ、前は吊り上げても死ななかったけど、今日は死んだんだね」
演劇サークルの時は、学園祭の前日にならないと本番と同じ場所でリハーサルができなかったが、この劇場は二週間。多くて一カ月は借りているだろう。首吊りの様子の再現など、一度のリハーサルだけでは「できる」という確信も持てないはずだ。
「……弾正。僕、気づいちゃったんだけど」
ふと足を止めた砂橋を振り返ると暗がりの中、砂橋は神妙な顔をしていた。そんな表情を見たのは久しぶりで思わず「どうしたんだ?」と聞く。
「代役とか頼まれたり」
「しないから安心してくれ」