遺産相続パニック【5】
「あの人が大輔さん?」
「そうよ。ちょっと頑固なの」
「ちょっとどころではない気がするがな」
俺はため息をついた。雛子は坂口の袖をぎゅっと握っていた。大輔は声も大きかった。子供に怖がられるのも無理はないだろう。彼は店を継いでいて、兄弟の誰も今はこの家には住んでいなかったというのに雛子にここを出ていってほしいのか。小さな子供相手にそれは酷ではないのか。
そもそも雛子の親権は誰になるんだ?
分からないことだらけだ。
「ヒナ、自分の部屋に行った方がいい……?」
「大丈夫よ。そもそもここに来たのは兄さんや私なんだし」
小春はそう言いながら自分の羊羹を食べた。
それ以上、どう声をかけていいか分からず黙っていると玄関の方からガラガラと引き戸が開かれる音がした。「ただいまー」と女性の声が聞こえる。
「あ、姉さんだ」
小春の言葉につられて廊下を見るとすぐに小春より背が頭半分ほど低い女性が居間の前にやってきた。どうやら、小春や大輔とは違い、手土産を持っているらしい。デパートの地下で買い物をしたようなオードブルの詰め合わせがビニール袋に提げられている。
「父さんの話、本当だったのね。貴方たちが探偵?」
「はい。探偵の砂橋と、こっちは助手の弾正です」
砂橋が立ち上がって軽く頭を下げると伊予はオードブルをテーブルに置いた。
「半信半疑だったからこれ一つじゃ足りそうにないわ。昼は食べるんでしょう?」
「ご相伴に預かれればと思います」
昼飯はまだ食べていない。食べさせてくれるというのならば甘えたい。
「それじゃあ、そうめんでも茹でましょうか」
坂口さんが立ち上がり、雛子もそれについて立ち上がる。
「ヒナ、お手伝いするー!」
「はい。じゃあ、手を洗いましょうね」
キッチンにある小さな踏み台は雛子のためのものだろう。料理を手伝うのが日常的なんだろう。居間の障子は開け放たれているため、キッチンの踏み台に上って自分の手を洗ってから、子供用の包丁でネギを切り始めていた。
砂橋はすとんと座布団の上に座り直した。俺はもうすでに空になっていた羊羹ののっていた皿を持ってキッチンへと行った。
「懐かしい写真ね」
テーブルの上にあった家族写真を覗き込んで伊予がそう言うと小春が「そうでしょ?もう五年前だって」と声を弾ませた。
「家族写真を撮るってことは皆さん仲がよかったんですね」
「仲いい……かなぁ?」
「たまに顔を見せる程度だわ」
小春が首を傾げながら伊予を見ると、伊予も顎に手を当てながら答えた。
「私と姉さんは一カ月に一度は顔を見せるけど、兄さんはあんまりね」
「仕事が忙しいんだからしょうがねぇだろ」
廊下に大輔が立っていた。彼は小春の斜め前の座布団にどかりと座ると電子煙草を懐から取り出した。
「もう兄さん、やめてよ」
「別にいいだろ、父さんもいないんだから」
皿を洗い場に置くと坂口が「ありがとうございます。そのままにしておいてください」と言ったが、彼女はそうめんを茹でていたので「いえ、動いていた方が気がまぎれるので」と皿を洗うことにした。
背を向けていても大輔の声だけやたら聞こえる。まるで、大輔の声だけボリュームをあげすぎたようだ。怒っているから声が大きいわけではなく、普段からその声量なのだろう。
「遺産相続の話って弁護士とか来るんですか?」
「弁護士の金山が来るんだよ」
答えたのは大輔だった。皿を洗い終わって手を拭いていると大輔は右手首の大きな腕時計を覗き込んだ。
「一時くらいに来るから飯を食う時間はあるな」
「賑やかな食事も久しぶりなので、なんだか嬉しいですねぇ」
坂口さんがくすくすと笑った。
確かに俺もこんな人数で飯を食うのは久しぶりだ。一人暮らしだから普段は一人で食事を摂るし、それ以外は砂橋がいきなり「お腹がすいた」と家に突撃した時に二人で食うか、もしくは砂橋にいきなり呼び出されて二人で外食するかしかない。
砂橋も一人暮らしだから、人と食事を摂ることは少ないだろう。まさか、ここまで来てこんな複雑な家庭で食事を摂ることになるとは思わなかったが。