探偵のいない推理旅行【13】
朝になって砂橋からのメールが入っていたことに気づく。メールの本文には「羽田宏隆」とだけ書かれていた。
「羽田ってのはどんな知り合いだ?」
「事件で知り合った羽田グループの現会長だ」
「羽田グループって、あの?」
「あの」
俺の隣に座っていた宮岸が「うひゃー」と気の抜ける声を出した。今日も宮岸が運転手を買って出てくれたおかげで俺は助手席で優雅にカフェオレを飲んでいる。
羽田宏隆とは、潮騒館で出会い、それから時折事件に関係してきている。探偵事務所セレストが依頼人の紹介制のためか、羽田の知り合いからの依頼などを受けることもあった。
俺が誘拐された件にも羽田は関わっていて、殴ってやりたいと思っていたのもすっかり忘れていた。
彼とは事件で出会ったが、先月の夕暮れサロンの件では、彼自身が依頼人として探偵事務所へとやってきた。
「そんな忙しい人とよくアポがとれたな」
「俺もびっくりしている」
俺と砂橋と会う時は、忙しそうには見えないのだが、羽田グループの会長という時点で彼の忙しさは一般人の俺には分からない領域となっているだろう。
そんな羽田に今朝連絡したところ、午後一時から三十分ほどなら時間が空いているから、指定した場所に来てくれれば、話ができると言われたのだ。いくらなんでもタイミングが良すぎる。これも砂橋の根回しだろう。
俺は羽田に指定されたオフィスビルへと向かった。羽田グループの会長と会うには心の準備ができていないと言い出した宮岸は車の中に置いてきた。
まだ社員が入っていない見た目だけのビルの一階の部屋には客を通す部屋があり、そこの赤いソファーに座った俺を前にして、午後一時から数分遅れてやってきた羽田は笑った。
「久しぶり、という程でもないな」
「先月会ったばかりだな」
彼の依頼で砂橋が夕暮れサロンというホスピスへ向かったのは、先月のこと。
夕暮れサロンでは毒殺事件が過去に二度起こり、砂橋はその毒殺事件を解明するために潜入したが、結果、新しい毒殺事件が起こり、砂橋が刺されたりもしたが、最終的に依頼通り、砂橋は毒殺事件の犯人を見つけた。
俺の向かいのソファーに座りながら、彼はテーブルの上に薄い茶色の封筒を置いた。
「砂橋にこの前刺された腹の詫びをしたいと言ったら、これを要求されてな……」
茶色の封筒には何も書かれていない。これは羽田が砂橋に頼まれて用意したものだ。俺が中身を見てもいいものでもないだろう。
「分かった。砂橋に渡しておけばいいんだな?」
「ああ、俺が直接渡せればよかったんだが、俺と砂橋のタイミングがどうにも合わないみたいでな」
タイミングが合わない?
砂橋は一ヶ月間は休みだ。それなのに、タイミングが合わないなんてことがあるのだろうか。暇潰しに忙しいということはないだろう。砂橋の性格からして、それもありえるかもしれないが。
「そういえば、砂橋に何か問題を俺に出すように言われていいないか?」
俺は封筒を受け取りつつ、羽田に問いかけた。彼も忙しい身だ。話はすぐに終わらせた方がいいだろう。
「そういえば、問題を出すように言われていたな。確か「十一月期限のスイーツビュッフェの券をくれた人の名前は?」って言ってたな」
答えは赤西市香だ。
俺であれば、分かるような簡単な問題ばかりを出して、砂橋はいったいなにをしたいんだ。そして、この問題はいつまで続くんだろうか。
「夕暮れサロンの一件が終わったから、二人で遊んでるのか?」
「遊んでない。暇潰しに巻き込まれただけだ」
決して、俺が望んで砂橋の暇潰しに付き合っているわけではない。決してだ。
羽田は俺に対して、同情とも思えるような視線を向けてきた。
そんな目で俺のことを見ないでほしい。