探偵のいない推理旅行【9】
鍋と豚しゃぶ用の豚とごまだれとぽん酢。
用意された鍋の前に宮岸が両手を合わせて元気よく「いただきます!」と言う。三日前にテーブルの上にあったのはキムチ鍋で一緒に食べていたのは砂橋だったのだが、砂橋の姿は今ない。
「連絡は来たか?」
「来てないな。きっと砂橋も夕飯でも食べてるんだろ」
砂橋がいないうちに少しだけ高い肉を買って、テーブルの上に並べているのは、俺達のことを振り回している砂橋への当てつけというのもある。
「どこにいるんだろうな。アパートには行ったのか?」
「一応行った。いなかったから、今朝探偵事務所に行ったんだ」
そしたら、砂橋の暇潰しに巻き込まれた。いったい、どこに身を隠しているのか知らないが、見つけたら小言の一つでも言わなければならないだろう。
「砂橋がお前に何も言わずにいなくなるのって初めてか?」
「……まぁ、あいつは子供じゃないし、いちいち居場所を俺に報告する義務もないだろう」
今までだって、砂橋が何をしているのかよく分からない時もあった。しかし、その時でさえ、連絡はついたし、依頼中なら留守番電話に依頼だからかけてくるなという言葉が残されていた。
今回は留守電の設定さえされていなかったから、胸騒ぎがして、砂橋を探偵事務所まで探しにきたのだ。
あとは少し聞くことがあって、砂橋のことを探しているだけだ。それがなかったら、こんな暇潰しには付き合っていない。
ふと、スマホが震える。
砂橋からのメールかと思ったら、初めて見るメールアドレスからのメールだった。
笹川です、と丁寧に自己紹介はしてあるが、俺はいつ、笹川にメールアドレスを教えただろうかと首を捻る。
「砂橋か?」
「いや、笹川からだ」
「笹川って映像研究サークルの? あの後、砂橋のストーカーになったっていう?」
「その後は砂橋の提案によって探偵事務所の事務員になっているぞ」
「……なんで?」
「分からない」
ストーカーだった人間を身近に置いてもいいと思える神経が俺には分からないが、今はそこまで暴走しているようには見えないので、近くに置いて正解だったのではないかと思う。
視界に入らないところで何かされているよりは、視界の中でうろつかれている方がましなのかもしれない。
そんな元ストーカーの笹川からのメールは、簡潔だった。
『午後に来島一成が、砂橋さんに渡すゲームを持ってきたんですけど、どうやら彼にゲームのオススメはしばらくいいと言っていたみたいで、忙しいのかと聞かれました。』
来島一成というのは配信者が配信中に亡くなったと話題になった事件で「もしかしたら、自分が犯人かもしれない」と悩んでいた人間だ。
結局、来島は犯人などではなかった。事件解決後、砂橋がゲーム会社に勤務している彼にお金の代わりに要求したのは「オススメのゲームを定期的に教えてほしい」というものだった。
「……一ヶ月も休むのにゲームをしない?」
「あの砂橋がか?」
砂橋はゲーム好きのはずだから、休みがたくさんあれば、ゲームにその時間をつぎ込むと思っていた。ならば、今は何をしているのか。
本でも読んでいるのだろうか。いや、読まないでほしい。特に俺の本は。
「そういえば、俺も不思議なこと言われたんだよな」
「不思議なこと?」
「俺も牧場に行きたいって言ったら、砂橋が「弾正と二人きりで行けば? 僕は絶対に行けないから」って言われたんだよ」
「……」
砂橋が宮岸の誘いに対して「絶対に行けない」と答えるとは珍しい。いや、行かないなら分かる。行けないってなんだ。
嫌な想像が頭の隅にちらつく。
砂橋に限ってそれはありえないだろうと思って首を横に軽く振って、暗い考えを振り払うと俺は豚しゃぶをごまだれにつけて口の中に放り込んだ。