夕暮れサロン殺人事件【45】
古賀さんがあの後さっさと夕暮れサロンから去ってしまってから、樋口さんが古賀さんの部屋から僕の部屋にゲームのソフトを運んでくれた。手伝おうとしたら「怪我人は大人しくしてください」とひょいと持ち上げられてベッドの端に座らされた。
古賀さんの部屋にあったカラーボックスとゲームのソフトをぼんやりと眺めてから二週間経った。
僕は充電ケースの中に市香ちゃんからもらった眼鏡をしまいこんで、二週間、存分に楽しんだ。
子どものように走り回ることはしなかったけど昼夜問わず、ベッドの上に寝っ転がって、小説のページを捲っていた。読んだことある作品ばかりだと思っていたら本棚は横に可動式になっていて、奥に読んだことがないシリーズ小説が敷き詰められていた。
初日に確認していたが、時間はたっぷりあることだしと小説を読みふけって夜を迎えて寝て、暇な時に大久保さんたちとカフェスペースでお茶会をして、とても自堕落な生活をしているうちに僕が夕暮れサロンを出る日がやってきた。
「もう行っちゃうの?」
大久保さんが寂しそうに眉尻を下げている。その手にはクリスマスにツリーの下に置かれるほどの大きさの箱があった。きっと、いや、絶対に大量のおかしが詰まっている。
「はい。もう怪我も大丈夫になったので」
送別会がカフェスペースで行われることになって、雨宮さんと杉崎さん以外の全員が参加した。古賀さんの時に送別会をしなかったのは、彼が僕以外に夕暮れサロンを去ることを言っていなかったかららしい。
「見送りすると絶対泣いちゃうから私は絶対に見送りしないわ! あ、でも、他にも渡したいものは樋口さんに頼んで車に詰め込んでもらうことになっているから」
まだ手土産を僕に持たせるつもりか。
結局他のみんなも同じような理由で僕の見送りはしないことになった。勝俣さんと一ノ瀬さん以外は。
「本当に寂しいわ~。孫ぐらいの子が来てくれたからたくさんかわいがろうと思っていたのに……」
一ノ瀬さんは僕が刺された一件で大久保さんに「女の子」と言われてから大久保さんと同じく僕へのスキンシップが激しくなった。唯一の救いは僕が腹を怪我しているため、軽く肩を抱きしめるくらいのスキンシップだということだ。
「お孫さんは定期的に会いに来てくれるでしょう? 寂しくないですよ」
I棟から外に出ると勝俣優さんが僕の隣に立っている美琴さんを見て、目を見開いた。落ち着いていた優さんが美琴さんに駆け寄り、美琴さんも優さんに駆け寄る。
二人は話さないといけないことがたくさんあるだろう。
「元気でね、砂橋さん」
「はい。少しの間ですけど、お世話になりました」
一ノ瀬さんの特徴的な白と黒のストライプ柄のショートカットが風に揺れる。彼女は目元に皺を寄せて、改めてお礼を言った僕に微笑んだ。
「松永警視総監のお子さんは、息子が一人だけと聞いているけど」
背中に冷水をかけられたかのように呼吸が止まる。
ずる賢い狐が目を細めた。
「そういえば、あなたの目、とても松永警視総監にそっくりよ」
一ノ瀬さんはそう言って、しばらく僕の顔を見ているとおかしそうに「ふふっ」と声をあげて笑った。
「あら、とっても怖い顔」
「砂橋!」
少し離れたところから背中に声をかけられる。聞き慣れた声に振り返ると黒いバンの助手席から弾正が降りてくるところだった。
「邪魔者は退散するわね。お父さんにはよろしく言ってちょうだいね」
僕の返事など聞かず、一ノ瀬さんは夕暮れサロンの中へと戻っていった。




