夕暮れサロン殺人事件【44】
朝食後、ベッドで寝転がってぼーっとしている時にノックが聞こえた。レンズの向こうには古賀さんがいる。
「どうしたんですか? こんな朝早くに……」
扉を開けて、彼の足元の物を見て言葉が尻すぼみになる。彼の足元の小さなオレンジのコンテナに入ったリンゴジュースの瓶を見て、彼の目的が分かったからだ。
「朝早く? もう十一時だよ、砂橋くん。疲れてるなら今日一日は休んでるといい。君は三つも事件を解決したんだ。休む権利くらいあるはずだよ」
大塚さんを毒を入れたリンゴジュースで古賀さんが殺害した事件。
長良澪さんと井土侑大さんを結城さんが毒殺した事件。
杉崎さんが僕のことを刺した事件。
確かに三つも解決したが、古賀さんの件に関しては知らない人の方が多いだろう。
「実はね、娘が同居しないかって持ちかけてくれたんだよ。だから、娘のところに行けば、リンゴジュースはいくらでも飲めるかもしれないから、君に渡しにきたんだ」
コンテナに詰められた九本の瓶の中には一切の濁りがないリンゴジュースが入っていた。
「僕もまぁ、すぐに出て行きますから、ここが寂しくなりますね」
「うん。君の部屋を見ていると分かるよ。本当にすぐに出て行くつもりだったんだね」
僕はベッドの端に腰かけ、古賀さんは机の横の床にコンテナを置いて、部屋の中を見回した。
「全部新品だ。みんなで遊んだUNOやトランプも新品だっただろう? 元々大切にしているものがなかったのか、それともすぐにここを去ろうと思ってる部屋だ」
「……両方ですよ」
「それなら、ゲームも全部君にあげようかな」
古賀さんの部屋にあったゲームソフトの束のことを思い出す。百はあったと思うのだが、それを全部僕にあげようというのか。
「娘さんのところでゲームをやるんじゃないんですか?」
古賀さんは微笑んだ。
「獄中じゃゲームはできないだろう?」
「……娘さんと同居するんじゃないんですか」
彼は肩を竦めた。その笑顔はこちらが鬱陶しいと思ってしまうほど清々しいものだった。
「娘が旦那と一緒に育てて愛しているリンゴを凶器に使ったんだ。合わせる顔もないし、人殺しは許されていいものじゃないよ」
市香ちゃんの調べによると、元々大塚さんにリンゴ農家との契約を切るように言われていた今の代表取締役は、大塚さんの頼みに頭を悩ませていたらしい。古賀さんの娘さんがいるリンゴ農家は知名度も高くなってきているところでハンバーガーショップと連携してお互いに利益がでるような契約だったのに、一方的に契約を切ることはできない、と。
だから、大塚さんが亡くなった今、個人的な大塚さんの頼み事であった契約の中止はなかったことになった。
きっと古賀さんの娘さんは何も知らないのだろう。
大塚さんの死も、古賀さんがやったことも。知らない方がいいのかもしれない。
「ありがとう、砂橋くん。元々、隠してそのまま暮らしていくつもりだったけど、君に指摘されて自首しようと思ったよ。他の人に話さずに僕の決断を待っていてくれてありがとう」
違う。僕はそんな高尚な人間ではない。
古賀さんが大塚さん殺しの犯人だと周りの人間に知られたら、本来探す予定だった毒殺事件の犯人を捜査しにくくなると思ったから言わなかっただけだ。
だから、僕はそんなお礼を言われるような人間じゃない。
「君みたいな探偵がいてくれてよかったよ」
「僕は」
なんて言ったらいいのか分からない。でも、僕なんかにお礼を言ってくれた古賀さんを失望させたくない。ならば、最後くらい笑顔でいつも通りにするべきだろう。
「古賀さんとゲームをする時間がもう少し欲しかっただけですよ」
古賀さんはひとしきり笑うと、最後にもう一度僕に微笑んだ。
「僕もとても楽しかったよ、砂橋くん。また会うことがあったら、次も一緒にゲームをしてほしいな」
「その時には僕ももっとゲームが上手くなっているので、対戦ゲームもやりましょうね」
「その時が楽しみだ」




