夕暮れサロン殺人事件【5】
砂橋が資料を眺めている隣で俺も資料を眺めていると、ふと、自動扉が開く音が耳に届いた。
まずい。
今、探偵事務所に人が入ったら、この門外不出の資料を見られることになるかもしれない。
「あ……赤西さん」
俺が慌ててローテーブルの上に広がっている資料をかき集めてまとめていると困惑したような笹川の声がした。その声に反応して、砂橋も資料から顔をあげる。
二人の視線の先には、自動扉から迷いなく探偵事務所の中へと入ってきて、五つあるデスクのうち、笹川のデスクの向かい側のデスクに持っていたアタッシュケースを置いた女性がいた。
肩口まで伸びた烏の濡れた翼のような黒いまっすぐと伸びた髪と赤く太い縁の眼鏡をした女性は笹川を無視して、俺と砂橋の方を見た。
「市香ちゃん、久しぶり~」
砂橋がひらひらと手を振ると彼女はため息を吐く。
「私たちが留守の間、変わったことはありましたか?」
「なんにも~」
砂橋の言葉に彼女は眉間に皺を寄せた。砂橋の言葉とは対照的に笹川が「資料です」と女性のデスクに分厚いファイルを置いた。
「……砂橋さんがいつも通りなのは変わらないですけど」
赤西と呼ばれた女性はファイルを置いた笹川をじろりと見た。
「あなたがいまだにここに残っているとは思いませんでしたよ、笹川さん」
赤西の言葉に笹川は目を逸らした。
俺はいつも俺に突っかかってくる笹川や砂橋について回る笹川ぐらいしか見たことがないため、緊張している彼を見るのは新鮮だった。
赤西という女性は先ほどのやり取りからして、この探偵事務所セレストの職員だろう。
俺は砂橋と笹川ぐらいしか見たことがなかった。本当に他に働いている人がいるとは。
くるりと赤西は俺と砂橋の方を向いた。彼女はつかつかと歩み寄ってくると、ローテーブルへと視線を落とす。
「……依頼ですか」
「夕暮れサロンへの潜入捜査」
いくら探偵事務所の仲間といえど、簡単に夕暮れサロンのことを教えていいものかと俺は思わず砂橋を見た。いや、夕暮れサロンという言葉だけを聞いて彼女が状況を理解できない可能性もある。表情を見ると赤西の片眉がぴくりと動いた。
「……夕暮れサロン?」
「知ってるの、市香ちゃん?」
「知ってますけど……いったい誰からどんな依頼を受けたんですか?」
羽田から話を聞くまで知らなかった俺達とは違い、赤西は夕暮れサロンのことを知っているようだった。
どういう経緯で知ったのだろう。表に出ているわけはないから毒殺事件のことは知らないだろうが。
「羽田グループの現会長がとある人物を守ってほしいから、毒殺事件について調べてほしいって言われたんだよ」
本当にそんなにぺらぺらと話してもいいのか。探偵事務所の職員ということは分かるが、俺は砂橋や笹川と違って、この女性とは初対面だ。信用できるかどうかも分からない。
赤西と呼ばれた女性は顎に手を当てて、眉間に思いっきり皺を寄せると自分のデスクとローテーブルの前を行き来し始めた。五歩ほど歩いて、くるりと振り返り、また五歩歩く。それを五回ほど繰り返して、砂橋と視線を合わせる。
「潜入は砂橋さん一人ですか」
「うん。入居者として入れる枠は一人だけだし、偽装もしてもらったからさ。ああ、でも、依頼人が夕暮れサロン近くに別荘を買ったからそこに待機できるよ。そういえば、別荘の内装の資料ももらったけど、ベッドが二つしかないんだよね」
「分かりました。私も行きます」
赤西の言葉に俺は目を丸くした。笹川も自分のデスクで目を丸くして、口をぱくぱくと開閉している。何か言いたそうで言えない表情だ。
「いいよ。市香ちゃんが来てくれるなら心強い」
音もなく、赤西の向こう側で笹川が額を抑えて倒れた。




