弾正誘拐編【3】
「そちらの方は?」
西園寺さんの隣に座る男性を見ると彼は膝の上に両手を置いて、居住まいを正した。
「お、俺は彼女の彼氏……いや、婚約者です!」
僕は西園寺さんの方を見た。彼女はにこりと笑った。
「彼の名前は片桐耀太と言います。私の婚約者です」
西園寺薫さんは、リゾート経営やホテル経営などを運営している西園寺ホテルグループの会長西園寺紫吹の一人娘だ。
そんな一人娘の婚約者の服装は、百貨店で買ったようなもので揃えられていた。ダサいというわけではない。時計も高いものというわけではないだろう。
店員が二人にアイス珈琲とアイスレモンティーを持ってきた。
緊張で喉が渇いていたのか、片桐さんはアイスコーヒーに何も入れずにそのまま半分も一気に飲んでいた。
「今回、砂橋さんに依頼したいのは、駆け落ちについてなんです」
「……駆け落ち?」
駆け落ちって、あの、結婚を親に認められない二人が誰にも邪魔されないようにどこか遠くへと逃げること?
まさか、物語の中に存在してそうな出来事をしようとしている人がいるとは思わなかった。弾正がいたら、表情には出さないだろうが喜んだはずだ。
どうせ、心の中で「駆け落ちか……」とか呟いて、次は江戸時代を舞台にした駆け落ち話でも書き始めるのだろう。
「はい。実は、私の父に婚約を反対されてしまって……」
西園寺さんが隣にいる片桐さんを見る。
「俺が薫と一緒に挨拶をしに行ったら、どこの人間か分からないお前に薫をやれるか!って追い返されまして……」
困ったように片桐さんは頭を掻いた。
「でも二人は結婚したいんでしょう?子供じゃないんだからお父さんには内緒で籍を入れるとかはしないの?」
籍を入れてしまえば、いくら結婚に反対したとしても父親は片桐さんが娘の結婚相手だと認めなくてはいけないだろう。
しかし、西園寺さんは首を横に振った。
「お父さんは困った人なんです。過保護すぎて、私もドン引きするぐらい……だから、私が耀太と結婚しようとしても自分のできることなんでもして止めようとすると思うんです。大人げない手も遠慮なく使うでしょう」
「あー……そういう大人知ってるよ。相手するの面倒なのにとことんついてくるよね」
実際に経験したことがあるので、西園寺さんの状態も分かったし、僕の提案もゴミのようなものだったことも分かった。
籍を入れようとしても、父親が雇った人材が何かしらの邪魔をしてくるのだろう。金と権力と人材を持ちあわせた人間はやることのスケールが違うのだ。こっちが「さすがにやらないだろう」と思っている一線も平気で越えてくる。
それならば、父親の近くで籍を入れようとするのではなく、どこか遠くへ離れる方が賢明だろう。
しかし、僕には駆け落ちを手助けした経験はない。
他の探偵事務所のメンバーは分からないが。
探偵事務所に駆け落ちの相談が来ること自体、珍しいことだろう。
どうしような。
断る方がいい気がする。僕のような個人が西園寺ホテルグループの会長の一人娘への執着に勝てるわけがない。こちらは会長ほどお金があるわけでもないし、人とのパイプが太いわけでもない。
弾正もいないし、止める人もいない。
「すみませんが、駆け落ちの依頼なら」
僕の言葉を遮るようにしてスマホの着信音が喫茶店に響き渡った。思わず、自分のスマホを確認するが、僕のスマホではない。
「すみません!私です……」
西園寺さんは慌てたように鞄の中からスマホを取り出して、通話ボタンを押した。
店内に他の客がいなくてよかったと思いつつ、西園寺さんは電話に出た。
「もしもし……?え?お父さん?」
電話の向こうの西園寺紫吹にでも指示されたのか、彼女はスマホから耳を話してスピーカーモードにする。すると、スマホから低い男の声が響いた。
『薫。お前の婚約者は攫わせてもらった。返してほしければ、父さんと母さんの思い出の場所に来るように』
それだけ言うと通話は終わってしまった。
僕と西園寺さんは同時に片桐さんを見る。片桐さんは目を丸くして、自分のことを人差し指で指した。
「……俺、ここにいるけど?」