三つのチョコ【13】
「どうして、髪の毛入りなんかを渡したんだ」
俺が香に黒い箱を差し出すと彼女はため息をつきながらも仕方ないというように箱を受け取った。
「呪いよ」
「……呪い?」
「よくあるでしょう?呪いをこめて自分の体の一部を入れるとか……藁人形は怖いからバレンタインでちょうどいいかなって。こいつ、甘い物好きだし、他のチョコに紛れ込ませれば食うと思って」
それであのまがまがしい「食え」という一言か。
しかし、あの髪の毛が飛び出していたチョコは砂橋でも食べないだろう。
少しだけ疲れた俺は砂橋の隣のカウンター席へと戻ることにした。席につくとカウンターの向こうから湯気が立ち上っているブレンドコーヒーが出てきた。
「マスター……」
「おかわりは三十円です」
「……」
食えない人だ。
「どうして香ちゃんは彼に呪いのチョコをあげたの?」
質問をしたのは血入りのトリュフを四条マスターにプレゼントしようとしていた実だった。砂橋でも砂橋の腰巾着からでもない質問に彼女は視線を泳がせた。
「それは、こいつはひどい奴だからよ」
「……いったい何をしたんだ、砂橋」
俺は少しだけ声を潜めて砂橋に尋ねる。この程度の声の大きさであれば、店内の音楽に紛れてしまえると思ったのだ。俺の考えは当たっており、香には聞こえていなかったようだ。
「宇都部さんが告白してきたから断ったんだよ」
「どんな断り方をしたら呪いの髪入りチョコをもらうことになるんだ」
砂橋に告白をする人間はどうしてこうも執着心が強い人間しかいないのだろうか。呪いの髪入りチョコを食わせようとしたり、砂橋のことをストーカーして自宅に入ったり。
その全てに俺は巻き込まれている気がするのは、決して気のせいではないだろう。
「大学生の頃、こいつに告白したらなんて言ったと思う!?」
「君、誰?」
「そう!そう言ったのよ!今のトーンで!しかも笑顔で!」
相槌を打つように香の話の補足をした砂橋を香は勢いよく指さし、砂橋は涼しい顔でストロベリーアイスとコーンフレークを一緒に食べ始めていた。
「……大学生の頃か」
俺と砂橋の出会いは大学だったが、その頃の砂橋の行動を全て把握しているとは言い難い。俺は演劇サークルに入っていたし、砂橋は様々なサークルを転々としていた。その中で砂橋は香に会ったのだろう。俺が彼女のことを知らないということは彼女は同じ学部の人間ではないだろう。
「でも香ちゃんも大学生の頃の恋なんてよく引きずってられるね。しかも一回フラれたくらいで諦めるなんて根性があるのかないのか分からないよ」
実が肩を竦めた。
確かに現在十八回目の告白も失敗に終わった彼女の言葉だと思うと説得力がある。その言葉に香は何か思うところでもあるのか、言葉を詰まらせる。
それに追い打ちをかけるように砂橋が口を開いた。
「なに、宇都部さん、僕のことまだ好きなの?」
「はぁ!?好きなわけないでしょ!たまたま出勤ルート変えたらあんたのことを見かけて、昔の怒りがふつふつと湧き上がってきただけよ!」
「それでわざわざ髪入りチョコを手作りして渡す~?好きなんじゃないの~?素直になりなさいよ~」
どの立場から口を出しているのか、実は少し楽しそうだ。ここまで茶化されるとは思ってなかったのだろう。香は顔を赤らめている。
一瞬、砂橋の眉間に皺が寄ったように見えたが、それは気のせいだったようだ。
「宇都部ちゃん、ちょっとこっち来て」
砂橋が背の高いカウンター席からぴょんと降りて、香の手首を掴んで店のさらに奥にあるトイレへと向かった。「えっ、ちょっ」と動揺する香だったが、いきなりの出来事に断れず、二人してトイレに消えていった。
「……マスター、ちょっと遅いがモーニングは頼めるか?」
「はい。いつものでいいですか?」
「ああ、頼む」
表面に少し焦げ目がついた食パンにマーガリンとあんこをのせた一品にサラダ、そして茹で卵にコーヒーゼリー。一日のスタートをこのラインナップで始めることができれば、その日一日は幸福に過ごせるだろう。
しばらくして、トイレから妙にすっきりとした表情の砂橋と顔面蒼白となった香が出てきた。砂橋は自分の席へと帰ってきて、溶けたアイスによって柔らかくなったコーンフレークを堪能し始めた。
香はふらふらと心ここにあらず状態で、窓際の自分の席へと戻っていった。
状況が把握できていない実が「え、どういうこと?」と困惑していたが、俺も砂橋も語ることはしないだろう。そして、四条マスターはこういう時は我関せずだ。




