三つのチョコ【7】
俺はゆっくりと箱に蓋をして、俺はブレンドコーヒーを口に含んだ。マスターも一度息を吐いて、洗い終わった後のグラスの水滴を布で拭きとり始めた。
「……見間違いか?」
「いや、確実に人間の髪の毛だと思います」
「……飼い犬の可能性は」
「ないんじゃない?だって、何本もチョコから突き出してたじゃん」
唐突に生チョコパフェを堪能していた隣の砂橋から真実を叩きつけられた。
どうやら、砂橋も箱の蓋を開けたところを見ていたらしい。髪の毛が何本もチョコから出ているのを見ておきながら、よく先ほどと変わらずパフェを頬張れるな。
いや、何かを食べながら殺人事件の説明ができる人間だ。これぐらいのことがあろうと砂橋は気にしないだろう。
「いくらもらいものでも食べたくないね」
「だが、砂橋。このチョコは元々Sへという名目で紙袋の中に入っていたんだろう?なら、これはお前が受け取るべきものじゃないのか?」
「うげぇ。やだよ。僕、そんなの食べたくないし。それにSって言ったら笹川くんもいるじゃん」
砂橋は分かりやすく眉間に皺を寄せた。さすがの砂橋でもこんなものは食べられないらしい。それもそうか。俺も食べたくない。もし、世界中に食べるものがないと言われたら食べるかもしれないが、そんな状況にはならないだろう。
「Sへってどういうことですか?」
マスターが首を傾げた。
そういえば、彼には紙袋に貼られていた文章のことを説明していなかった。
「この三つのチョコが「Sへのバレンタインデーのチョコはこちらへ」って紙が貼ってある紙袋の中に入っていたんだよねぇ」
「その紙袋はどこに置いてあったんですか?」
「このビルの通路だよ。お店の隣の。真ん中に分かりやすくぽつんと置いてあったんだ」
「ふむ……」
何か思い当たる節でもあるのだろうか。
俺達がこの喫茶店に来たのは、この紙袋を置いた人物がこの喫茶店にいるかもしれないと思ったからだ。マスターが何かを知っているのであれば、この状況を一気に解決できるかもしれない。
「このビルにいるSなら私もそうですね」
「……はい?」
「私の名前は、四条晃ですから。ほら。しじょうって最初がSから始まるでしょう?」
俺は心の中で頭を抱えた。
宛先の候補が二人から三人に増えただけではないか。
「そうなんだ。マスターもSってことは、もしかしたらこの髪入りのチョコもマスター宛てかもね」
「それは遠慮したいですね」
四条マスターは肩を竦めた。こんなもの今すぐどこかのゴミ箱にでも捨ててしまいたい。
「他のチョコも中身が気になりますね」
「そうだよねぇ。弾正、ほら、開けてよ」
開けるのは全て俺に任せるつもりか。
俺はため息をついた。
先ほどのメッセージカードと箱は壁際に寄せて、次は白いリボンが巻かれた赤い箱を引き寄せる。こちらは先ほどの見るからにバレンタインという感じのしない包装とは違い、今日という日に贈るチョコらしさのある包装だ。
この箱にはリボンの結び目にメッセージカードが縫い付けてあった。二つ折りの白いカードを開くと、黒い枠の中に丁寧な字があった。
『好きです。絶対に振り向いてもらいます。』
メッセージの内容もそれらしいものだった。
「愛の告白だねぇ。でも名前はなくない?」
「振り向いてもらいますって書いてあるが、今の時点では振り向いてもらっていないというわけか?」
自ら手渡しにしていない時点で宣戦布告にも似た印象がこのメッセージカードからは感じる。
考えすぎかもしれない。
「さすがにこのチョコレートは普通のものだろう」
リボンを解いて中を確認しても、食べずに元に戻してしまえば大丈夫だろうと俺は白いリボンを解いた。中には一口サイズの丸いトリュフが入っていた。
「これはトリュフだな」
「美味しそう。食べてもいい?」
「大丈夫ですか?少し確認した方がいいと思います」
砂橋がトリュフを見て目を輝かせるとそれを四条マスターが止めて、カウンター越しに俺へと小さなフォークを渡してくる。
もしかして、中身を確認してくれということか。
さすがに拾った身でそこまでしていいのだろうか。
「一つぐらいだったらいいんじゃない?」
「……マスターも砂橋も共犯だからな」
俺は覚悟を決めて、端の方にいたトリュフをフォークでなんとか割った。
どろり、と赤黒いものが割った断面から他のトリュフへと流れ落ちる。
「……僕、そのトリュフは食べたくないかな」
すっと砂橋の手が横から伸びてきて、トリュフの箱に蓋を被せた。砂橋はため息をつくと、自分の水を飲み始めた。
「やっぱり、確認した方がよかったでしょう?」
「そうだな。こうなると後一つも怪しいな……」