探偵のオペラ【32】
「グラタン食べたい」
「今から帰ってグラタンを作らなければいけない俺の気持ちが分かるか?」
「全然分かんない」
砂橋は自分の首にマフラーを巻き付けた。手袋を外してポケットの中へと突っ込む。
「すみません、弾正先輩……。大変なことに巻き込んじゃって……」
「大丈夫だ。風斗のせいではない」
帰る支度をし始めた俺たちとは打って変わって、警察に連れて行かれた愛梨を除いた劇団員が観客席の前に輪になって集まっているところ、風斗は俺たちに近づいてきて謝罪した。劇団員の話に混じらなくていいのかと心配になるが、彼は続ける。
「そう言ってもらえてよかったっす!できれば、公演も来てもらえたらなって思ってて……」
「え、こんな事件があったのにやるの?」
砂橋が目を丸くした。風斗はきょとんとした顔をした。
「兄貴ならやりますよ。だって、公演は明日からで、もうチケットを買ってくれてるお客さんもいるんですから。中止なんかにはしません」
「じゃあ、ルノー役とエマ役は?」
「ルノー役は新にやってもらって、エマ役は祈にやってもらうよ」
どうやら劇団員での話し合いが終わったらしく、史也がこちらへとやってきた。彼の手には台本らしきものが握られている。
「じゃあ、新がやっていた悪魔役は誰がやるんだ?」
「他に人もいないし、俺がやるよ」
今まで裏方に徹していた史也がやるとなると、裏方は誰がやることになるのかは気になるところだが、それはこれから彼らが決めることだろう。あまり深入りはしないでおこう。
「なるほどね~。井上演劇設営者の創設者が演じるのかぁ」
それは少し気になる。
新が演じていた悪魔役を史也が演じ、愛梨が演じていたエマ役を祈が演じる。二人の演技は見たことがないが、役者が変わって、劇がどう変わるのか見てみたい。
「……チケットは、まだ残りはあるのか?」
俺の言葉に史也は照れくさそうに頬をかいた。
「ありますよ。二人分、用意しましょうか?」
俺は砂橋の方を見た。砂橋は首を横に振る。
「僕は遠慮するよ。巻き込まれ体質だから、また劇場で殺人事件を起こすかもしれないし」
砂橋が肩を竦めると「もう滅多にこんなことはないと思いますが」と史也は困ったように笑った。俺は史也から公演のチケットを買うと、もうすでに外に出る用意を済ませた砂橋と八ツ寺スタジオを出た。
「みんなは帰らないの?」
「明日から公演なのに役者が変わるからその打ち合わせをするんすよ。今日は徹夜かもしれないっす」
見送りをしてくれる風斗が笑顔のままそういった。
「大変だろうが、休息はちゃんと取るんだぞ?」
「分かってますって。弾正先輩も砂橋先輩も、今日はお疲れ様っした!」
砂橋のことを先輩と屈託なく呼ぶのは風斗くらいだろう。砂橋も微笑んで風斗に「そっちもお疲れ様」と声をかけた。




