探偵のオペラ【27】
よくよく見てみればその首には赤い痣のようなものが見える。まるで首でも思いっきり絞められた痕だ。
何故そんなものが匠の首にあるのか。
「もしかして、劇が始まる前にもう意識を失ってたとか?」
「推理小説の読みすぎじゃない?」
愛梨の言葉に砂橋はけらけらと明るい笑い声をあげた。
確かに俺たちは舞台上で演技を披露している匠を見ている。彼の意識があったのは確実だろう。そうでなければ、彼は意識がないまま、あの演技をしていたことになる。
「……誰も気にしてなかったと言えば嘘になる」
重い口を開いたのは少し離れた位置から映像を見ていた祈だった。その場にいた全員の視線が彼女に刺さるが、彼女は目線を下げることもしなかった。
「彼の痣を最初に見つけたのは二週間前よ。それで心配になって聞いたの。もしかしたら、ロープの調整が上手くいってなくて首が絞まってるのかって」
もちろん、首元が見える服を着ていたら彼の痣は見えてしまう。ルノー役の男は首までしっかりとシャツのボタンを留める男ではなかった。外ではマフラーなどをしていて痣は見えないだろうが、劇の練習中はどうだろう。一緒に演技をしていた人間であれば、彼の首の痣は見つけていたはずである。
「でも、彼は大丈夫って言うだけで何も教えてくれなかったわ。それどころかロープの点検もしなくていいって言ったのよ?」
祈はそこまで言ってやっと一息呼吸を置いた。
「あの時に自分の判断でロープの確認をしておくべきだったと後悔してるわ」
「祈さんはやっぱりロープに問題があったって考えてるの?」
「ええ。首が絞まって気を失ったんでしょう?だったら原因はロープしか考えられないんじゃないかしら?」
砂橋の質問に祈はさも当然のことだと言わん限りに自信満々に答えた。彼女のまっすぐな視線を受けて砂橋もうんうんと頷く。
「まぁ、ロープしかないよねぇ」
砂橋が椅子から降りて、舞台上のロープへと近づく。
「これって、匠さん用の身長に合わせて、身体を支えられるように調整してたんでしょ?具体的にどうやって?」
砂橋は手袋を両手にはめ直して、舞台に落ちたままになっているロープの端を掴んだ。両手でそれぞれの端を掴んだ砂橋はそれを繋げて小さな輪っかを作った。
「これが首にかける用の輪っかでしょ?猫谷刑事、ちょっとこっちにきて大きい輪っかの方を繋げてよ」
「なんで私が」
「役に立たないなぁ。じゃあ、弾正でいいよ。猫谷刑事から手袋もらってよ」
猫谷刑事の眉がぴくりと動いた。
「輪っかを作ればいいんでしょう?輪っかを」
いろんな感情が混ざり合って眉をぴくぴくと反応させたまま猫谷刑事は舞台まで歩いていくと砂橋の足元にかがんで大きい輪っかの切れ端を両手で掴んで繋げた。足元にできた大きな輪っかの中に入るように砂橋が両足を中に置く。
「このまま上にあげたってことでしょ?首吊り用も支える用もどっちかが短くても長くてもダメな状態。しかも、このロープは途中まで二つのロープを一つに編み込んでいる。編み込んだのが途中で別れて二つの輪っかになってるってことだけど……手作りのロープってことは、手を加えることも可能だよね?」
砂橋は持っていたロープの隅々まで観察するように両手で引っ張って視線を這わせた。
「ええと、これでしょ?」
砂橋の視線は、首吊り用の輪っかの結び目で止まった。いきなり猫谷刑事を見下ろして「持ってて」と首吊り用の輪っかを差し出す。ここまでこけにされたことがなくて、もはやどう反応していいのか分からない猫谷刑事は何も言わず表情を固まらせたまま思わず出してしまった手で首吊り用の輪っかを受け取った。両手が自由になった砂橋はかがんで足元にある大きな輪っかの結び目を見る。
「ああ、ほら、やっぱりそうだ。切り口が違うもん」
砂橋はそう言って、結び目を掴んで猫谷刑事の空いている方の手に今度は大きな輪っかの結び目を押し付けた。砂橋の言葉にその場にいた全員が猫谷刑事の周りを取り囲み、二つの結び目を比べ始めた。
猫谷刑事を取り囲む人だかりから「こっちのロープは鋏で切ったんじゃない?」「じゃあ、こっちはなんだ?」と各々好き勝手に話を始めるのが聞こえた。砂橋はそんな喧騒からいち早く抜け出すと、離れて見ていた俺と熊岸警部のところにやってきた。いや、やってきたのではなく、俺たちの横を通り過ぎた。
「……いつも通りだな」
「すみません、熊岸警部」
「弾正もよく砂橋と一緒にいて胃潰瘍にならないな」
「もう慣れました」
俺と熊岸警部は砂橋の後ろを歩いた。砂橋の行き先には控え室だけがある。