探偵のオペラ【22】
「新、大丈夫か?」
トイレの前には警察官が立っており、俺たちの姿を見て困ったように眉尻を下げてきた。その理由はトイレの出入口付近にある洗面台を前に号泣している男のせいだろう。
舞台上では冷酷に人の首を絞めて殺して見せた悪魔だったが、今やその仮面も剥がれ、みっともないほど頬を涙で濡らしている。
「俺、やってません!」
劇場によく響く低い声がだみ声になっていた。
史也は「大丈夫大丈夫」と宥めるかのように声をかけながら近づくと、彼の背中を撫でた。まるで動物病院に運ばれてきて飼い主と不信感を抱いているペットだ。
「桔平も本当に新がやったと思ってるわけじゃないから。な?」
「本当ですか……?」
「そうだよ。桔平もあんなことがあって驚いてるだけだから。これは事故だから。新のせいじゃない」
同じような言葉を四度ほど繰り返し、背中を撫で続けているとようやく新の号泣は収まり、彼は洗面台の前から離れた。
「本当に悪魔役の人?」
「そうだろう。服装がそのままだし」
砂橋がこそこそと俺に聞いてきたので小声で返す。どうやら、今の会話は二人に聞かれていなかったようで泣き止んだ新とそれを宥めた史也がトイレの出入り口から離れた。
「お騒がせしてすみません……」
「大丈夫大丈夫。まぁ、誰でもびっくりするよね。人が目の前で死にかけたら」
舞台上で人が意識を失っていても砂橋はけろっとした表情だったが、それには触れないでおこう。普通なら誰だって驚くはずだ。しかも、新は直前までルノー役の匠の首を、演技といえ、絞めていたのだ。一番気にしているのは本人だろう。