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過去編:ダニエルは霧の湖畔で 前編


 ダニエルにとって、世界は魔法に満ちているものだった。

 ティーカップは勝手に並ぶし、箒は空を飛ぶものだし、電気も炎も指ひとつで点いたり消えたりするものだった。

 風邪をひいたら母が薬を作ってくれたし、物が壊れたら父が一言で直してくれた。

 理由は無いけど“近付いてはいけない”場所や物があって、それを破ったら死んでも文句は言えないと理解していた。


 それが常識だと思っていたから、小学校に入った時、ダニエルは本当に驚いたのだ。


 みんな「魔法なんて見たこともない」って言う。

 たまに「動画で見たことがある」って子がいる。

 そんな世界が大多数にとっての普通(・・)で。


 魔法使いの素質が見つかるまで、ダニエルは少し怯えていた。

 魔法使いになれるのは毎年全国で三十人程度だと知った時、その恐怖は強くなった。

 両親が魔法使いであっても遺伝しない場合もある、と聞いた時は、怖すぎて眠れなくなった。

 二つ上の姉が素質を認められて、これで残りはダニエルだけとなった時、四人目はさすがに無理なんじゃないかと思って夜中に吐いた。


 もし僕に素質がなかったらどうなるだろう。

 家族の中で僕だけが魔法を使えない。そうなったら僕はどうなるのだろう?


 その頃から“不良品”とか“失敗作”とか“欠陥品”とかいう言葉が嫌いになった。

 そういうものは無慈悲に処分されていく。


 僕も同じように処分されるかもしれない。

 素質がない“不良品”だったら、家を追い出されるんじゃないだろうか。


 一番上の姉――家を継ぎ、やがてドルイドの総長となることが決まっている姉は、ダニエルのことを何度も励ました。


「大丈夫よ。素質がなくたって、あんたはあたしたちの家族なんだから。魔法が使えようが使えまいが変わらないわ。家を継ぐってわけでもないんだし。誰もあんたにプレッシャーなんかかけないわよ。気楽にしてなさい」


 †


 アンブローズ・カレッジの入寮式は、一風変わった方法で行なわれる。

 新入生たちは初めての登校の日、玄関ホールで校長先生の話を聞く。それから、各寮の監督生が、それぞれの寮の特徴を話すのだ。


日輪寮(ハウィル)の監督生、ベアトリス・ドゥルイットよ。よろしく一年生たち」


 それはダニエルの二人目の姉だった。姉たちは三人ともハウィルに入っていた。


「ハウィルは太陽。三賢人の一人、太陽の愛し子、最も広く、分け隔てなく、魔法を教え伝えた偉大なるお人よ」


 ベアトリスはエメラルドの瞳を爛々と輝かせながら、流暢にしゃべった。


「この学校の創立者、アンブローズをはじめとする多くの魔法使いたちを弟子にとって、誰より教育に熱心だったの。魔女狩りの時代を真正面から乗り越えた勇気ある人物としても有名ね。誰もを愛し、誰からも愛された、それこそ太陽の魔法使い。それがハウィル。だから、この寮に入る人は勇敢で、誠実で、愛ある人間じゃないとダメ。オーケー?」


 明朗快活にしゃべり終えると、栗色の長い髪の毛をサッと払って、一歩後ろに下がる。


明星寮(ヴェヌス)、監督生、ヴァネッサ・リーズ」


 入れ替わりに出てきたのは、根暗な感じの女性だった。ほとんど黒に近い焦げ茶のチリチリした髪を野放図にしている。


「ヴェヌスは金星。三賢人の一人、明星の側近、境目を歩く者。魔法を誰よりも深く理解した者。魔法使いのための組織を作り上げた」


 前髪の隙間から覗いた色素の薄い目が、ぐるりと新入生たちを睥睨する。


「真理を追究した。何より己の知識と技術を高めることに邁進し、現在の魔法の基礎を確立させた。一方で、魔法使いを保護した。志を同じくする魔法使いたちを愛し、その繋がりをもって更なる磨きをかけようとした。強い二面性、明星の魔法使い。秘匿した研究と情報の共有。すべては魔法界の栄華のため。志を同じくするならば、ここへ来るといい」


 終始淡々と話し終えて、彼女はぬるりと後ろに戻った。


月下寮(シェリ)の監督生、ロバート・マックロイだ。ようこそ諸君」


 最後に出てきたのは、ラグビー選手のような体格の男子学生。


「シェリは月。三賢人の一人、月光の守護者にして最も自由な孤高の存在。誰に縛られることなく、誰を縛ることもなく、ただすべての脅威を退けた人物だ」


 魔法使いにしては珍しく短く刈り込んだ髪形をしていたが、堂々と胸を張った立ち姿は自信にあふれていた。


「吸血鬼や人狼を一人で制することができた唯一の――いや、現代では唯一ではなくなったけれど、とにかくすごく強い魔法使いだ。彼がいなかったら解決しなかったと言われている事件は五万とあって、その功績はとてもじゃないが言い切れない。どんな絶望にも屈することなく、夜を照らした月光の魔法使いだ。ここにあるのは自由と力! それだけさ」


 そう言ってウィンクを一つ。

 彼が言い終わると、残りの二人が再び前に出てきた。


「さ、それじゃあ、決めなさい!」


 ベアトリスが手に持っていた小さな箱の中身を、ダニエルたちに向かってぶちまけた。

 ばらまかれた小さな金色の鍵が、ふわりと浮かんで一人一人の手元に収まる。


「学校は道を照らす光でしかない。どの光を見てどの道を進むかは、自分で決めることよ!」

「扉はすでにある。鍵を差し込み、好きな寮へ入るといい」

「隣の子と話し合うのは無しね。僕らへの質問はいつでもどうぞ。何かあったら手を挙げてくれ」

「さぁ、進みなさい! 制限時間は無いけれど、あんまりもたもたしてると怒るからね!」


 ダニエルは思わず周りを見回した。

 半分くらいの子たちはダニエルと同じように戸惑った表情で周りを見ている。何人かは俯いて考えている様子で、また何人かはすぐに歩き出した。

 少し濃い肌色で、明るい茶髪の子が、真っ先に明星寮へ入っていった。扉が開いた一瞬だけ歓迎の声が聞こえて、すぐに消えた。


(どうしよう……どうしよう……?)


 ダニエルは考え込んだ。

 日輪寮(ハウィル)か。

 明星寮(ヴェヌス)か。

 月下寮(シェリ)か。

 自分にはどこも合っていないように感じた。


(姉さんたちと同じところに行こうかな……いや、でも……自分で決めろ、って……)


 そこまで考えたところで、ダニエルの思考は止まった。考えている風で何も考えていない状態になった。真っ白だ。結論どころか問いすら立たない。ただ恐怖に似た感情に急き立てられて、呼吸だけが荒くなっていく。


「あの、すみません」


 はたと気が付くと、ホールには三分の一ぐらいの人しか残っていなかった。

 その内の一人――とても綺麗な金髪の男の子が、真っ直ぐ手を挙げている。

 その子は上品な発音で、同い年とは思えないほど丁寧に聞いた。


「ミスター・マックロイにお伺いしたいのですが」

「うん、何かな?」

「シェリという方は、どうして三賢人の一人に挙げられているのですか?」

「……」

「あっ、あの、すみません、その――」

「うん、鋭い、良い質問だ。どうしてシェリが三賢人の一人なのか、ね。うん、確かに、話だけ聞いたら“賢人”っていうよか“戦士”って感じだものね」


 月下寮の監督生は、階段の手すりにもたれかかって、にこりとした。


「細かいところを見ていけば、シェリがただの戦士でなかったことは明白だ。研究書もたくさん残っているし、優秀な弟子たちも、ハウィルやヴェヌスに比べたらものすごく少ないけれど、きちんといる。ただ、彼は本当に不思議な魔法使いでね。素直にそういうところを認められないっていうか……」

「正直に言ったら? とんでもなく自意識過剰なナルシストだった、って」


 ベアトリスが口を挟んだ。

 明星寮の監督生も薄く笑って「敵を倒す以外になんの能もなかった魔法使い」と呟いた。

 彼はムッとした様子など欠片も見せず、へらへらと笑って、


「僕への質問だよ。外野は黙っててくれ」


 と切り捨てた。


「性格に難があったのは彼女たちの言う通りだ。けど、それはハウィルもヴェヌスも同じことだからどうでもいい。ただ彼の場合――本当に掴みどころがないんだ。彼は自伝の類を残さなかったし、彼の弟子たちもほとんど語らなかった。唯一残された、ほんのわずかな記述によれば、シェリは評価されたくて活動していたわけじゃない、という。研究も、実戦も、弟子の指導も、ただやりたかったからやっただけ、というような具合だったとね。

 じゃあどうして三賢人の一人にいるか、っていうと、後の二人、ハウィルとヴェヌスがそうしたからなんだ。三、という数字は安定をもたらす数字だ。だから魔法界の頂点も三点あった方がいい。そうした時、ハウィルとヴェヌスに並び立つ者、どちらにも決して与することなく三点を保てる者、そして世界を自由に飛び回れる者として、最も適した人物がシェリだった、というわけさ。実は彼は、三賢人にはなりたくてなったわけじゃないんだよ。

 ――というのが通説。まぁ大昔のことだから、正確なところは分からないんだけど。こんな感じで、答えになったかな」

「……はい。ありがとうございます」


 そう言って、金髪の子は手の中に目線を落とした。それから鍵をグッと握りしめて、月下寮の扉に向かっていく。

 ダニエルはその子が、歩き出す直前に「なりたくてなったわけじゃない……」と呟くのを聞いた。


(……なりたくてなったわけじゃない……?)


 どうして今の子はそんなところに反応したんだろう?


(もしかして、魔法使いになりたくなかった、とか?)


 そんなことがあるのだろうか、と自分で自分を疑った。魔法使いは選ばれた人間だ。毎年三十人前後――今年は少し多くて、三十五人だった――しか、この学校には入学できない。入学して卒業すれば、将来は確約される。魔法使いの国家資格を持っていれば、魔法庁にはほぼ確実に入れるし、軍や政府にもポストが用意されている。

 そういうところから離れても、魔法という特別なものを扱えることに、ワクワクしない人なんかいないはずだ。


(どうして……? 僕なんか欲しくて欲しくてたまらなかったのに!)


 理解が出来ない――知りたい。

 魔法を求めない人間の意見を聞きたい。

 自分では想像することも叶わない世界を見たい。

 そんな欲求に突き動かされたことを、ダニエルは理解していなかった。ただ反射的に金髪の少年の後を追って、月下寮の扉を開けていた。


 †


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