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ヴィンセント・ボイルの回想録 2


「ちょっとやりすぎましたかね」

師匠(マスター)って、めちゃくちゃ負けず嫌い?」

「鋭いですね、ヴィンセント」

「いや、誰でも分かるだろ」


 喫茶店に座った時、初めてちゃんと顔を見た。それで、これまでは“真っ赤なコート”の印象に完全に塗り潰されていて、顔をきちんと見ていなかったことに気が付いた。


 よく見てみると、スリム・ウルフは俳優みたいに整った顔立ちをしていた。


 鼻筋が通っていて、わりと線は細い。けど華奢な感じがしないのは、顎の周りが結構しっかりしているからだろう。

 くっきりとした二重の瞼――は、なんていうんだろう、重たげ? な感じで、ちょっと俯いていると落ち込んでいるように見えた(あとから知ったけれど、こういうのを“アンニュイな感じ”って言うらしい)。

 瞳の色は真っ黒。右と左でわずかに目の大きさが違った。右目の方がほんの少しだけ小さいみたいで、見ているとそこはかとなく不安な気持ちになった(そこを“セクシーだ”って言った人もいる。俺にはよく分からないけど)。

 ほくろとかそばかすとかニキビとか、そういうものは一つもなかったけれど、右側の顎と首の境目に小さな傷痕があるのが見えた。

 魔法使いらしく指輪はたくさん着けているのに、ピアスの類は着けていない。

 瞳と同じくらい黒い髪の毛を首の後ろで括っている。アーネストのさらっさらなストレートとは少し違って、ちょっと硬質な感じだった(今なら分かる。あれは強情な性格を反映してそうなったんだ)。


 そんな奴が子どもと大差ない仕草で大口を開けてサンドイッチに食らいつき、山盛りのポテトで頬っぺたを膨らませているのだから、なんともミスマッチに思えた。まるで子どもが外側だけ大人になってしまったみたいに。


 昼飯を食べ終えて、俺たちの話を聞いている時のスリム・ウルフは、なにか深く考え込んでいるような顔をしていた。


(俺らのこと、絶対に疑ってる――)


 その沈黙があんまり長いものだから、俺は段々イライラしてきた。


(――ちょっとでも信用してみようかと思ったら、これだ!)


 うっかり騙されそうになっていた自分にも腹が立つ!

 それで思わず悪態が口を突いて出たのだ。アーネストなんかすっかり騙されて! 大人の悪いところを散々見てきたくせに、それで一番傷付けられているくせに、どうしてアーネストは懲りないんだろう?

 どうして俺みたいにスレないんだろう?

 これじゃあまるで、生まれが違うから俺だけ悪者になっていくみたいじゃないか――


 俺たちの喧嘩を無理やり収めたスリム・ウルフは、少し悩むような素振りを見せた後、


「君たちの証言の真偽は問題ではありません。正直に言えば、どうでもいいのです」


 と言った。

 ほら見ろ、やっぱり信用されてないじゃないか――と思った俺が口を開くより早く、そいつは続けた。


「私は私が見た事実しか信用しません。今私が持っている事実は、“君たちが殺されかけた”ということです。これは、ここにいる四人が共通して持っている、疑いようのない事実ですよね。であれば、そうなった原因が取り除かれない限り、今後も警戒を続けるべきでしょう。私も出来るだけ警戒しますが、自分たちだけでもある程度身を守れるように、空いた時間で少し戦い方をお教えします。私の考えは以上です。……何か、質問は?」


 俺は何も言い返せなかった。呆気に取られた、という言葉が正しいのかもしれない。

 スリム・ウルフはちょっと怒ったような表情をしていたが、それは表情だけで、声はずっと静かなままだった。言い回しも丁寧なまま、ちっとも崩れていない。

 理屈も単純で分かりやすいものだった。見たことは信じる。見ていないことは信じない。信じた以上はそれをもとに動く。事務的だけれど間違いがない。迷いもない。――温度もない。


(冷たい……)


 鋼鉄の鎧を着込んだ騎士のように思えた。


(けど、はっきりしてんのは嫌いじゃない。少なくとも、変な綺麗事とか耳ざわりの良い言葉で誤魔化そうとする奴よりは、まだ――)


 ――まだ信じるには足りないけれどな!(嘘だ。この時にはほとんど信用していたけれど、内心で散々反発してきた手前、素直に認められなかったんだ。)


 そんな意地もすぐに消えた。

 魔法庁でスリム・ウルフの同級生だという三人組に絡まれた時、彼が舌先三寸であんまりにも鮮やかに追い払ったのを見たからだ。思わず拍手したくなるほど鋭い切り返しだった。この反撃方法を学べたら、ネイピアとか教師どもの厭味にも言葉だけで対抗できるかもしれない!


師匠(マスター)

「なんですか?」

「師匠のその減らず口のラインナップって、どっから出てくんの?」

「読書と映画、それと普段の思考トレーニング……」


 そこまで答えてからふいに師匠は言葉を切って、俺の方を見た。


「そんなこと学ぼうとしないでください。平穏に生きようとする限り、必要のないものなんですから」

「それは分かってんだ……」


 自覚したままわざと殴り合ってる。ここで俺は確信した。これまでの言動も踏まえて、総合的に判断を下す――この人はたぶん子どもだ。俺らと大差ない子ども。どこがどうってハッキリとは言えないけれど……間違いないと思う。

 で、大人じゃないなら、信用しない理由はない。

 そう思ったら一気に肩の荷が下りて、ちょっと楽しくなってしまった。

 思わず笑ってしまったら、不審そうな目で見られた。けど追及はしてこない。うん、分かってきた。師匠は極度のめんどくさがりで、他人と関わるのが好きじゃない。でも仕事はきっちりやる。そういう人間。真面目な子ども。


(ずぶとくなったアーネストみたいな感じだな)


 アーネストにもそういうところがある。基本は真面目で真摯、誰にでも分け隔てなく接するけれど、壁が高くて厚くて親友は少ない。


(これなら一ヶ月ぐらいは、そんなストレスを溜めずに過ごせそうだ)


 夜になって、当然のようにベッドを明け渡してくれた師匠は、リビングのソファを寝床に変えた。

 俺はベッドに寝ころんで、今日知ったことをノートに書き出していった。

 隣に寝転がったアーネストが、腕を組んで、天井を睨むようにしながらうーんと唸っていた。


「……どうした? アーネスト」

「え? ああ、いや……」

「クィルターに言われたこと?」

「うーん、それも気になるんだけど……」


 アーネストはごろんと転がって、こちらに顔を向けた。


「師匠がさ、時々すっごく悲しそうな感じになるの、気付いた?」

「悲しそうな感じ?」


 俺は思い切り首を傾げた。そんな風になる時、あっただろうか?


「あの人から一番縁遠いだろ、その感じ」

「そうかな……ダニエルは?」

「僕に分かると思う?」


 鈍感を自称する(そして実際にものすごく鈍感な)ダニエルは、アーネストの問いをあっさり切り捨ててベッドに飛び乗ってきた。


「あ、でも……同じかどうかは知らないけど、魔力の感じは、雨が降る直前のにおいだったかな」


 ダニエルのたとえは本当に独特だ。純血のドルイドの持っている特性で、魔力を自然のもののにおいで感じるらしい。(ダニエルはあんまりよく分からないと言っている。ちなみにアーネストの魔力は「さっきまで日向ぼっこしててご機嫌だったのに突然雨に降られてずぶ濡れになっちゃったラブラドールレトリバーの毛皮のにおい」と言っていた。俺のことを何て言っているかは知らない)


「同じだよ、たぶん」


 とアーネストは頷いて、また仰向けになった。


「雨が降る前って寂しくならない?」

「いや、まったくなんねぇな」

「僕はむしろ嬉しいよ。雨っていいじゃん」

「マジかー、俺少数派かよ」


 気落ちした振りで両腕を振り上げて、それからアーネストはぽつりと呟いた。


「師匠、好い人そうだし、良かったよな」

「うん」

「……まぁ」

「お、珍しい。ヴィンセントが素直に認めた!」

「めっずらし~!」

「うっせぇ! 魔法の腕は噂通りだなって思っただけだよ!」

「え~またまた照れちゃってぇ」

「魔法もだけど、言語センスもヴィンセントの好きな感じだよな? あの減らず口とか」


 アーネストに見透かされているのがちょっと腹立たしくて(照れただけだ)、俺は「もう寝るぞ! 疲れたし!」と布団にもぐり込んだ。



>その男、スリム・ウルフ、腕も立つけど弁も立つ←?

>同級生だという三人組、嫌われてる?

>ネイピア(大)と仲が悪い、クィルターとはよく分からない(ハゲ魔法をかけたくらいだから嫌ってるのかも)

>時々悲しんでるとアーネスト。雨が降る前のにおいがした、とはダニエル



>朝起きるのが苦手らしい

>エイブラハム・ウルフ、関係ある?

>若い頃の写真、師匠にすごく似てる。たぶん父親だ、とアーネスト



 ノートを見られた時はさすがに怒られると思った。怒らなくとも、機嫌を損ねるだろうと。

 でも、思っていたようなことにはならなくて。

 父親のことを話している間も、ずっと淡々とした調子で、何も感じていないような顔をしていた――と思ったのは、俺とダニエルだけだったようで。

 師匠と同じように腕を組んだアーネストは(こうやって同じ仕草をすることを“ミラーリング”って言って、心を重ねたいときに利用したりするらしい。後からアーネストに聞いたら、そんなことしてた? って首を傾げた。無意識だったようだ)、師匠の顔を「冷たい顔」だと言った。

 師匠はそれを否定しなかった。

 話を切り上げた師匠は約束通り、情報保護魔法と、それによく似ている追跡妨害魔法を教えてくれた。


「追跡妨害魔法は学校では習わないものですが、図書館の本を読めば一年生でも使えるようになりますので、校内で使っても平気ですよ。君たちには必要そうですから」


 と師匠はいつもと変わらない感じで笑った。


 その夜、俺はなんだか眠れなくて、布団の中に縮こまって暗闇を見つめていた。

 なんだか胸の奥がもやもやしていた。

 師匠の父親は師匠を嫌っていた。でも師匠は父親のことを嫌いだとは言わなかった。嫌われたら嫌いになるのが普通じゃないのか? 自分を嫌っている相手が遺したコートをいつまでも着続けるだろうか?(そういえば、“良いものだ”って言いながら、汚水でドロドロになるのをまったく嫌がっていなかった。ちょっと矛盾してると思ったんだ。)魔法使いを嫌っていたなら、魔法使いの役をするだろうか? 仕事なら嫌なことでもするのがプロ? 師匠もそうなんだろうか?


(――そっか、俺たちのことだって――)


 嫌々預かっているのだろうし、と思った瞬間、何か冷たいものを首に押し当てられたような感覚がした。

 それはこれまでに味わった“追い払われる直前”のざらりとした感触とは少し違った。

 もっと湿り気があって、鋭くて、痛いような気がした。けれど、何がどう違うのかはハッキリとしなかった。(思い返すと、その違いは“諦めが付くかどうか”だった。この時点ですでに、師匠に追い出されるのはけっこうなダメージになることが予想できていたのだ、と正直に書いておく。)


 そんなことを考えながら、ようやくウトウトし始めた頃に。


「――ぅ、あ……っ!」


 小さな呻き声が聞こえたと思ったら、アーネストががばりと起き上がった。


(ああ、いつものか)


 アーネストは時折こうやってうなされて飛び起きることがある。それは寮でも変わらない。しばらく固まってから倒れるようにしてベッドに戻って、再び寝始めるのが通例だ。最初の頃は心配したが、当の本人は夢の内容をまったく覚えていないらしくケロッとしている。だから、もうあまり気にしていなかった。

 ところが、今回は少しだけ違った。

 アーネストは静かにベッドを下りると、寝室を出ていった。


(……? どうしたんだろう)


 不審に思って後を追った。中途半端に開いていた扉の隙間から、リビングを覗く。

 夜目が利くタイプで良かった。魔法を使ったら絶対にバレる。

 師匠としゃべっているようだったが、声はほとんど聞こえなかった。


(夢……感情……そういや、クィルターがなんかそんなこと言ってたな)


 やめなさい、と押し殺し切れなかったような師匠の声がハッキリと聞こえた。それから、声は再び闇に潜って、ぼそぼそと柔らかな響きに戻った。


(何の話してんだろう……――あっ、やべっ)


 寝落ちたらしいアーネストを抱えて、師匠がこちらに来る。俺は慌ててベッドに戻って、今まさに目を覚ましたばかりですよ、という顔を作った。


「どうかしたの?」

「寝ぼけてこっちに来ただけです」


 師匠はさらりと返しながらアーネストを布団の中に放り込むと、「おやすみなさい」と言って出ていった。


(……手が震えてたし顔色も悪かったし、顎に力が入ってた)


 緊張、あるいは恐怖。そういう類の感情。それがアーネストのせいで呼び起こされたことは間違いなさそうだ。でなければ「やめなさい」なんて言葉は出てこない。

 もやもやしていた胸の中がいっそう重たくなった。


(なんでみんな、そんなに悩むことがたくさんあるだろうな)


 俺だけ特別に楽天的で、能天気で、馬鹿みたいじゃないか。

 ――でも、自分の悩みがないから、他人のことに頭を使えるのかもしれない。そう思ったらなんだか悪くない気分になって、俺は枕に頭を落とした。

 何時に寝ようが変わらず起きられる自分の体質に感謝したのは、この日が初めてではない。


 翌朝、こっそりアーネストに昨日の夢を聞いてみたが、やっぱり覚えていないみたいだった。ただ、「すごく悲しい夢だった……ような、気がする」とだけ言っていた。随分遅くなってからようやく起きてきた師匠は、昨日のことなんて何も無かったかのように振る舞っていた。本当に何も感じていないのか、取り繕っているのかは、判断できなかった。そういう演技力はあるらしい。さすが大俳優の息子……って言ったら、機嫌を損ねるだろうか。



>エイブラハム・ウルフの息子だった(確定)

>世界一簡単な魔法 演技 父親から習ったんじゃないか?(聞けなかった)

>ヘンウッドとは元ルームメイト

>幻の宝物庫 侵入経験あり ゴヤの怪物を倒した後に道がある



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