後日談:アーニーって呼ばないで 後編
†
『やあ、ウルフ・ジュニア! ご無沙汰だね!』
アーチは記憶を掘り返した。この声。そして“ウルフ・ジュニア”の呼び方。自分をそんな風に呼ぶ人は一人しかいない。
「バーミンガム監督、ですか?」
『そうさ! ハーハハァー、覚えていてくれて嬉しいよ!』
陽気なおっさん、と言う他ないこの人は、『ヴァルプルギス・ナイト』の監督を務めた人だ。特に父を好んで起用してくれたので、名前を忘れることはありえない。
声まで覚えているのは、『ヴァルプルギス・ナイト』の撮影の時と父の葬式の時に話したことがあったからだ。当時、暴走してしまった魔性生物を追って撮影現場に乱入したアーチを捕まえ、無理やりオープニングに登場させたのもこの人である。
『お姉さんから君の番号を教えてもらってね! どうしても話したいことがあったものだから! あ、今いいかい? 大丈夫?』
「ええ、平気ですよ」
相変わらずノリと勢いの強い人だ。アーチは苦笑しながら、ソファに座り直した。
『良かった! あのねぇ、実はねぇ、ああその前に!』
さすがの彼も少しだけトーンを落とした。
『エイブを殺した犯人、捕まったんだってね』
「はい。グループの内の一人ですが」
『一人が捕まったならきっと残りもすぐさ』
「……そう願っています」
口ではそう言いながら、実際は無理だろうと思っている部分があった。一人捕まっただけでも大きな一歩なのだ。今頃プレイステッドは何度も何度も尋問されているに違いない。場合によっては、拷問じみたものも受けている可能性がある。それだけ、一つ目と逆さ十字団の存在は魔法界にとっても頭痛の種なのだ。
こういう時だけ、警察権が分かれていて良かったかもしれない、と思ってしまう。警察では出来ない捜査が魔法使いには出来るから。それがどんな非道な行いでも。
『それでだね、その、これでようやく提案が出来ると思ったんだ、ウルフ・ジュニア』
「提案?」
『そうさ。「ヴァルプルギス・ナイト」が二部作だという話は聞いたことがあるかい?』
「ああ……はい、聞いたことは」
『実はだな、エイブとは二作品すべてに出演してもらうという内容で契約していたんだよ』
それは初耳だった。
『ところが、あの事件だろう? 無論、事情が事情だから違約金なんて発生しないさ。こちらは一作分だけ契約金を支払って、そこで打ち切りってことにしておいた……の、だけど、ね』
「……」
『エイブがやりかけの仕事がそのままになっていることを許すと思うかい? 思わないだろう? かといって代役を立てるのは難しい! あの映画はエイブが主人公をやるから成り立っていたんだ! 脚本家もエイブ以外では想像が出来ないと駄々をこねるし何より僕だって嫌だ! だからこれはもう完全にお蔵入りにしようかなと思っていたんだ! が! ね! ウルフ・ジュニア!』
バーミンガム監督の声は徐々に熱を帯びていった。
『実は君のことを少し追っていたんだよ! フリーランスの魔法使いなんだってね? いろんな人から魔法に関連する仕事を引き受けている、と! その時に着ているという真っ赤なコートはエイブのものだろう?! 先日高速列車から飛び降りて颯爽と箒に乗って飛び去っていったのは君だよね?!』
「あー……」
そういえばそんなことをした。動画を撮られたかもしれないとは思った。確かに、この時代撮った動画はネットに流すだろうし、流れたなら誰が見ていてもおかしくない。
「おそらく、そうだと思います」
『だよね?! 見たんだが、いや本当に、そっくりだ! 驚いた! みんなに見せびらかしてみんなそう言った、エイブの生き写しだと! そこでだ!』
なんとなく話の続きが読めた――自分が何て答えるか、も。
監督はふいに落ち着き払って、真摯な声で言った。
『君に仕事を頼みたい、アーチボルト・ウルフ。僕の映画に出てくれないか? エイブだって、君が代役なら文句を言わないだろう。……本当はもっと早く頼みたかったんだけれど、君の心が落ち着いてないんじゃないかと思ってね。今なら……どうかな?』
自分はいろんな人に気を遣われていたらしい。気遣われないように頑張っていたつもりだったのに。気遣われまいとしているのを見透かされて、あえて放置されていたみたいだ。
(まだ僕は子どもだったんだな)
そう思ったらなんだか愉快な気分になってきてしまって、そのままアーチは跳ねるような声音で返事をする。
(……次彼らに会った時に、驚かせてやろう)
いつになくわくわくしてきて、アーチは少年のように笑った。
†
「で、お前らは上手くいったわけ?」
自室に戻ってアーネストが聞くと、二人は得意げな顔で頷いた。
「当然だろ」
「バッチリだよ!」
「結果は明日の朝、だけどな。完全犯罪だ」
それなら自分が体を張ったかいもあった、とアーネストは満足して頷いた。
何かと突っかかってくるジェフリー・ネイピアとそのご一行様に、仕返しをしたくてたまらなかったのだ。
弟子入り(仮)したあの日も、しつこくアーネストを「やーい落ちこぼれ、問題児!」「むしろ君のおかげで、キャベンディッシュ氏はもっと勢いづくかもね」「“これだから魔法使いは管理制限するべきなんだ”って!」などとなじってきたから、つい殴りかかってしまって師匠に止められたのだった。
それが不完全燃焼を起こしていた。
もっと前からの恨みつらみも溜まっていた。
だが、仕返ししようにもなかなか出来ずにいたのだ。彼は無駄に魔法の才能があったし、下手につつくと本当にネイピア長官に告げ口されて、そこからミル先生あたりに誇大された報告がいって、厳重な処罰がやってくるに決まってるから。
ヴィンセントがベッドに寝転がった。
「いやー、本当に、良い魔法を教わったよな」
「『静電気』な」
アーネストもニヤリと笑った。
人体にしか効かないあの魔法。無機物にあらかじめ掛けておけば、人が触れた瞬間に発動するトラップになる。
威力は大したことないが、それでも、何かに触れるたびに必ず静電気が流れたら、嫌になるに決まっている。
明星寮への忍び込み方は師匠が話してくれた通りだ。あとはアーネストが囮になってジェフリーたちを引きつけ、その間にヴィンセントとダニエルが侵入して、手当たり次第に魔法を仕掛けてきたというわけだ。
今頃彼は静電気でバッチバチになって、混乱して喚き散らしているに違いない。
「ちゃんと追跡妨害魔法もしてきたし」
「証拠は何一つ出ない。言いがかりを付けてきても無視しておしまい、だ」
「へっへーん、最高だねぇ」
三人はハイタッチをして、それぞれのベッドにもぐりこんだ。
「……夏休みぐらいに、もう一回会いたいね」
とダニエルが呟いた。
誰に、とは言わなくても全員分かった。
「いつ行ったっていいだろ、正式な弟子なんだから。イースター休暇だってあるんだし」
「あ、いいねぇそれ!」
「次は何教えてもらおうかな」
ヴィンセントはもう行く気満々だ。
(イースター休暇、か……)
アーネストはぼんやりと考えた。イースターで家へ帰ったら、きちんと話そう。そうしてから、心置きなく師匠のところへ遊びに行こう。
わくわくすることがなくっちゃ現実は乗り越えられないのだ。
「楽しみだな」
「うん!」
「まぁな」
素直に頷いたヴィンセントがひょいと腕を伸ばして、電気を消した。
『――心と行動は、一直線で結ばれているわけじゃないんだよ』
暗闇の中で、アーネストはふとヘンウッド先生の声を思い出した。
車でトーの丘のふもとにまで連れていかれて、その後だ。どうしてもヘンウッド先生が敵対していることが納得いかなくて、けれど脅されて動いているようにも見えなくて、プレイステッドが席を外した隙に問い質したのだった。
『先生は師匠の親友なんだろ? なのになんでこんな、師匠を傷付けるようなことするの? 先生、師匠のこと嫌いじゃないでしょ? 一緒にいる時、ずっと心から心配してたよな?』
『……君はよく見ているね』
ヘンウッド先生は弱々しく微笑んで、縛られたアーネストの手をそっと握った。
『嫌いだから傷付ける、というのは分かりやすいよね。でも、人を傷付ける理由はそれ以外にもたくさんある。羨ましいから、とか、怖いから、とか。――心配だったり、大好きだったりすることも、傷付ける理由になれるんだよ。分かりにくいかもしれないけど』
『……』
『僕は、心配だからこそ、これから、アーチを、ひどく傷付けるんだ』
『先生』
『心と行動は、一直線で結ばれているわけじゃないんだよ……』
そう言いながら、ヘンウッド先生は許しを乞うみたいに、深く深く俯いたのだった。アーネストは何も言えなかった。先生の手から伝わってきた感情は、いろんな種類のものがぐちゃぐちゃに混ざっていて、あまりにも複雑すぎて、これとハッキリ言うことは出来なかった。
(先生の言ってたこと、分かるようになる時がくるのかな……)
心配だからこそ傷付ける。大好きだから傷付ける。
そんなことが本当にあるのだろうか。
(……ごめん、先生。そんなこと信じられないよ。俺だったら、絶対に傷付けない。心配だから、大好きだから、傷付けたくない。たぶん、一生分からないんじゃないかな)
分からないのが良いことなのか悪いことなのか、それもなんだか曖昧で、もやもやしたままアーネストは目を閉じた。
眠りの波はいつもと同じように、彼をそっと連れ去った。
おしまい