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ニコラス・サムウェルの独白


 嫌な予感はしていた。だから廊下の壁に埋まるくらい寄って、やり過ごそうと思ったのに。廊下いっぱいに広がって、しゃべりながら歩いてきた明星寮(ヴェヌス)の先輩たちは、案の定ニコラスにぶつかって試験管を取り落とした。

 パチンッ、とガラスの割れる音。

 立ち上る不可思議な香り。

 あ、絶対に自分のせいにされる、と確信したニコラスは即座に逃げようとしたのだが、そんな隙は一ミリたりとも与えられなかった。気付けば自分の倍くらいはある体格の先輩たちに囲まれている。


「おいおいおいおい、どうしてくれんだよ」

「あーあ、せっかく頑張って調合したのになぁ」

「……」


 ぶつかってきたのはそっちだろう、とは口が裂けても言えなかった。かといって謝る気にもなれなくて、ニコラスは教科書を抱き締めて深くうつむく。


「お前のせいでこっちの予定が台無しだ」

「弁償だなこれは。ぜぇんぶ弁償」

「何とか言ったらどうなんだよ」

「どこの寮だ?」


 ふいに腕を掴まれた。黒いローブの袖口にはフープ上の飾りが付いていて、その色で所属寮が分かるのだ。巻き込んでいて見えなかったのだろう。

 だが、彼らがそれを確認するより早く、


「彼は月下寮(シェリ)ですよ」


 その声は輪の外から聞こえてきた。穏やかで柔らかくて、優しい声。ニコラスは安堵に思わず泣き声を上げそうになった。


「フィル」

「やあ、ニコラス」


 彼は状況をまったく理解していないかのように軽く手を挙げて微笑んだ。

 それからニコラスを掴んでいる先輩に目を向ける。


「彼に手を出すのはやめた方がよろしいかと」

「はぁ? 何を言って――」

(ウルフ)が牙を向きますよ」


 その一言に、ニコラスを掴んでいた手がびくりと震えた。


「まさか……」

「はい。彼の補助生(サポーター)あの(・・)ウルフです」

「……」


 明星寮の先輩たちはぐっと黙り込んだ。そして不意にニコラスを解放して、舌を打ちながらそそくさと去っていった。

 入れ替わりにヘンウッドが歩み寄ってくる。


「大丈夫だった?」

「うん。ありがとう、フィル」

「お礼はいいよ。僕の力じゃないし」


 と、ヘンウッドは眉尻を下げて笑った。


「いつも迷惑ばっかかけられてるからね。たまには役に立ってもらわないと」


 誰のことを言っているのか、すぐに分かった。ヘンウッドの同室でニコラスの補助生、アーチボルト・ウルフ。学校一の問題児として有名な人だ。

 ニコラスは隣を歩くヘンウッドの横顔を見上げた。ウルフとは正反対の、物静かで真面目で穏やかな横顔。目線を前に戻す。


「名前を出すだけで、あんなに効き目があるんだ」

「アーチは上級生たちと真正面からぶつかったって勝てるからね」

「へぇ……すごい……」

「乱暴なだけさ」


 ヘンウッドは口ではけなすように言いながら、まんざらでもなさそうな顔をしていた。


「どうしてアーチはあんなに強いの?」

「あいつは筋金入りの負けず嫌いだからね。誰にも負けたくないと思ったら、強くなるほかないだろう? たぶんあいつは、この学校の誰にも負けたくないだろうし、自分自身にも負けたくないんだと思う」

「自分、にも……」

「そう。だから妥協しないで、強くなろうとし続けられるんだ。途中で『やーめた』ってしようとする自分のことも、あいつは何度も殴り倒してるんだよ」


 その言葉がすとんと腑に落ちた。まだ付き合いは浅いが、その片鱗を何度も見た気がする。


「校内探索もその一環だろうね。七年間も通うのに知らない場所を残して卒業したら、学校に負けたことになる、とでも思ってるんじゃないかな、あいつのことだから」

「さすが、アーチの親友だね」

「……親友? 僕が?」


 真ん丸に見開かれたブラウンの瞳と目が合った。


「え、違うの?」


 ニコラスとしては何の気なしに言った言葉だった。だからそんな風に驚かれるとは微塵も思っていなくて、ニコラスまでびっくりしてしまった。

 ヘンウッドはしばらくびっくり顔のまま考え込むようにしていたが、


「……どう、だろう」


 と、伏し目がちになって答えた。


「僕は……そうだと思いたいけど……あいつはそんなこと思っていないような気がする。あいつはたぶん、友達とか、そういうの、全部いらないんじゃないかな。それに、あいつと僕じゃ釣り合わないよ、どう頑張ってもさ」


 その声音があまりにも悲しそうで、ニコラスは二の句が継げなくなった。


 ☆


 一年生の間は、夜の自習時間を補助生と一緒に過ごすことになっている。そこで勉強を見てもらったり、学校での困り事を相談したりするのだ。ヘンウッドとウルフはいつも時間通りにニコラスたちの寮室へやってきて、自分の勉強をする傍ら、てきぱきと相談事に応えてくれた。

 ヘンウッドと話してから一週間後くらいの夜に、ニコラスが待ち望んでいたタイミングがやってきた。ヘンウッドが席を外したのだ。すかさずニコラスは振り返った。


「ねぇ、あの、アーチ?」


 ウルフは本に向けていた目をひょいと上げた。


「うん、なに?」

「アーチには友達っている?」

「……友人関係の悩み事? そういうのはフィルに聞いた方がいいよ」

「いや、そういうわけじゃなくって……」


 言い淀んだニコラスの顔を、ウルフの漆黒の瞳がじっと見つめた。ニコラスは目を伏せていたが、強い視線が注がれているのを頬の辺りに感じていた。

 少しして、ふとその視線が外れた。


「いないよ」


 静かな断言だった。思わず目を上げると、ウルフは本に目を落としていた。そして無愛想に繰り返した。


「僕に友達はいない」


 ニコラスはちょっとだけ泣きそうになりながら、重ねて聞いた。


「じゃ、じゃあ……フィルは?」

「フィルはただの友達じゃない」


 間髪入れない返答に頭を殴られたような感じがした。それじゃあんまりだ、あんなにアーチのことを理解していて、面倒事を共有してくれている人なのに――と文句が嵐のように吹き荒れた。

 だが、その嵐は一言で収まった。


「彼は親友だ」

「……え」

「親友が一人でもいればそれで充分だよ。それ以外はいらない。つるむのは苦手だし、邪魔になるだけだから」


 早口で言いながら、ウルフは首筋を落ち着きなく擦って、ふとニコラスを睨んだ。


「それで、宿題は終わったの? 明日が提出日なんだろ。集中して」

「あ、うん、ごめんなさい」


 それが照れ隠しの言動であることぐらい、ニコラスにもすぐ分かった。なんだかすごく嬉しくなってきてしまって、頭と胸がいっぱいになってしまって、結局宿題は終わらなかった。だがそんなこと気にならなかった。ニコラスにとっては、大好きな先輩たちが仲良くしてくれることが一番重要だったのだ。


(先輩たちみたいになりたいな)


 誰も寄せ付けない強さとか、静かに人を思いやれる優しさとか。そういうものを持っている先輩たちが、ニコラスにとって一番近くて遠い目標だった。


 ☆


「ニコラス」

「あ、こんにちは。お疲れ様です」


 あれから十三年経って。

 魔法庁の魔性生物課に勤めているニコラスの元には、時折ウルフがやってくる。大抵の場合、職員の手に負えない(あるいは負えるとしても負いたくない)危険生物を丸投げするためだった。


「先日脱走したバジリスクの件ですが――」


 ほんの一ヶ月前までは、ニコラスの補助生だったことなど忘れたように冷たい態度だったのが、最近になって緩んでいた。先月の事件がきっかけだったことは推測できるのだが――そこでヘンウッドが彼に敵対して、左遷されたのだ。それがきっかけで態度が緩むとは一体どういうことなのだろう。


(……親友、って言ったのは嘘だったのかな……)


 ふと考え込んでしまったニコラスを、ウルフが睨んだ。


「聞いてます?」

「あ、はい、もちろん」

「嘘ですね。君の『もちろん(Of course)』はあとに『違います(not)』が来ることがほとんどですから」

「はは……」

「それで、何をぼんやりとしていたんですか?」

「ええと……」


 ニコラスは直接に聞いていいものかどうか少し迷って、だがすぐに決意した。ヘンウッドほどではないが、自分だってそれなりの付き合いだ。真っ直ぐ聞いたところで、彼が機嫌を損ねることはないだろう。


「……フィルと、何があったんですか」

「……」


 ウルフはぱち、と瞬きをして、カウンターにもたれかかった。「何があったか、ですか……」とぼんやり反芻しながら、答えを探すように天井を見上げる。


「ちょっとした喧嘩、ですかね。傷が浅いうちに収められなかったせいで、あんなことになりましたが……ちゃんと和解しましたよ」

「喧嘩と……和解?」

「はい」


 彼が厭味や脅しの意味を含めないで笑ったのを、ニコラスは随分久しぶりに見た。


「フィルもあれで呑気で豪胆ですから。マン島での生活を、それなりに満喫しているようですよ」

「そうなんだ」

「ええ。手紙が来るんですが、なんとも生き生きしていて……一応、罰則のはずなんですけど」


 ウルフは呆れたふりをして溜め息をつき、ニコラスは(フィルらしいな)とこっそり思った。自覚があったかは知らないし、ウルフの隣にいたから相対的に大人しく見えていたかもしれないが、ヘンウッドはヘンウッドで一筋縄ではいかない人間だと下級生たちの間では有名だったのだ。それになにより、彼はスリム・ウルフの親友である。生半可な精神力で彼の親友は務まらないだろう。

 ウルフが姿勢を正して、瞳を細めた。


「気遣わせたようで、すみません」

「え、いえ、そんなことは!」


 端整な顔立ちの彼が申し訳なさそうな顔をして目を伏せると、なんだかひどく悪いことをしたような気分になる。ニコラスは慌てて手を振って、口を滑らせた。


「心配は、その、しましたけど、僕なんかがあれこれ思っても仕方のないことだし、それにその、お二人が親友のままで本当に良かったです。僕、二人のこと本当に尊敬してて、それで、だから仲良くしていてほしいなぁって、昔っからずっとそう思ってたので」

「そうだったんですか?」

「あー、えー、ああ、まぁ……はい……いや、嘘です、忘れてください……」


 ニコラスはもごもごと言いながら、顔を真っ赤にしてうつむいた。それをウルフがけらけらと笑う。


「君は昔っから変わらず素直ですね」

「……ひねくれ者の先輩方を反面教師にした結果です」

「なるほど。実に説得力のある言葉だ。我々がひねくれていた甲斐があったというものです」

「うわー、ポジティブ……ほんっとそういうところ尊敬しますよ」

「ありがとうございます。では、そろそろ仕事の話をしましょうか」

「はーい」


 今度こそしっかり耳を傾ける。自分は結局ウルフのように強くなることも、ヘンウッドのように優しくなることも出来なかったが、それを情けないと思うことはなかった。


(自分にないものを持ってるから尊敬する。そういうもんだからね)


 きっと、ウルフとヘンウッドの関係だってそういうものなのだろうと、今なら思えるのだ。確認することはないが、間違っていないと確信している。

 ニコラスはへらりと笑って、どうしたらバジリスクを安全に捕まえられるか考えるために頭を切り替えた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 親友だって伝えていたら、伝わっていたら……違う未来もあったのかな。なんて思ってしまいますが。 喧嘩して和解に至るまでの彼らも愛おしいです。
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