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コカトリス・フリッター 6


 師匠は慌ててヴィンセントの方へ駆けていった。へたり込んでしまったアーネストはダニエルの手を借りて立ち上がる。まだ手が震えていた。


「アーネスト、大丈夫?」

「俺は平気。でも……」


 向こうの方から笑い声が聞こえてきた。それでヴィンセントが無事であることを知って、アーネストはほっと胸を撫で下ろした。


「やっぱりヴィンスに護符を渡しておいて正解だったねぇ」

「うん。さすがだよ」


 こちらの方が危険だから、と事前にヴィンセントが骨折避けの護符をダニエルから受け取っていたのだ。それがなかったらと思うとぞっとする。

 二人は笑いながら戻ってきた。ヴィンセントは茂みにでも突っ込んでいたのか、髪の毛に葉っぱのくずを大量にくっつけていた。


「肝が冷えました。良かったです、本当に。予想外のことでしたが、三人ともよく動いてくれました。素晴らしい働きでしたよ」


 手放しで褒められて、三人とも得意げに顔をほころばせた。


「では、後処理をしましょう。ヴィンセント、首を落としてみますか」

「うん、やるやる!」

「ではダニエル、補助をしてください。アーネストは連絡をお願いします」


 アーネストは携帯端末を受け取ると、数歩下がって、二人が師匠からコカトリスの首の構造について詳しく教わるところを見ていた。

 端末を持つ手はもう震えていなかった。

 代わりに、どくどくと脈打つ心臓の音が聞こえてきた。

 きっとああやって傷付いて怒ったコカトリスが、()の世界で暴れ回ったのだろう。そして二人の命を奪った。さっきだって、放っておいたら師匠がやられてしまったかもしれない。自分も殺されかけたし、ヴィンセントだって危なかった。


(……そっか。そういうことなのかな)


 ずっと頭の隅に引っ掛かっていたことが、ようやく取れそうな気がした。

 死んだり、殺されたりすることを容認するなんて無理だ。だけど、生きていくためには仕方ないなんて諦めたくもない。

 許せないし、諦められないけど、それはたぶん。


お互いさま(・・・・・)なんだろう)


 そう思ったアーネストは、コカトリスの首が落ちるのをしっかりと見届けた。一瞬だけ目を瞑ってしまったけれど。死んでしまった後だから、これまでのように血が噴き出すことはなく、黒っぽく濁った血が緑の絨毯の上を流れていった。


「ねぇ、師匠」


 最後の一羽を転送した後、ヴィンセントとダニエルが魔法陣を畳んでいる間に、アーネストは師匠に近寄った。真っ黒い瞳がアーネストを真っ直ぐに見る。


「はい。どうしましたか」

「なんで俺たちをここに連れてこようって思ったの?」


 師匠はちょっと考えるみたいに顎の下を触った。


「ちょうど土曜日だったので……せっかくだから、と」

「ふぅん」


 なんだ、それだけか。とアーネストが思ったのを、師匠はたぶん見透かしてなどいなかっただろう。彼はどこか斜め上の方を見ていたから、アーネストからは首筋にある小さな白い傷跡が見えていた。師匠の指先がそれを引っ掻くように触る。


「それに、経験に勝る武器はないと思うので」

「え?」

「私はずっと一人であちこちに突っ込んで、死にかけながらどうにか生き延びてきました。知識が役立ったことも、役立たなかったこともあります。けれど、一度した経験はずっと残っていて、昔ほど死にかけることはなくなりました。だから、」


 師匠はふと言葉を切って、アーネストに目を向けた。嘘も誤魔化しも虚勢も、全部許さない厳しい黒。


「学校では、危険なことは避けるように教わると思います。けれど私は、それだけが正しい方法だとは思いません。どうしても避けられない危険がこの世にはある。そういう危険に直面した時、君たちを助けてくれるのは経験です。少なくとも今日のこれで、コカトリスにうっかり遭遇した時の死亡率は大幅に下がったでしょう?」

「うん」

「応用すれば、大型の魔性生物に出会った時の対処法にも繋がります。さっきのような予想外の事態に陥った時も、やり方次第で生き延びることが出来ると知っておくのは、本当に重要なことです」


 知っていれば、諦めなくていい――その言葉はやけにはっきりと聞こえた。


「魔性生物に限った話ではありません。いじめてくる奴への反撃も、ですよ」


 昨日のことを言っていたずらっぽく笑う師匠。瞳が優しく緩む。アーネストもちょっと笑って、それから質問を重ねた。


「師匠はさ、諦めそうになったことある?」

「ええ、何度も」


 師匠は簡潔に頷いた。

 どうやって諦めずに生き延びてきたのか、アーネストは聞かなかった。それは、魔法陣を畳み終えた二人が駆け寄ってきたからであったし、なんとなく予想できたからでもある。


(それがたぶん、師匠の強いところで、俺たちがこれから教わる部分なんだよな)


 アーネストは思い切り伸びをした。木々の隙間からわずかに見える淀んだ空も、妙に生暖かい風も、最初に来た時よりずっと爽やかなように感じられた。


 帰りの列車の中はがらがらに空いていて、四人は再び三号車のすぐ脇に堂々と足を伸ばした。


「はぁー、疲れた!」

「座ると一気にくるねぇ」

「改めて見ると傷だらけだな……」

「そうですね。この薬を塗っておいてください」


 師匠がスーツケースから小さなケースを取り出して、隣に座ったダニエルに渡した。


「わ、『DV/DVディーヴィー・ディーヴィー』の薬じゃん!」

「なに、有名なの?」

「魔法界一の薬屋さんだよ! 出来てまだ新しいお店なんだけどさ、新作の魔法薬をバンバン出してて、作り方が分からなくなってた古い薬もいくつも復活させてるんだ!」

「へぇ、すごいな」

「店主が同級生なんです」


 さらりと言われたことに、ダニエルが「えっ、そうなの?!」と過敏に反応した。


「ええ。よく一緒に実験をしました。といっても、私が理論を提供して、彼らに実証してもらっていただけですが」

「へぇー、そうだったんだぁ!」

「興味があるなら会うことも出来ますよ。そうですね、イースター休暇とか――」


 言いさして、師匠ははたと口を閉じた。ちょっと気まずそうに首筋を擦る。

 アーネストはすかさず手を挙げた。


「ねぇ師匠! イースター休暇中さ、師匠のところ行ってもいい?」


 ダニエルとヴィンセントも期待を込めた目で師匠を見上げる。

 師匠は虚を衝かれたようにパタパタと瞬きをして、それから笑って頷いた。


「きちんと掃除をしておかないといけませんね」

「やった!」

「よっしゃあ!」

「わーい!」


 歓声を上げてハイタッチをしていると、師匠が「ちゃんと保護者の方の許可を得てから来てくださいよ」と釘を刺した。


「私への連絡はアーネストが出来ますね。何かあったらいつでも連絡してください」

「うん。でも、学校内はスマホ通じないよ?」


 アーネストがそう言うと、師匠はふと口元を片手で覆って「……あの場所は入って平気だったかな……」と呟いた。その瞬間アーネストはぴんと来た。無論、ダニエルもヴィンセントも察したらしかった。


「なになに?」

「あの場所って?」

「まさか、通じる場所があるの?」

「……東の別棟(イースト・ウィング)があるでしょう? そこの端の塔のてっぺんに隠された小部屋があって――」


 身を乗り出した三人に合わせて師匠もかがみ込む。額を突き合わせてひそひそ話をしていると、なんだか師匠が師匠ではなく、古くからの親友のような気がしてきて、アーネストは耐えきれず笑ってしまった。けれどみんな同じような顔をしていたから、それでまったく問題ないのだった。


 あちこちボロボロの泥だらけで門限過ぎにようやく帰ってきた四人組を、バロウッズ先生が捕まえてレポートを課すまで、あと一時間――


                     おしまい


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