過去編:ダニエルは霧の湖畔で 後編
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こってり説教された後、医務室に放り込まれた。
「初日から喧嘩とは、なかなかやるね」
と医務室の先生は笑いながら、アーネストの鼻血を拭いて、ヴィンスのたんこぶに保冷剤を置いた。とばっちりをくらったダニエルは、突き飛ばされてすりむいた膝を消毒してもらった。
「僕はフィリップ・ヘンウッド。君たちとは何度も顔を合わせることになりそうだね。これからよろしく」
三人はぶすっとしたまま、ちょっと頭を下げた。
「初日からやらかした奴なんてアイツ以来じゃないかな。あ、でも、アイツに比べたら、ちょっと喧嘩して擦りむいた程度、可愛いもんだね」
「アイツって?」とヴィンス。
「僕の同級生さ。僕もソイツも君たちと同じ、月下寮だったんだけどね。入学したその日に一人で校内をうろついて、早速三日ほど行方不明になって、学校中を大騒ぎさせた大馬鹿者さ。それに比べたら、ねぇ」
ヘンウッド先生はけらけらと笑って、席を立った。
「ちょっと出てくるけど、しばらく医務室で大人しくしていてね。君たちは、先生の言うことは守ってくれよ」
ぱたん、と軽い音を立てて扉が閉まる。
喧嘩の興奮が冷めたアーネストは、血の気の引いた顔でうつむいていた。ヴィンスはまだへそを曲げているようで、あらぬ方向を見遣っている。ダニエルは唯一被害者だと主張しても許される立場だったから、頬を膨らませて黙っていた。
(歓迎パーティ、楽しみにしてたのに……)
ものすごく豪華だと姉たちに聞かされていたのだ。それをこんな形で取り上げられることになるなんて。ダニエルはこの二人がすっかり嫌いになってしまった。
ふいに、アーネストがダニエルの方を向いた。
「あの、ダニエル」
「……なに」
「ごめん、巻き込んで。君は、止めようとしてくれたのに……」
真正面からそう謝られてしまうと、怒っているのがちょっと恥ずかしくなった。けれどすぐさま態度を変えるのもなんだか嫌に思えて、ダニエルはふくれっ面のまま「いいよ、別に」と言葉少なに返した。
ヴィンスがカタカタと貧乏ゆすりを始めた。
「アーネストが謝ることじゃないだろ。ダニエルは自分から巻き込まれに来たんだし、なによりあのババア! アイツがダニエルまでひっくるめて悪いって決めつけたのが一番の悪だ」
「そもそも俺たちが喧嘩したのが一番の悪じゃないのか?」
アーネストが冷静に突っ込むと、ヴィンスは黙って、貧乏ゆすりを加速させた。
「……だって、ムカついたから」
しばらくして彼はぼそりと言った。
「事情はなんとなく分かったよ。反魔法使い主義で魔法使いをいじめてる議員の息子なのに、魔法使いの素質が見つかっちゃったから、なりたくもない魔法使いになる羽目になった。反魔法使い主義っていうくらいだから、魔法使いたちには目の敵にされてんだよな? だからその息子のお前にも敵意が集まる。お前自身それを分かってるから、肩身が狭いなぁって思ってる――違う?」
アーネストは首を横に振った。
「違わない。その通りだよ」
「じゃあなんでこの学校に入ったんだよ。説明されたよな、放棄することも出来るって」
ヴィンスの鋭い質問に、アーネストはちょっと黙った。
「……分からない」
「分からない?」
「父と兄が“せっかく授かった素質なのだから生かしなさい”って……」
また歯切れ悪く言いながら、アーネストは椅子の上で膝を抱え込んだ。
「あの二人が言っていることは分からないんだ。本当に俺をスパイみたくするつもりなのかもしれないし……。キャベンディッシュ家から魔法使いが出た、なんて、不名誉でしかないのに……」
「じゃあお前ってさ、本当に魔法使いになりたくないわけ?」
ヴィンスが嫌そうに聞いた。
その問いにもアーネストはしばらく黙り込んだ。
「……それは、どうだろう」
「んだよ、ハッキリしねぇな」
「でも……バロウッズ先生が魔法使ってたの見て、すごくワクワクしたから……なれるのは、嬉しい、ような気がする……たぶん」
「……ハッキリしないな」
言いながら、ヴィンセントは諦めたように溜め息をついた。
「でも確かに、バロウッズの魔法はすごかったよな。あんな風に杖だけでひょいひょいって、ベッドが出てきたり勝手に動いたりして」
「うん。すごかった。あんなこと出来るんだな、魔法って」
「え、あれくらい普通じゃない?」
ダニエルが何気なく言った瞬間、二人は目を見開いて振り向いた。
「いや、普通はベッドが浮かんだりはしねぇから」
「そっか、ダニエルって家族全員魔法使いなんだっけ? そうしたら、ああいうのが普通なの?」
「うん、普通だよ。ずっと普通だと思ってた」
「へぇ!」
「ふーん。他にどんなことが出来んの?」
「えーっと……」
ダニエルが記憶を掘り返して、今までに見たことのある魔法の話をすると、二人は目の中に星屑を散らして話を聞いた。こんな風に注目されるのは初めてのことだった。ダニエルは段々気分が好くなってきて、さっきこの二人を嫌いだと思ったことなどすっかり忘れてしまった。
「あれ、ずいぶんと仲良くなってるね」
ヘンウッド先生が戻ってきた時には、三人ともすっかり打ち解けていた。
先生の後ろにはベアトリスがくっ付いてきていた。
「姉さん」
「ハロー、ダニエル。あんたの馬鹿っ面を拝みに来てやったわよ。この愚弟め。うらうら」
とベアトリスはダニエルの鼻をつまんだ。
「ふえ、いひゃいよ、ねぇしゃん」
「月下寮に行った挙句キャベンディッシュと同室でしかも喧嘩して夕飯抜きなんて、フルコンボじゃない? 本当に馬鹿ねー」
パッと鼻を放されて、ダニエルはちょっと涙目になった。
仁王立ちになったベアトリスはダニエルを睨みつけた。
「ねぇ、どうしてあんた、日輪寮に来なかったのよ。早めの反抗期? どうせどの寮に行ったって、あんたはあたしたちと比べられるのよ?」
「え?」
「え、ってあんたね……考えてなかったとか言わないでよ? 当然でしょ、跡継ぎじゃなくってもドゥルイット家唯一の男子なんだから。まぁあたしたちはそんなに期待しちゃいないけど、家名に泥を塗られたら困るわ。――あ、だから月下寮に行ってくれて良かったのか。同じ寮だったらフォローしなきゃいけないけど、別ならどうしようもないもんね。そこまで考えて――るわけないわよね、あんた馬鹿だもんね。でも、ま、そー思えばいいか。くれぐれも、あたしたちには迷惑かけないようにしてよね。じゃ」
まくし立てるように言い放って、ベアトリスは出ていった。
「何だあの言い草。やっぱ日輪寮に入らなくて正解だったな」
とヴィンスが吐き捨てて、アーネストがダニエルに近寄った。
「大丈夫、ダニエル?」
ダニエルは何を心配されたのか分からなくて、首を傾げた。
「何が?」
「何が、って……けっこう言われてたから……」
「そう? 別に、いつものことだからなー」
「それ、麻痺してんだよ。はたから聞いたら普通じゃないぜ」
「……そう?」
深く考えるのがもとから嫌いだったのか、姉たちの言動のせいで避けるようになったのか、ダニエルには分からなかったし、そんなこと考えようともしていない。
ただ、姉たちの言葉をまともに受け取ったら危険だ、と警告する本能に従って聞き流しているだけだった。
「ドゥルイット家って何か有名なわけ?」
とヴィンス。
「えーとね、父さんがドルイドのリーダーなんだ」
「ドルイド?」
「ドルイド。あ、そこから? えーと……ドルイドって言うのは魔法使いなんだけど……んー、なんていうんだろう?」
「魔法使いはざっくり分けるとドルイドとそれ以外になるんだ」
ヘンウッド先生が助け舟を出してくれた。先生は備え付けの小さなコンロにケトルを置きながら、流暢に解説した。
「ドルイドというのはケルト人社会で司祭の役割を務めた、魔法使いの原型とも言える存在でね。大本はドイツの方なんだけど、一部がブリテン島にも渡ってきて、魔法使いの一大派閥として定着したんだ。現在いる魔法使いの内、半分くらいがドルイドの系統に連なってると言われているんだよ。詳しいことは、魔法史学でやると思う。で、ドゥルイット家はその源流で、その当主は代々、ドルイド系の魔法使いをまとめる総長の役割を務めているんだ」
「へぇ。じゃ、魔法使いのエリートってこと?」
「まぁ、そう言っても過言ではないかな」
ヴィンスの簡単なまとめを肯定して、先生はケトルを下ろした。
「ドルイド社会では男女に上下を付けないから、次の当主は一番上のお姉さんになるんだよね」
「うん、そうだよ。だから僕は気楽にしてていい、って、姉さんがよく言ってる。何にも出来なくっても大丈夫だよって。でもさすがに、魔法使いになれなかったらどうしよーって思ってたなぁ。全員魔法使いだからさぁ、僕だけ仲間外れはちょっとキツいなぁって」
「……なんで日輪寮に行かなかったの?」
アーネストが恐る恐るといった感じで聞いてきた。
「えーっとねぇ、どこに行こうか、すごく迷ってたんだ。どこも合ってないような気がして……どうしようかなーって思ってたら、アーネストが質問して……あ、そうそう。それで、アーネストを追いかけたんだ」
「えっ、俺?」
「うん。僕は魔法使いになりたくて仕方なかったから、どうして魔法使いになりたくないのかなぁって思ったら、気になっちゃって」
「……そんなんで決めて良かったの?」
「いいんじゃない? 姉さんもその方が都合良かったみたいだし」
あはは、と笑いながら、ダニエルはいつもの感覚を味わっていた。それは素質が見つかる前に感じていたものと変わっていなかった。自分だけ置き去りにされている感覚。自分だけ弾きだされている感覚。すっかり慣れ親しんでしまって、いっそ落ち着きさえ感じるくらいだ。今回は自分から外れていったのだが、それをかえって褒められてしまった以上、向こうから弾かれたも同然だった。
霧に沈んだ湖畔に一人で座っているような気分。この心の名前を、ダニエルは知らないでいる。
アーネストが心配そうにダニエルを見ていた。
「さて、三人とも、お腹が空かないかい?」
ヘンウッド先生はそう言いながら杖をひょいと動かした。ぽん、と音を立てて三人の真ん中にテーブルが出てくる。もう一度杖を振ると、その上に色とりどりの料理が一瞬で並んだ。
「うわっ!」
「すごい!」
「こっそり貰ってきたから、食べな。内緒だよ。特にミル先生には」
「いいの?」
「もちろん。僕も交ぜてもらうけれどね」
先生は笑って四人分の紅茶を用意してくれた。
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一年目が無事に――何事も無かった、とは言えないが、とりあえずどうにか――終わって夏休み。家に帰った時、ダニエルは姉たちに魔法を上達させるにはどうすればいいのだろうか、と相談した。
だが、三人とも似たような答えしかくれなかった。
「大丈夫よ。魔法が下手でも、あんたが家を継ぐわけじゃないんだし。誰もあんたにプレッシャーなんかかけないんだし、弱いままでも問題ないわよ。あんたはあんた、あたしたちとは違うのよ。焦らず、気楽にいきなさい」
その言葉はたぶん、親切心だったのだろう。そうだと信じたいし、そうだと思っている。ダニエルは家族が好きだから。いくら自分が鈍感でも、好き嫌いぐらいは分かる。家族のことが好きだ。家族の一員としてきちんとしていたい。だから、焦るな、気楽にいけ、という励ましは素直に励ましとして受け止めていたかった。
(でも、下手なままじゃ嫌だよ)
姉たちはみんな優秀だ。すでに上級魔術院に進学しているアシュリーは首席で卒業したし、ベアトリスも監督生を務めあげて学業も現在トップ。二つ上のクララも最優秀生徒のバッジを貰っている。
(弱いままじゃ嫌だよ……)
アーネストは一年の内に視線を集めることにだいぶ慣れたように見えた。ネイピアに絡まれても物怖じせず言い返している。教養は学年一だし、同級生や先輩にも好かれるようになってきた。ヴィンセントはあっと言う間に知識を吸収して、魔法をどんどん習得していった。アーネストと一緒にネイピアを撃退したり、校内を探検したりして、学校を満喫しているようだった。
自分だけ置いていかれてしまう。湖畔に置き去りにされてしまう。
(……でも、どうすればいいんだろう……)
霧がどんどん濃くなっていく。それをぼうっと眺めながら、ダニエルは夏休みが終わるのを待った。少なくとも、二人と一緒にいる間は楽しくて、余計なことを考えないで済む。
今はそれでいいや、とダニエルは考えるのをやめて、すべてを時の手にゆだねることにした。
おしまい




