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鬼窟


 黴臭い臭いが、鼻の奥をつく。

 じめじめとした湿気がまとわりつき、身体を冷やす。

 初夏とはいえ深山幽谷、日暮れになればそれなりに気温は下がる。

 まして陽の当たらない土蔵の中である、冷え込むのも無理は無い


「寒いのは苦手なんだよ……」


 身を縮こまらせ、俊輔がため息をつく。

 俊輔が玄能寺に連れてこられたのは、昼の八つ(午後二時)過ぎ。

 天井近くにある明り取りから射しこむ日差しが、だいぶ傾いている。おそらく昼七つ(午後四時)は過ぎているだろう。

 崖から落ちた柔志狼と杉作の探索を、恒と仁平に命じ、お銀たちは俊輔を連れて玄能寺に戻った。

 あの場所から川沿いに四半刻ほど行ったところに、岩に囲まれた古刹はあった。

 まだ明るいというのに、山門の前にはすでに松明に火が灯され、その前には僧兵をきどった屈強な男が二人立っていた。

 俊輔たちといたときの、しおらしい風情はどこへやら。肩で風を切って、先頭を歩くお銀の姿を見ると、門番は深く頭を垂れた。


「あたしゃ着替えてくるから、土蔵にでも放り込んでおきな」


 境内に居る男に命じるとお銀は、巳吉と完治を連れ立ち、本堂の奥へ消えていった。


 それから一刻――


「なんか色々話が違いますけどぉ。それに誰だよ、お銀って……俺が会いたいのは狐じゃなくて虎なんだよ――」

 ひとり毒づくと、俊輔は大の字に転がった。

 ひび割れた天井を見つめると、愛想の悪い男を思い出した。

 結局、柔志狼の目的は分からず仕舞いだった。まさかあれで死んだとは思えないが、だからといって無事であろうとも思えない。


「まだ使えると思ったんだけどなぁ」 


 そう呟く俊輔の声は、どことなく沈んでいた。

 と、その時――土蔵の外に人の気配がした。

 錠前を外す鈍い音がし、分厚い扉が開かれると、西日の紅い光が土蔵に射しこんだ。


「せっかくの客人をこんな所で待たせて悪かったね――俊輔さん」


 紅い光の中に、黒い影が浮かんだ。

 逆光でもわかるその芳醇な色香は、お銀だった。


「上州のど田舎では、客人は土蔵に押し込んで、お宝のように大切にもてなすもののが礼儀なのでしょ」


 乾いた笑いを洩らしながら、俊輔が身を起こした。


「お持ちいただいた書状の中身、しかと吟味させていただいた」


 入り口の際に立つお銀を脇に退けるようにして、のっそりと巨大な影が土蔵に入ってきた。


 柔志狼さん――

 と、思わず口走りそうになるのを堪えた。


 柔志狼よりも大きな体躯は八尺を超えている。だが、ごつごつと肉厚な柔志狼と違い、無駄の無い均整のとれた身体をしていた。

 柔志狼が仁王像を想わせるなら、この男は菩薩を想わせる。

 だが、見た目は全く違うのだが、その身に纏う雰囲気がなぜかよく似ていた。


「わざわざ遠方より、ご苦労に存じます」


 能面のような蓬髪の男が、眼を伏せた。


「百鬼天狗党の党首、鏑堤虎滋(かぶらづつみとらじ)です。ようこそおいで下さった、伊藤俊輔殿」


 男が、ゆっくりと首を垂れた。


「斯様な田舎暮らしにて、大切な客人のもてなし方も知らず、御無礼致しました。改めまして酒席をご用意いたしております故、あちらにて此度お越しいただきました件、詳しくお聞かせ願いますようお願いいたします」


 慇懃な物腰ではあるが、それは獣が獲物を嬲る前の余裕に感じられた。


「あぁ、お腹空いた」


 物怖じもせず、俊輔が立ち上がった。


「それじゃあお言葉に甘えて、腹ごしらえをして、酒でも呑みながらお話しましょうか」


 まぁ――と、お銀が笑う。


「もちろんです」


 虎磁の口の端が微かに吊り上った。




 ざわざわと、むさ苦しい男たちがひしめいている。

 元々は寺の本堂として使われていた場所に、およそ五〇人近い男たちが、それぞれ酒を呑んだり、壺を振るなどして興じていた。

 かつて御仏を祈念したこの場所は、今では清浄な香残りは酒気に代り、荘厳な読経は嬌声へと変容していた。

 今は只、朽ちた菩薩像がその光景を恨めしそうに見つめている。

 ぬるり――と、巳吉が蛇のように現れた。


「仁平たちは戻ったか」


 独り手酌で酒を煽る完治の前に立つと、巳吉は憮然と言った。


「――まだだ。まだ戻りゃしねぇよ」


 眉間に皺をよせ、完治が掠れた声を絞り出す。

 柔志狼に咽喉をやられたせいで、千切れるような痛みが走る。

 そうか――と、思案気に顎に手を当てると、


「おい。それよりあの青病單(俊輔)はやはり客人だったのか?」

「あぁ、どうやらそのようだ」

「殺さんで良かったな」


 完治が笑おうとするが、咽喉の痛みに顔を歪めた。


「今更、我らに何のようなんだ」

「分からぬ」


 俊輔の持っていた荷の中に虎磁宛ての密書があった。

 それを見つけていなければ、有無を言わさず俊輔の首を刎ねているところだ。


「それにだ、俺が山中で見つけた男女の死体。あれはなんだ?それこそ御公儀の手の者ではあるまいな?」

「知らん。だとすれば余計に面倒なことになろうよ」

「面倒な事だと?」

「あぁ。考えてもみろ、すでに近隣の代官所に我らに手を出す者はいまい。充分な鼻薬を効かせてあるのだ、単なる野盗(・・・・・)程度にちょっかいを出して、痛い目など見たくはあるまい」


 実際、百鬼天狗党の力はあまりにも大きくなり過ぎた。このご時世、下手に手を出して痛い目を見るよりも、適当な所で手を打つ――実際のところ、このたりの代官所ではその程度が関の山であろう。


「だとすれば、いよいよ持って御公儀が直々に乗り出してきたのであろうよ」


 むむ――と。巳吉の言葉に、完治は顎をひいた。


「尽忠報国勤皇の士と公言し暴れ回っておるのだ、奴らにしても黙ってはいられぬのであろう」

「はん。勤皇の士ねぇ――」


 完治が鼻を鳴らす。


「今更そんなこと思っているやつがいるのかよ」


 そう笑って、周囲を見渡す。


「だが、そういう事になっている」


 面白くもなさそうに巳吉が言う。


「仕方ねぇな。いよいよ仕掛けるのか」

「昨夏、京の方では大きな動きが有った。連中にしてみれば起死回生の一手を仕掛ける必要があるのであろう」


 それ故に――と、息を付き、


「客人が来たのかもしれん」


 と、嘆息した。


「そうか」

「なればこそ、この時期に御公儀の隠密であれば、色々と面倒な事になろうよ」

「むぅ――」

「だが、それはお頭に任せておけばよい事だ。それより――」


 と、周囲を見渡し、


「吉松。お前、そこいらの奴を五・六人引き連れ、様子を見て来てくれ」


 本堂の隅で車座になり、酒を呑む男達に声を掛けた。


「へい」


 その中に居た小太りの男が立ち上がる。


「おいお前ら、行くぞ」


 やれやれと、残った男たちも重い腰を上げた。


「……おい、そんなに人数いらないだろ」


 完治が声を絞り出す。


「考えてもみろ。杉作をどうするのだ?死んでいれば兎も角、生きていれば連れ帰らぬ訳にもいくまい。それでは仁平と恒だけでは無理だろうが」

「あぁ、そうか……」


 杉作のことなど忘れていたのか、完治は漸く合点が言ったようだ。


「それに――」

「どうした?」

「いや、なんでもない」


 あの男――柔志狼が生きているのではないか?巳吉にはそんな気がしてならなかった。

 仮に、生きていたとしても、杉作の巨体と縺れるようにして崖から落ちたのだ。五体満足、無事ではいられまい。


「取り越し苦労であればよいのだ」


 急げよ――

 そう言いかけた時だった。


 恒が戻ったぞ――どこからか、そんな声が聞こえてきた。





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