暴獣
どうだ――と、杉作は野太い声を張り上げた。
六尺五寸の巨体に、朱塗りの胴当てをし、その上に黒々とした毛皮を纏っている。
二年前の春に、五〇貫(百八十八キロ)を超すような熊を仕留めた時のものだ。
剛毛と固くしなやかな皮の御蔭で、刃が通らない。胴当ての上から被せるようにして纏っているので、銃で撃たれても杉作の身体に傷一つつかなかった。
ただでさえ樽のような身体が一層でかくなり、まるで熊そのものにでもなったかのようである。
「駄目だ。みんな死んでる」
そう言って、巳吉が首を振った。
「ぬあぁ!」
その言葉に、杉作は禿頭を真っ赤に染め、地面に鉞を叩きつけた。
両刃の鉞は、刃の部分が杉作の顔よりも大きく、厚さは並みの剣の五倍はある。杉作の纏っている毛皮の熊も、これで仕留めたのだ。
「どういうことなんだ!十五人もいたんだぞ!それが全員殺されただと?ふざけるな!」
「だが事実だ」
杉作とは対照的に、鉄線のように細身の巳吉は、細い眼を一層細め、冷淡に言い放つ。
「まさか代官所の奴らか?何処のだ?奴らにはたっぷりと鼻薬を効かせてあるはずだ。なにより、あんな腰抜けどもが俺たちにちょっかいを出せる訳がないだろ」
「代官所の奴らにそんな度量は無い。それに何か妙だと思わないか」
「なんだ?」
と、顔をしかめる杉作に、巳吉が指さしたのは、額から金属の角を生やした善吉の死体だった。
「善吉よぉぉぉ」
それを見た杉作が、顔をくしゃくしゃに歪めた。
「役人は飛苦無など使わん」
面白くもなさそうに、巳吉が言い放つ。
「とび苦無?」
「棒手裏剣の一種だ」
「これがか?お前良く知っているな」
善吉の額に刺さる苦無を、杉作が抜こうと試みるが、抜けなかった。
「頭が使ったのを見たことが有る」
「頭が?どっちだ?」
「虎の頭だよ」
狐の方も持ってるがな――と、巳吉が鼻を鳴らした。
「どちらにしても木端役人は使わん」
「じゃあ一体、誰の仕業だって言うんだ」
巳吉の言葉に、杉作は顔をしかめて唸った。
「萩からの使いには会えない。それに誰だか分からん奴に、我らの関所を全滅させられ、仲間を十五人も殺されたなど、頭たちに言える訳が無かろう!」
怒りにまかせた杉作が、脇にあった柱を殴りつける。すると柱は、ぼっきりと折れ、軒が傾いだ。
「駄目だ。お狐様はいませんぜ」
そこへ、息を切らせて男が二人走ってきた。
杉作と巳吉に比べて明らかに若い。
「どこにもか?」
「へい。太吉の死体の傍にも、どこにも」
答えたのは仁平という背の高い男だった。
「一体、誰がこんな酷いぇまねをしやがったんだか――あんまりにも酷すぎる」
悔しそうに首を振ったのは、恒という若者だ。太吉とは一番親しかった。
「太吉の奴ぁ、顔面を潰されてやがった……剣でばっさりひと思いなら兎も角、ありゃあ酷過ぎる。富次の爺さんといい、まるででっけえ鎚で殴られたみてぇに……」
恒は鼻を啜った。
ある意味、恒の言う通りである。
周囲に散乱している死体に刀傷は無く、その殆どが首を折られていたり、撲殺された様なものばかりだった。
なかには刀傷の者もいるが、いずれもが己の剣か、身内の剣で殺されていた。
「まさか――」
巳吉が顎に手を当て、首を捻る。
「まさか――なんだ?」
「いや、そんな事有る筈がない」
「だからなんだ!」
杉作の声に怒気が籠る。
「頭は今日は、砦から一歩も出ない……そう言っていた」
「当たり前だ!そもそも、だから俺たちが宿場まで客人を迎えに行ったのだろうが!」
「――」
「巳吉、手前ぇぇ、なにが言いたい」
ぎりと、杉作が歯を剥きだす。
「どう考えても、この殺り口は頭の――」
「巳吉ぃ!」
「なんでぇ、なんでぇ。そんなおっかない声を張り上げやがって」
青筋を立てた杉作に水を差すように、呑気な声が割って入る。
「完治の兄貴」
仁平と恒がほっとしたように声を上げた。
「おう」
完治と呼ばれた男は、甘くにやけた顔で手を振ってこたえる。
「完治、どうだった?」
杉作から視線を外し、巳吉がしれっと片眉を上げる。
「怪しい奴はいねぇが、面白いもんを見つけたぜ」
癖のある髪を、髷も結わず一つにまとめた姿は、ちょっとした伊達を気取っているのか。だがその姿が何とも様になっている。
胴当てなどの具足の類は一切身に付けてはおらず、牡丹をあしらった女物の着物を着流している。
帯に無造作に小刀を差し、黒い蔓を丸めたようなものをぶら下げている。
「なんだ、面白いもんてのは!」
杉作が唾を飛ばす。
「汚ったねぇな杉作は――」
と、完治は、芝居小屋の看板に描かれた二枚目のような顔を拭った。
「ほれ、あそこの森の中――」
完治は左手にある突き出した森の一角を指さした。
彼らの言う関所――集落は、山道を抜けた盆地状の窪地にあった。
集落の両側を切り立った崖が挟み、この集落を抜けねば、この先にある玄能寺の方面には行けない。まさしく百鬼天狗党にとって関所のような役目をする集落だった。
完治が指さすのは、集落の正面に立って右側――切り立った崖の上にある森だった。
「あそこにな、男と女がいたのさ」
さらりと完治が微笑む。
「なんだと!」
杉作が唾を飛ばすも、咄嗟に手を上げ完治がそれを防ぐ。
「おい完治。それはもしかして萩からの使いではないのか?」
珍しく巳吉の声に熱がこもる。
「知らん」
「なにっ?」
「死人に口なし――死んでるんだよ」
あは――と、完治が笑う。
「男の方は身ぐるみ剥がれてな、こう――首の骨折られて、顎が上向いててな――」
と、自分の顎を挟んで、首を捻る。
「それで女の方なんだが……」
「どうした!」
杉作が肩を掴もうと手を伸ばすのを、完治が避ける。
「おい、まさか――」
「違う違う。狐が――」
そんな玉かよ――と完治が笑い飛ばすと、その場にいた全員が嗤った。
「じゃあ、なんなんだ!」
「その女。これがまた小股の切れ上がった偉くいい女なんだが――はぁ……」
完治ががっくりと肩を落とす。
「ぐちょぐちょのドロドロ。散々誰かに犯られまくって、昇天しちまったみたいだ」
溜息と共に合掌した。
「馬鹿かっ」
侮蔑に頬を引きつらせ、杉作が唾を吐く。
「うわはは。これは性分だ許せ、許せ」
身を逸らして完治が笑う。
「それにしても、敵はいったい何者なのであろうな。手勢は如何ほどなものか」
「いまさら取り繕っても遅いわ」
杉作が拳ほどの大きさの石を拾うと、完治に向かって投げつけた。
「よせよせ」
笑いながらとんぼをきると、腰の丸めた蔓のようなものを一閃――杉作の投げつけた石を絡め取ったのは、黒い鞭だった。
「危ねぇなぁ」
着地と同時に鞭を振るうと、石は杉作に向かい飛んでいく。
「――がっ!」
投げ返された石は、杉作の禿頭に当たると二つに割れて地に落ちた。だが、杉作の禿頭には傷一つついていない。
「貴様ぁ!」
怒りに耳まで赤くし、杉作は鉞を振り上げる。
「先に仕掛けたのはお前だ。俺はいらぬから返しただけじゃ」
乱れた髪を縛り直し、完治が鼻を鳴らした。
「そこまでだ」
杉作と完治の間に、白刃が割って入る。
「何はともあれ一度、取り急ぎ寺に戻り、頭に報告せねばな」
巳吉は鞘に剣を戻すと、冷淡に場を締めた。