表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/18

颶風


 上りだった道が、いつの間にか緩やかに下りはじめた。

 陽の光が森の奥までは届かないので薄暗く感じるが、まだ昼をいくらか過ぎたばかりであろう。

 木々の梢の間から、水の瀬音が聞こえてくる。


「ねぇ、柔志狼さんてば。柔志狼さ――」


 直ぐに追いついたお銀を真ん中に挟み、俊輔が殿についてから四半刻は立つ。

 つい先ほどからお銀の頭越しに、俊輔がしきりに柔志狼を呼ぶ。



「さっきから煩ぇな。そんなに気安く名前を呼ばれる筋合いは無ぇぞ」


 柔志狼が振り返り、じろりと俊輔を睨みつける。


「やっと気が付いてくれた」


 気が付かないわけがない。

 柔志狼は同行を許可したものの、極力二人と関わろうとしなかったのだ。

 だが、まるで子犬がじゃれ付くような俊輔に、柔志狼がついに観念したのだろう。


「お腹空きませんか?」


 漸く振り向いた柔志狼に、俊輔の向こうに揺れる尻尾が見えるようである。


()かん」

「嘘だぁ。ねぇお銀さん、お腹空きましたよね?」


 同意を求める俊輔に、お銀は思わず頷いた。


「喰いたければ勝手に喰え」


 そう言い捨てると、柔志狼は先を進む。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。今朝、宿で沢山にぎりめしを作ってもらったんですよ。一緒に食べましょうよ。水も有りますから」


 腰にぶら下げた竹筒を、ポンと叩いた。


「俺の邪魔はしない約束だろうが」

「腹が減っては、戦は出来ぬと言いますよ」


 そう軽口を投げかけた柔志狼の背が突如、沈み込んだ。


「ほら、お腹空きすぎて倒れちゃっ――」


 しゃがみ込んだ柔志狼が挙げた手が、それ以上の言葉を許さなかった。

 びりびりとした緊張感が、柔志狼の背から伝わってくる。

 柔志狼が振り返りもせず、座れ――と、手で示した。

 有無を言わさぬその雰囲気に、俊輔もお銀も黙って従うしかない。

 腰を下げたまま、音を立てぬように注意して、俊輔は柔志狼に並んだ。


「――なんです?」


 声を潜める俊輔に、柔志狼が左側の斜面の下を指さす。

 二人の後ろで腰を屈めたお銀も、その方向を見る。


「あれは――」


 俊輔が乾いた声を洩らした。

 おそらく百鬼天狗党の一味だろう。

 胴当てや、脚絆だけなど身支度はまちまちだが、いずれも剣や槍を持ち、中には銃を持っている者もいる。このご時世とは言え、たかが田舎の盗賊如きが銃まで持つなど、世も末である。


「どうします?」


 連中は俊輔たちとは真逆の方向。山から降る様にして、沢沿いの道を歩いている。どうやら連中は、お銀を助けた集落に向かっているようだった。

 定時の交代なのだろうか。およそ十五人ほどの男らが、大声で笑いながら歩いている。

 まさかこんな山中に、自分たち以外の人間がいるとも思わないのか。山腹のこちらをに気が付いた様子は全くない。


「このまま気づかれずに、やり過ごせそうですよ」


 銃を持っているのが三人ほどいる。

 いかに柔志狼が強かろうが、この距離で見つかればなす術も無い。一方的に銃で狙い撃ちされるだけである。


「――それじゃ駄目だ」


 ゆらりと、柔志狼が立ち上がった。


「――えっ?」

「ここで伏せてろ」


 そう呟くと、音も立てず柔志狼が奔った。

 草を踏む音も、枝を揺らす音もたてず、まるで風のように山肌を駆け下りていく。


「凄い」


 あの仁王像のような太い身体からは信じられない動きだった。

 ぐんぐんと距離を詰める柔志狼に、天狗党の一味はまるで気が付いた様子が無い。

 その颶風のような動きに俊輔は、危険も忘れ思わず見入ってしまった。

 それは隣に居るお銀も同じだった。

 紅い唇を半開きにし、吐息を洩らす。


 だがその時――


「――きゃぁ!」


 脚を踏み外したのか。

 柔志狼に気を取られたお銀が山肌を滑り落ちていく。


「お銀さん!」


 咄嗟の事に、俊輔の口からも声が上がる。


「なんだ!」


 その声に気がつかぬはずがない。

 天狗党の一味が一斉にざわつく。


「あそこだ!」


 運の悪い事に、柔志狼の身が樹々の切れ間に姿を現した瞬間だった。

 三丁の銃口が一斉に柔志狼を捕らえる。

 よく訓練された動きだった。


「ばっか野郎がぁ!」


 柔志狼と天狗党の間には、まだ五間以上の距離がある。

 三つの銃口が同時に火を噴く。


 一発が頭上を外れ――

 一発が頬を掠め――

 一発が柔志狼の右脇腹を撃ちぬいた。


「ちぃ!」


 だが止まらない。


「なんじゃ貴様!」


 次弾を構える前に、数人が剣を抜いて飛び出した。

 腰の革袋から苦無を取り出すと、柔志狼が奔りながら放つ。

 それが先頭を走る若い男の眉間を穿つ。

 更に苦無を放つと、すぐ後ろの髭面の太腿に刺さった。

 もんどりうって倒れる髭面に巻き込まれ、向かってきた数人が巻き込まれた。


「邪魔っ!」


 柔志狼はその一塊を軽々と飛び越える。

 その際に、足元に転がる朱鞘の槍を手に取ると、振り回すように投げ放った。

 唸りを上げ円盤のように回転する槍が、慌てて銃を構える男に襲い掛かった。


「うぁあ!」

「ぎゃああ!」

「ひっ」


 一人が銃を弾かれ――

 一人が柄で顔を潰され――

 一人が槍先で首を斬られた。


 この場合、とっさに銃を放つことが出来た天狗党を褒めるべきなのであろう。

 だが、事態は予想を裏切り、想定外の事態に陥った。

 柔志狼の指が、混乱に逃げ惑う男の両目を抉った。

 五間以上も離れたところから走り込んできた男が、銃を三丁も持ちながら討ち果たすことが出来ぬなどと、誰が想像できたか。

 ある男は抜刀しようとする手を押さえられ、顎を突き上げられると、絶命した。

 しかも柔志狼はその手に剣の一本も帯びていない。

 天狗党の男たちには、何が起こったかなどまるで理解できていなかった。


「鬼……」

「鬼だ……」


 男たちの眼には、柔志狼の姿が漆黒の悪鬼に映っていた。


「鬼だぁあ!」


 逃げ惑う男の首根っこを掴むと、柔志狼が投げ落とす。


「ちん、とん、しゃぁん――」


 天狗党の男たちの前に、黒い鬼が襲い掛かった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ