鬼畜
月明りが岩場に反射して、思いのほか明るかった。
柔志狼と虎磁が対峙している奥ノ院へ向かう参道を外れた岩場である。
時折、風がそよげば、川の瀬音ともに水の匂いが漂ってくる。
固い弾力を持った白い肉から、裸の俊輔が離れた。
「かぁ――お腹いっぱいだ」
額にうっすらと汗をかき、爽やかな笑顔で、身体を伸ばす。
「満足満足ぅ」
にこやかに言い放つと、自分の脱ぎ捨てた着物を探し始めた。
「あれぇ?」
すぐそこの枝に掛けておいたはずの着物が無かった。
と、そこへ、すっ――と、眼の前に自分の着ていた小袖が現れた。
「あっ、こりゃどうもありがとうございま――あぁ!」
「おい」
そこには、呆れ果てた顔をした柔志狼が立っていた。
その顔には、出会って以来ずっと張り付いていた、険のある表情は無かった。
どちらかと言えば、強面ではあるが、気さくな感が漂う。
こちらが柔志狼の本来の性質なのかもしれない。
「こんな処で何をしてやがんだ」
俊輔に向けて小袖を投げた。
「なにと言われましても……」
慌てたようにそれを受け取り、背中を向けるとそそくさと身に付け始めた。
「そ、そうそう、柔志狼さんこそ、鏑堤と戦って――あっ、ここに居ると言う事は買ったんですね」
良かった、良かった――と帯を締める。
「で、鏑堤さんは――」
「死んだよ」
俺が殺した――と、さらりと言い捨てる。
だが、事も無さ気に言う柔志狼も着物は破れ、全身に無数の傷を負っている。
あの様子では、紙一重の勝負だったのであろうことは想像できる。
「鏑堤さんと、お知り合いのようでしたけど?」
「あぁ――同門の兄弟子だ」
遠くを懐かしむように、柔志狼の眼尻に皺がよる。
「それよりも、まさかお前が長州の人間だったとはな」
一転、話を逸らすように、柔志狼が眉間に皺をよせる。
「いやぁ、お恥ずかしい」
俊輔が照れたように頭を掻く。
「褒めてねぇよ」
柔志狼が鼻で嗤った。
「で、どうするんだい。百鬼天狗党は俺がぶっ潰した。 お前ぇらとしちゃ、どう落としどころを見つけるつもりだ」
ぞわり――と、ほんの一瞬だが、柔志狼の中に怖いものがちらつく。
「なにも」
「あっ?」
「落としどころも何も、むしろお礼を言いたいぐらいです」
あっけらかんと、俊輔が笑う。
「どういうことだ。百鬼天狗党は虎磁をそそのかして、長州が作った一派なのだろうが」
「そそのかした――そう言われましてもね」
俊輔が苦笑いする。
「端的に言えば、もう必要がなくなったのですよ」
「天狗党がか?」
修輔が頷く。
「元々は、京や堺などで活動する際に、幕府の御膝元である関東の情勢を計るためのものでした。我らの京の動きに連動して、関八州ひいては江戸で騒乱を起こし、幕府の死からを弱体化させる目的で組織しました」
「ならば、まだ役目は終わっていまい」
俊輔が首を振る。
「昨夏の政変により、我らは逆賊の汚名を負い、京での基盤を失った。これでは関東が江戸が――以前に、京での力を取り戻さねばならない。ここの連中意外に――」
金食い虫でして――と笑う。
「それで邪魔だと言うのか」
「それに何より――野盗の体をして関東を幕府の権威を失墜させようとしたのですがね――やり過ぎた」
殺し――
盗み――
燃やし――
犯す――
「これでは、勤王の志士を気取っても、民意は得られませんからね」
やれやれ――と、量の掌を天に向け、俊輔は溜息をつく。
「それで、お結さんとはどのような関係だったのですか?」
「なにっ?」
柔志狼にしては珍しく、動揺が走る。
「お銀さんから聞いたのですがね、鏑堤虎磁の妻であるお結は、淫売であると」
ばごぉんっ――
なんの前触れも無く、柔志狼が裏拳で、手近な樹を叩いた。
「じゅ、柔志狼さん……」
「虫だ」
と言いつつ、話を促す。
「話しをかい摘んで言いますとね、お銀さんと完治と言う男は、幕府の放った隠密だったようです」
ふん――と、柔志狼が鼻息を荒くする。
「天狗党に潜入して、ふたりは思ったんだそうです。この組織を裏で操り、長州から流れ込む軍資金を流用し、しがない隠密生活と御さらばしたかったようですよ」
「だが、そんなこと、あの堅物の虎磁が許すまい」
「だからですよ」
にやり――と俊輔が口の端を持ち上げる。
お銀は『薬師』に匹敵するほどの技を持っていて、特に様々な毒を扱うことに長けていた。そこで一計を案じ、虎磁の妻である結に、幻覚薬とともに媚薬を盛ったのだ。
効果はてきめんだった。
抗う術も無く、結は堕ちた。
完治の計らいにより、虎磁は正気を失い乱れた結の姿を見てしまった。
そこからは無残だった。
激怒した虎磁は、手下たち全員に結を犯させ、自らの手で殺した。
「お銀は、気力を失った虎磁を、薬と己の肉で籠絡させることなど容易かったのでしょう」
こうして実質、百鬼天狗党は、お銀と完治の手により勤王の志ある野盗から、己が欲望を満たすための盗賊へと成り下がった。
「と、まあぁ、お銀さんよく喋ってくれること、くれること」
と、ここまで話しながら、俊輔は己の全身が細かく粟立っていることに気が付いた。
背筋から冷たいものが、ぞくぞくと這い上がる。
流石に裸で長くい過ぎたか――と思ったその時だった。
「お銀……手前ぇが――」
柔志狼から静かな殺気が立ち昇っていた。
ぞくぞくと寒気がするにも拘らず、柔志狼に向いた表面は焦げ付きそうなくらいひりひりとしている。
「ほ、ほら柔志狼さん堪えて堪えて。この通りお銀さんも因果のツケを払ったわけですから――」
ちらりと、俊輔が視線を落とし、必死に取り繕う。
「そもそも俊輔よ、なんで手前ぇの足元で、お銀が全裸で死んでるんだよ」
柔志狼が俊輔を睨みつけた。
「あっ、これですか。これはですね実は、ふたりで柔志狼さんと鏑堤さんの死合いを見ていたら、お互いに昂ぶり過ぎて欲情しちゃいまして――」
俊輔が場違いなほど、爽やかにはにかんだ。
「そんな事はどうでも良い。何故お銀は死んでいるんだ」
お銀の姿は素っ裸のまま、肉付きの良い尻を天に向け死んでいる。
「村の入り口で、幕府の隠密を殺したってのも、手前ぇか」
お銀の身体も、全身の穴と言う穴から白濁した汁が溢れている。
「私、死んだばかりの中に入れるのが好きなんですよね」
満面の笑みで俊輔が答えた。
「胸クソ悪い――」
そう言い捨てると、柔志狼が背を向けた。
「どちらに行かれるんですか?」
「答える義理は無ぇ」
「連れないな――これでも私は雇い主の一人ですよ」
振り返りもせず、柔志狼は山に向かってどんどん歩いていく。
「後で礼はしっかり払いますからね!」
俊輔の言葉を寄せ付けぬその広い背は、どこか悲しく小さかった。
完