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葛城流


 むっくり――と、柔志狼が起き上がる。

 咄嗟に身を捻り受け身はとったが、柔志狼額は割れ、血が流れている。


「相変わらず、技の切れは逸品だな」


 柔志狼が血を拭おうとし、己の手に籠手を装備したままなことに気が付いた。


「おっと、こいつはいかん――」


 がしゃ、がしゃ――と無造作に籠手を投げ捨てた。


「良いのですか?」


 虎磁の言葉には、どこか嬉々とした色が見える。


「こんなもん着けてると、ついつい手加減しちまうからな」


 そんな強がりとも取れる言葉を吐くと柔志狼は、再び虎磁の前に立った。

 虎磁の結跏趺坐は、いわば究極の“受け”の構えと言っても良いかもしれない。

 滝の淵を背後に背負っている以上、敵の攻撃は基本、正面からのみである。

 更に付け加えるならば、坐していると言うことが、敵の攻撃の多様性を著しく奪っているといえよう。

 銃や弓などの射撃は別としても、剣であれ槍であれ、坐した相手に対しての攻撃範囲は立っている相手の腰から下に相当する。

 つまり、攻撃に際して友好的な空間が半分になり、逆に受ける側にしてみれば半分の空間を護れば良いと言うことになる。

 とはいえども、それは並みの力量で出来る事では無い。

 足捌きを使わず自らの歩法を封じ、ただ受け捌くのみで攻撃を凌ぐなど、まして、相手は同じ無手と言えども、百鬼天狗党を一〇〇人近く屠ってきた柔志狼である。容易い訳がない。

 鏑堤虎磁というこの男、菩薩のような笑みを浮かべながら、その身に潜めるは柔志狼以上の修羅かもしれない。

 そんな虎磁に対し柔志狼は――


「よっこらしょ――と」


 虎磁の前に膝を着いた。

 一足一刀の間合いならぬ、無足一拳の間合い。

 互いの膝と膝が触れ合うギリギリの間合いに、柔志狼は端坐した。

 柔志狼と虎磁の目線が同じ高さになった。


「いくぜ――」


 柔志狼の拳が、虎磁の顔面を襲う。


「面白い――」


 虎磁が捌きつつ、裏拳を切り返す。

 それを絡め取り、柔志狼が相手の(たい)を崩そうとするが、虎磁がそれを嫌う。

 被せるように、柔志狼が掌と拳を打ちこむを、虎磁が捌く。

 互いに相手の打撃を捌き、

 次の瞬間には(たい)を崩し、関節を攻め、それを外しつつ打撃を加え――


 捌き。

 極め。

 崩し。

  打ち。

 崩し。

 

 打ち。

  極め。

 打ち。

 打ち。

  捌き。

 

 まるであらかじめ決められていた約束組手のように、互いの動きに澱みなく、まるで舞でも踊るかのように攻防が続いていく。

 

 だが――

 

 打ち。打ち。

 捌く。

  極め――打ち。

 捌き――受け。

 打ち。

  打ち。 打ち。

 打ち――

 

 次第に均衡が崩れていく。


 ここにきて、虎磁が結跏趺坐である不利が、顕著に表れていた。

 結跏趺坐は尻に重心があり、膝と爪先で重心を操ることが出来る端坐に比べると、動きの幅が狭い。さらに重心が奥にある為、間合が遠くなり、攻めが弱くなる。

 膝を着いていても、巧みに重心を操る柔志狼の攻撃は、重く鋭かった。


「じゃっ!」


 眼を狙った貫手を捌かれ、虎磁の手首が、柔志狼に捕られる。

 膝行(しっこう)(たい)を捌いた柔志狼が、虎磁の脇に回り込むと、肩の関節を極める。

 だが、関節の極まるよりも一瞬早く、虎磁が強引に腕を抜く。

 そのまま前方に転がると、柔志狼に対し間合いを取る。

 膝を着き、半身に構えたところに、一瞬早く立ち上がった柔志狼の前蹴りが襲った。

 みしっ――猪の突進にも似た一撃を、虎磁が腕を交差して受ける。

 吹き飛ばされた勢いに乗じ、虎磁がこの戦いにおいて、初めて立ち上がった。


「何故だ?何故あんたが結を殺さなきゃいけなかったんだ――答えろ虎磁!」


 先ほどと同じ問いを、柔志狼は叫ばずにいられなかった。


「それを訊いて何とするのです?」

「なにぃ」


 柔志狼が眉をひそめる。


「理由など知ってどうするのです。その理由によっては許すと言いたいのですか?」


 まさか――と首を振り、


「志狼、あなたに、そのような資格があるのですか?」

「許すだの、許さないだの――そんな女々しい事を、いまさら口にするな」

「なに?」

「もとより、どんな理由が有ろうと虎磁、手前ぇを許す気なんざ微塵も無ぇよ」


 柔志狼が鼻で嗤う。


「俺がここに立っているのは、私怨じゃ無ぇ。仕事だ」

「仕事?」


 虎磁が怪訝そうに眉をしかめる。


「おうよ。上州は保美の山に巣食う百鬼どもを、一匹残らず退治してくれ――恐らくは死ぬ前に結が、俺に託した仕事で、ここに居るんだ」


 許すなんざ関係無ぇ――と柔志狼が吼えた。


「成程――鬼退治ですか。それは結構」


 くくっ――と、虎磁が肩を震わせた。


「ならば我を止めてみるか、志狼よ!」


 虎磁が動いた。

 まるで陽炎のように、揺らめき――そして迅い。

 三間はあった間合を虎磁は一瞬で詰めた。


 かぁぁ!


 怪鳥のように手を広げるた虎磁が、柔志狼を襲う。

 手刀を剣のように振り、柔志狼の肉を削ぐ。

 虎磁の手刀を捌き、柔志狼が間を詰めると、掌打を放つ。

 相手の懐に踏み込み、(たい)を崩し、時に間合いを計りながらも、相手の空間を潰していく。

 まるで互いの陣を制していくような戦いは、剣の理合いとは大きく異なる。

 

 剣の戦いとは刹那の切り結び。

 一瞬で生死を分かつ剣の死合いは、光陰のすれ違い。

 それに対し、無手同士の武は互いに絡み縺れ、骨身を軋ませ制していく。

 ある意味、男女の睦言にも似ているのかもしれない。

 互いに致命傷の一撃を放つための光明を見出すために、己の骨身を削りながら相手の身をまさぐっていくようなものだ。

 だが、その瞬間は唐突にやってくる。

 ほんの微か――髪の毛一本分にも満たぬほど、柔志狼の氣が上がった。

 虎磁の襟を掴みに行ったとき、ほんの僅かに上体が泳いだ。

 それは一昼夜にわたり、一〇〇人近くの相手と叩き続けてきた疲労のせいかもしれない。

 だが、そこに生死を分ける分水嶺が生まれた。


 ふわり――と、激しい攻防の最中、風に揺らめく蝶のように虎磁が、柔志狼の懐に滑り込んだ。


 ぞくり――と、柔志狼の全身が粟立つ。


 脊髄反射の速度で、柔志狼が反応する。

 だが一瞬早く柔志狼の脇腹に、爆発したような衝撃が走った。

 懐に潜り込んだ虎磁の背が、柔志狼に叩きつけられた。


「ぐがぁっ」


 柔志狼の身体が、弾かれたように吹き飛ぶ――が、


「ぬぉ――」


 虎磁の身体が崩れた。

 瞬間的に柔志狼の爪先が、虎磁の踵を刈った。

 つまり虎磁は己の仕掛けた技で、(たい)を崩した形になったのだ。

 だが、そのおかげで柔志狼は致命傷から免れた。

 とは言えど、右の肋骨は完全に折れている。


「――がっはぁ」


 呼吸すらままならぬ中、痛みに耐えて立ち上がった柔志狼。

 この一撃が、柔志狼の防波堤にひびを入れた。溜まりに溜まった疲労と痛手が、一斉に噴き出す。

 そこに、一足早く立ち上がった虎磁の攻撃が、柔志狼を容赦なく襲う。

 躱すことも出来ず、柔志狼は身を固めて受けるしかできなかった。

 虎磁の拳が、柔志狼の腕を叩き、肘が降り注ぐ。

 呼吸が整うまで――亀のように身を固め、柔志狼はじっと耐える。

 だが、それを許す虎磁ではない。

 するりと、虎磁の貫手が隙間を貫き、柔志狼の腕を抉じ開けた。


「じゃっ!」


 がら空きになった咽喉元へ、毒蛇の鎌首の如き虎磁の鍵爪が伸びる。


「――っ」 


 咽喉仏を突き上げられ、柔志狼の顎が天を向く。

 と、柔志狼の身体が、垂直に沈み込んでいく。


「なにぃ!」


 柔志狼の両手が、虎磁の手首を掴み――体を捌く。

 虎磁の身体が、奈落に引きずり込まれるように落ちていく。


 ごきゅ――


 顔面から叩きつけられた虎磁の右腕が、不自然な形に上を向いていた。

 間合いを取った柔志狼が、荒い呼吸を繰り返す。


「志狼ぉ――」


 顔面を朱に染め、虎磁がゆらりと立ち上がる。

 最早、右腕は使い物になるまい。


「くっ、くっ、くくく――――」 


 端正な顔を歪ませ、虎磁が肩を震わせた。


「しぃぃ――ろぉぉぉ――!」


 虎磁が走った。

 二本貫手に親指を立てた変形三本貫手。

 その鎌槍のような必殺の貫手が、力なく立ち尽くす柔志狼に伸びてゆく。


「あの世で、結に謝っておいてください」

「それは自分で言えよ――」


 柔志狼の身体を、貫手がすり抜けた。


「なにぃ……」


 ぽん――と、柔志狼の緩めた左拳が胸に当たった。


 虎磁は見誤った。


 それは完璧な自然体。

 一切の力み無く、それ故に実体も無い。


「吩っ!」


 虚から実。

 緩から急。

 柔から剛。

 零から極大。


 大地を踏みしめる勁力が、螺旋の奔流となって拳で爆発した。

 柔志狼の拳が、震えるように突き込まれた。


「葛城陰流――死電……」


 虎磁は、己の胸で爆発したそれが全身を透り、背に突きぬけたのを感じた。


「……こんな――技……知らなぃ――」


 崩れるように蹲ると、虎磁は二度と動かなかった。


「あの世で、死ぬほど結に謝るんだな。これからは、時間だけは腐るほどあるんだからよ――虎兄ぃ」


 かはぁ――と、大きく息を吐くと、柔志狼は虎磁に背を向け歩き始めた。





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