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虎狼


 玄能寺の奥ノ院は、本殿の更に奥、岩場に囲まれた渓谷を昇り切った先にあった。

 岩の隙間から滝が流れ、淵に向かい突き出した一二畳ほどの岩場に、小さな祠がおかれている。その中に玄能寺の秘仏が納められていた。


 まるで床のように滑らかな岩場の周囲には、等間隔で四つの篝火が焚かれ、充分に照らされていた。

 その祠の前で、鏑堤虎磁は静かに座していた。

 結跏趺坐(けっかふざ)――足の甲を反対の太腿の上に乗せるように結び、その膝の上に緩く開いたそれぞれの掌を乗せている。

 右の脛を上とする虎磁のそれは、吉祥坐(きちじょうざ)あるいは蓮華坐(れんげざ)ともいい、悟りを開いた者の坐法である。

 滝の流れに律を合わせ、半眼の虎磁は静かに調息している。

 その姿はまさしく、悟りを開いた菩薩のようにも見えた。

 深淵のような夜空には真円の月が、白い光を湛えていた。

 張り詰めた一枚の水墨画のような、凛とした美がそこにあった。

 そこに、ぼとりと墨が落ちた。


「すっかり待たせたみてぇだな――兄弟」


 張り詰めた静寂の中に、柔志狼が現れた。


「いえ、それほどでもありませんよ。志狼」


 虎磁の唇が、きゅ――と、吊り上った。


「むしろ、私の読みよりも早いくらいです。腕を上げましたね」

「兄弟子に褒められりゃ、何よりの誉れなんだろうがな、今のあんたに何を言われても喜びもクソも無ぇな」


 柔志狼が吐き捨てる。


「確かに、正統後継者のあなたに、落ちぶれた私が何を言おうと、それは負け犬の比が身にしかならぬ――確かにそうですね」

「そうじゃ無ぇだろ!」


 虎磁の言葉を遮るように、柔志狼が叫んだ。


「俺なんかより、あんたの方が腕は遥かに上だったろうが。それなのにあんたは、尊皇の志に生きると言って、自ら葛城流を去った……」


 ぎり――と、歯を噛みしめる。


「何故だ!そんなあんたが、何故こんなところで、ちんけな野党の頭なんざ張ってんだ!

「ちんけな野盗とは耳が痛い。これでも我らが百鬼天狗党は、水戸の天狗の流れを汲む由緒正しき勤王の志士の集まりなのですよ」


 虎磁の口元に、薄い笑みが浮かぶ。


「なればこそ――なればこそ何故殺した」

「殺した?」


 怒気を押し殺した柔志狼の言葉に、虎磁が首を傾げる。


「――惚けるな」


 みしり――と、柔志狼が拳を握りしめる。


「何故、(ゆい)を殺した……」

「――――」

「答えろ」


 重く押し殺した柔志狼の声が、岩場に低く響く。


「あんたが勤王の志士だろうが、屑どもの頭だろうが、そんな事、結は気にしなかった。あいつは鏑堤虎磁っていう生真面目で真っ直ぐな、優しい男を選んだだろ。あんたは何があっても結を護るんじゃ無かったのか?答えろ虎磁!」

「青い事を――」

「なに?」

「私はね、嫌いなのですよ」

「――――」

「真っ白な、純白の布にね、染みが一つでもあるのが。それなのに、その布が見るも汚らわしく汚辱に塗れ、それでも尚、そこにあることが」

「なんだと?」

「私には、薄汚れたものは相応しくない――ただそれだけです」

「虎ぁ!」


 柔志狼が奔った。

 一気に間合いを詰めると、坐した虎磁に拳を放った。

 結跏趺坐を組んだままの虎磁の方が圧倒的に不利――だが、次の瞬間岩場に沈んだのは柔志狼の方だった。

 俊輔が現れたのはちょうどその時だっ た。

 先に攻撃を仕掛けた柔志狼が、地面に叩きつけられたのだ。


「馬鹿な……」


 この光景はまるで、柔志狼が剣を持った敵を倒している時と真逆の光景だった。

 俊輔は我が眼を疑った。


「あら、これはとんだ誤算だったかしらね」


 いつの間にか隣にお銀がいた。


「お銀さん――」


 思わず息をのむ。


「柔志狼さん、見込み違いで終わらないでね」


 恍惚に身を震わせ、お銀が嗤った。





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