武鬼
石段の途中でその姿を見かけた時、俊輔は訳も分からず笑みを浮かべていた。
矢張り生きていた――柔志狼があんなに簡単に死ぬわけがない。
剣を持たず、その身一つで荒事をこなす仕事屋の噂は聞いていた。
その仕事は、ちゃんばら刃傷沙汰から、妖怪変化の化物退治までこなすと言うから、眉唾物だと思っていた。
聞いた話では、京で桂や久坂の依頼を受けたこともあると言う。
針小棒大――噂に尾ひれがつき話が膨らむことはよくある話。だが、俊輔の見た柔志狼は噂以上の男だった。
その柔志狼が、たかだか百人程度の野盗ごときに後れを取るわけがない。
あの時――怪我の治療をして動かぬ柔志狼を、俊輔は隠し針で殺そうとした。
いや、本気だったわけでは無い。だからといって、殺す気が無かったわけでは無い。
眼前の男が噂通りの人間であるのなら、試したくなったのだ。
そもそも、俊輔とは無関係の人間である。このような事で死のうが、一向に支障はない。
なれば――と、子供のような悪戯心が鎌首をもたげたのだ。悪い癖である。
だからと言って、殺気を洩らすような間抜けでは無い。
結果的には、俊輔は柔志狼を殺すことが出来なかった。
それが全てだと思った。
噂を、柔志狼の強さを信用するには充分だった。
だから眼前で、具足で身を固めた男を吹き飛ばそうと、一瞬で剣を持った男を三人も屠ろうとも不思議はない。
ただ感嘆し感動し、見惚れるだけだった。
石段を駆け上がる途中、俊輔の前に差し掛かった時――ふん――と、鼻を鳴らし口角を上げた。
傷つき疲弊したその背を見送りながら、俊輔は溜めていた息を吐いた。
果たして、今の状態であの鏑堤虎磁に勝てるのだろうか。
柔志狼とて人間離れした強さであるが、虎磁に俊輔の感じたものは人間では無い。
虎磁の放つ気配は、まさに人外の――神か魔のものかも知れない。
無傷ならば或いは――だが、手負いの柔志狼に勝算はあるのだろうか。
事の成り行きを見届けなければ――国許より帯びた密命も、この勝敗いかんによって左右されることになるだろう。
俊輔は、柔志狼の背を追った。
己の顔に、嬉々とした笑みを浮かべていることも気づかずに。