怨羅
「お頭――」
奥ノ院へ向かう回廊で虎磁の姿を見つけ、完治が走り寄る。
「どちらに行かれるのですか」
まだ擦れの残る声で、完治が問いかける。
「――奥ノ院へ」
じっと、完治の咽喉元を見つめ、虎磁が答えた。
「賊はどうするのです?それに長州よりの使者は――」
と、虎磁は気配も無く踏み込むと、完治の咽喉元に鍵爪状に曲げた指を当てた。
「――お、お頭?」
ぞくりと、完治の背中を冷たいものが流れた。
「矢張り――」
独り納得したように頷くと、虎磁が身を引いた。
完治は咳き込みながら、額の汗を拭う。
「長州の使者は好きにさせましょう。逃げ帰り好きに報告するもよし」
「良いのですか?」
「潮時でしょう。どちらにしても連中とはこれまでです」
その答えに、完治が眉をしかめる。
「完治、どうかしましたか?」
「い、いえ。では、賊の方は?」
「奥ノ院で待ちます」
「えっ?」
何故だ――思わず声に出そうになるのを、完治は噛み殺した。これだけの騒ぎの中、虎磁が迎え撃つのでなく、奥ノ院にて待つなど考えられない。
――百鬼天狗党を捨てる気か?
長州とも手を切り、賊を招き入れるような態度。完治でなくともそう勘ぐりたくなる。
それでは困る。
長州からはまだ金を引き出せるし、それも含め、この天狗党はまだ稼げるのだ。
この程度で引かれては、お銀と二人なんのために幕府の隠密を裏切ったのか分からないではないか。
「それよりも完治。お前こそ、この騒ぎの中どこにいたのです?」
「えっ?」
虎磁の眼が、覗き込むように完治を見つめている。
ごくりと、完治が唾を飲み込んだ。
「あっ、あのです――」
「お銀のところですね」
その言葉に、完治が眼を見開く。
「あ、そ、そう、姐さんが――」
言いかけた時、虎磁の指が完治の咽喉仏を突き上げた。
「――っふが……が……」
完全に咽喉が潰され、声が出ない。
必死で虎磁の腕を剥がそうとするも、びくともしない。
「知っていたのですよ。貴方たちがどのような関係であるかなど」
虎磁が微笑む。それは菩薩像の浮かべる笑みのように優しかった。
「……ち、違っ――お、お頭――はなし、はなしをきいて――」
「もう、よいのですよ」
もう一方の手で、完治の腰を抱き寄せる。
「おか、お頭ぁら――ぎゅが」
虎磁が腰を抱き寄せ、咽喉元に力を込めると、完治の顎先が天を向いた。
びくり――と震える身体を離すと、完治は崩れるように床に落ちた。
「早く来なさい。待ってますよ、志狼――」
立ち去る虎磁の背中は、子供のように嬉々としていた。