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鬼宴


 焔が赤く染める闇の中、鋼を打ち鳴らす音と悲鳴だけが響き渡る。

 火薬が爆発し、崩壊した土蔵が炎を上げているのだ。

 その炎の照り返しがあまりにも強烈なため、視界を眩ませている。炎の熱で嬲られ、眼を開けているのも辛い。

 このまま放置すれば、やがてこの林にも火が回り始めるだろう。

 そんな中、確実に言えるのは、鋼が火花を散し、悲鳴が一つ上がるたびに、天狗党の命がひとつ失われると言うことだった。

 昼間殺られた分と合わせれば、天狗党の残りはすでに半分以下になっているだろう。

 つまり、百人を超える百鬼天狗党も五〇人以下になったということだ。

 土蔵の爆発の後に駆け付けた者たちは、巳吉の命令で可能な限りの支度を整えていた。

 寄せ集めの山賊紛いと言えども、いずれ事あらば幕府とも一戦構えることを想定していたのである。刀剣や槍はもとより、銃や火薬それに具足なども用意してある。

 戦支度と呼ぶに相応しいだけのものを、百鬼天狗党は有しているのだ。

 その全てを持って敵を殺せ――それが鏑堤虎磁の命だった。

 喩えそれが、柔志狼を一軍に匹敵する敵であるという意味だったとしても、巳吉はそう解釈した。


 巳吉が柔志狼の事を伝えに行くと、蜂の巣を突いたような騒ぎの中、すでに虎磁は本堂前に立ち、事の成り行きを傍観していた。

 ごうごうと炎の上がる土蔵を、じっと見つめているのだ。

 周囲の喧騒など耳に入らないのか、その光景を眺める虎磁の顔には、どこか懐かしむような嬉々とした子供のような笑みが浮かんでいた。

 虎磁がこの百鬼天狗党を結成間もないころからの、古参の部下である巳吉をもってしても初めて見る表情である。

楽しくなってきましたね――羅刹(虎磁)が嗤った。

口早に報告する巳吉に対し、虎磁は悠然と答えた。

だが、その表情とは裏腹に、こうしている間にも虎磁の中で、凶暴に猛るものが凝っていくのが肌で感じられた。


「火薬庫がやられましたが、銃でも甲冑でも使い、完全武装で迎え討ちなさい」


 まだ見ぬ敵に対して、虎磁は的確に戦力を判断した。


「後の事は考えなくてよい。ここが我ら百鬼天狗党、存亡の一戦と心得よ。もっとも――」


 と、言葉を切り、

 それでも無理でしょうが――と呟き、巳吉に背を向けた。


「どちらへ?」


 立ち去ろうとする背に向かい、巳吉が縋るように問いかける。

 全戦力を持って、敵を排除しなさい――虎磁はそう言い放つと、


「奥ノ院で待ちます」


 そう言い残し、消えて行った。


 柔志狼の首を持って、奥ノ院へ参ずる。

 それ以外の治め方など、有り得ようはずが無かった。

 巳吉が見る限り、残りの味方はざっと四〇人ほどだろうか。

 その見ている前でも、柔志狼に首を折られ動かなくなった者がいた。

 だが柔志狼とて、流石に無傷でなどある筈が無かった。

 着ているものは裂け、肩には折れた剣が刺さっている。


「これからだと言うのに……」


 柔志狼独りに、ここまで追い込まれることが口惜しくてたまらなかった。

 虎磁の下に集った者の殆どは、自分たちを単なる野盗程度としか考えていない。

 長州と結託して生まれた組織であり、その資金の殆どが長州から流れていることを知る者は、巳吉と完治、それに虎磁の妾であるお銀くらいのものであろう。

 関八州で暴れ回り、天領を混乱させ、幕府の権威を落とす。それが百鬼天狗党に課せられた使命だった。

 その名に『天狗党』が入るのも、尊皇を掲げ攘夷を志すを示すために、かつての『水戸天狗党』にあやかってのものである。

 長州が都を追われ、力を落としている今だからこそ、関東で幕府をかく乱し、長州が力を取り戻すまでの時間を稼ぐべき大事な時である。

 そのような大事な時に、どこの馬の骨とも知らぬ男に壊滅の憂き目にあってい仕舞うとは――


「くそっ!」


 巳吉が、身体を預けていた樹の幹を叩いた。


「なんなのだ奴は!いったい何が目的だ!」


 苛立ちをぶつけた。


「――仕事だよ」


 ぽつりと、耳元で声がした。


「――っ!」


 訳も分からず、反射的に飛び退く。

 巳吉が立っていた場所に、柔志狼が立っていた。


「な、なぜここに――」


 腰の刀に手を当て、距離を取る。


「手前ぇ、昼間みた顔だな」


 ゆらりと、柔志狼が前に出る。

 その分だけ、巳吉が退く。


「偉そうに見物しやがって――仲間外れにしちゃ可哀そうだからよ」


 柔志狼が籠手で、樹の幹を削る。

 そんな二人を取り囲むように、残存する手下どもが周囲を取り囲むが、遠巻きに手が出せなかった。


「な、なにが目的で我らを襲う。だ、誰の差し金だ」

「言ったろ、仕事だよ」

「仕事だと?」

「鬼退治だよ。下衆なクソ鬼どもを、一匹残らずぶち殺してくれ――そう頼まれたんでな」


 と、その時、轟音が鳴り響き、火線が空気を切裂いた。

 取り囲んでいた男の一人が、銃を撃ったのだ。


「邪魔すんじゃねぇ!」


 柔志狼の裏拳が銃弾を弾いた。

 と、肩に刺さった剣を引き抜くと同時に放った。

 どさりと、銃を放った男が胸から刃を生やして倒れた。

 たちまち殺気立つ一同。

 だが、手を出すな――とばかりに、巳吉が掌で制する。


「幕府の手の者か?」


 柄に手を重ねたまま腰を落とし、巳吉がゆっくりと右にまわる。


「さてね――」


 それに合わせるように、柔志狼も右にまわる。


「まさかどこぞの怨恨か?」


 ふん――と、鼻で嗤い、柔志狼は答えなかった。


「偉そうなお前なら、虎磁がどこにいるか知っているな?」


 代わりに柔志狼の口から飛び出したのは、虎磁の名だった。


「貴様、お頭を知っているのか!」


 その言葉に、ふたりを取り囲む男たちにも動揺が走る。


「まさか貴様のその技――」

「何処にいる」


 静かだが鉛のように重い声が、巳吉の言葉を遮った。


「奥ノ院で待っているよ――」


 その瞬間――巳吉が動いた。


「――貴様の首をな!」


 巳吉の放つ鞘走りが唸りを上げた。

 正当林崎流を学んだ巳吉の居合は、天狗党の誰もが一目置くほどの腕前だった。

 その場の誰もが巳吉の勝利を確信した。

 だが――巳吉の剣が柔志狼の籠手に受け流され、火花が弾けた。

 巳吉の身体が、剣に引かれるように崩れた。


「あっ……」


 その巳吉の顔面に、柔志狼の拳が吸い込まれていく。


 ぐちゃ――


 剣を握る巳吉の手が、何かを探るように揺れ――地に崩れ落ちた。


「確かに待ってるんだろうよ――生きてる俺をな」


 そう呟くと、柔志狼が振り返る。


「……ダメだ」

「勝てるわけがねぇ」

「化物だ」


 ざわめく人の輪が、柔志狼に気圧されたように無意識に退る。

 眼前にいる五〇人近くいる男たちなど、まるで眼にはいっていないのか。

 柔志狼が無人の野を行くかの如く、悠然と脚を踏み出した。


「ビビってんじゃねぇぞ!」


 ずいと、色の黒い男が前に出る。


「こ、こっちには、まだ五〇人以上残ってるんだぜぇ。奴がどんなに化け物でも、一斉にかかれば、負けるわけがねぇ!」


 手にした銃を構える。


「お、おい。さっき松次がや殺られたの忘れたか」


 松次とは先ほど、柔志狼を銃で撃った男である。


「あんなもん、まぐれに決まってんだろ!」


 悠然と近づいてくる柔志狼に、狙いを定める。


「死ね!」


 男が引き金を絞ると、銃弾が放たれた。

 だがそれは、柔志狼の横の樹の幹で弾ける。


「うらぁ!」


 続けて放たれるも、柔志狼は歩みを止めない。

 当たりはしない――まるでそう確信している様である。


「糞がよ!」


 立て続けに三発。


 前方から伸びる火線を、柔志狼は、微かに身を捻り躱した。


「うがぁ――!」


 その姿に、最初の男が狂ったように引き金を引く。


「ならぁ!」

「うら!」


 それに続くように、銃を持っていた二人の男が続いた。

 三方から同時に銃弾が降り注ぐ。

 それに対し柔志狼は――構えた。

 顔の高さで左手をやや前に、右手を顎の前にして構える。

 そして次の瞬間――火花が弾けた。

 柔志狼の顔を狙った銃弾を、蛇腹状の籠手で弾いたのだ。

 次々と放たれる銃弾。

 柔志狼はそれを次々と、蛇腹籠手で弾き、捌く。


「ば、馬鹿な――」


 男たちの間に、更なる動揺が走った。

 迫りくる銃弾を弾くなど、考えられることでは無い。

 だが柔志狼は、それをやってのけたのだ。

 驚愕の光景に、銃撃が止んだ。

 それを見逃す柔志狼では無い。 

 颶風の如く奔った。


 がぁあ――!


 一〇間(一八〇メートル)以上の距離を、瞬く間に詰めると、柔志狼が吼えた。




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