凶火
このような時、巳吉の差配は的確だった。
万が一の事態に備え、通用門の両脇には、抜刀した者を二人立たせた。
念のために、銃も用意させた。
そこまで備えてから、ようやく閂を外すように指示を出す。
「閂を外した。仁平、通用口より入って来い」
通用門の前で腕を組み、巳吉が言った。
「無理なんだよぉ……」
仁平が泣きそうな声を上げた。
「無理とはどういうことだ」
その言葉に、一気に緊張が高まる。
「誰かいるのか?」
「違うよぉ……無いんだよ」
「無い?なにが無いのだ?」
そう言いながら、銃を持った者を通用門の前に配置し、巳吉は脇に避けた。
「腕が無いんだよぉ――」
「腕?」
その言葉に、周りの者たちが表情を硬くする。
「俺の腕がぁ――腕がよぉ……右も左も無ぇんだ」
痛ぇよぁ――と、仁平が泣いた。
「血が止まらねぇ。このまんまじゃ死んじまうよぉ」
開けてくれよぉ――と、仁平が叫ぶ。
こちらを窺う門番に、巳吉は無言で指示する。
門番が通用門を開けると、転がる様に仁平が飛び込んできた。
「た、助かったぁ」
泥と汗と血に塗れた顔をあげ、仁平が声を上げて泣き始めた。
確かに両腕の肘より先が無い。
「酷い……」
その場にいた皆が仁平を取り囲み、口々に声を掛ける。
「酒とさらしを持って来い」
叫んだのは誰だったか。
ふと、巳吉の頬を、生ぬるい風が触った。
通用門が、開け放たれたままだった。
門の表側に残された、血の跡が生々しい。
「おい!」
巳吉の声に、門番が慌てて門扉を閉じる。
「これで全員戻ったはずだ。支度を急げよ!」
虎磁のもとへ行くべく、石畳に脚を踏み出した。
と、その時だった。
ぼとり――と、重く湿った音がした。
仁平と恒を中心とした、人垣の真ん中。
そこに二本の薪のようなものが転がった。
いや、もっと重く湿ったもの――それは人の腕だった。
「ひぃい――!」
銃を持っていた吾作が腰を抜かした。
それが伝播するように、動揺が広がる。
「俺の腕……」
そんな中、仁平が這いずる様に己の腕に近づいた。
「な、なんだ――どこから……何故?」
これには流石の巳吉も混乱した。思考が僅かに停滞した。
「ちん――とん、しゃぁん――」
そこに、三味の音の口真似のような声が響いた。
「だ、誰だ、手前ぇ――ぐぶぁ!」
どさりと、恒の後ろに立っていた男が倒れた。
「そうさなぁ。鬼退治に来た桃太郎ってところかな」
その言葉に、振り返った恒の顔が恐怖に歪んだ。
びくり、と振り返った仁平は泣き出した。
「猿と雉はいないがな、犬なら先に来てんだろ」
にこりともせず、柔志狼が拳を打ち鳴らした。
なにが起こったのだ。
一体、奴はどこから侵入したのだ。
「そうか――」
あの時――誰もが仁平の姿に気を取られ、門が開けっ放しになったあの瞬間だ。
恐らく、あの僅かな瞬間に柔志狼は侵入したのだ。
だが今更、そのような悔恨は意味をなさない。
巳吉の思考が泳いでいる間にも、仲間が次々と打倒されていく。
剣で斬りつけにいけば、腕を折られ。
逃げようと背を向ければ、襟を掴んで投げられる。
槍を捌いては殴られ。
遠間から銃を放てば、味方を盾にされる。
柔志狼がひとつ動く度に、必ず誰かが打倒されていく。
もうすでに、十人以上が動かぬ骸と化している。
くっ――巳吉が唇を噛みしめる。
なんたる失態だ。
「敵だ!出合えぃ!」
巳吉は本堂に向かって走り出した。
この時すでに、騒ぎを聞きつけた者たちが外に飛び出している。
「奴が善吉らを殺した敵だ!」
すれ違いざまに叫ぶと、殺気だった味方が怒声を上げ走っていく。
矢張り恐れていた通りだった。
あの男は化物――いや修羅だ。
修羅には羅刹を充てるしかない。
急がねば。
急ぎ虎磁を呼びに行かねば。
駆け出した巳吉の脳裏に、嬉々とした羅刹の顔が浮かんだ。