不自然消滅
真夏の金沢は、暑い。
コンビニを出て車に戻ると、私も姉もすぐにペットボトルを開けてがぶ飲みした。
姉も私も、普段は飲まないポカリスウェットだった。お茶やミネラルウォーターでは、この炎天下を乗り切れそうにない。
姉がエンジンを入れると、ごーっとエアコンの熱風が汗ばんだ体にかかってくる。
高速を走っている間はつねにエアコンが効いていたのでわからなかったが、気温はきっと35℃近くまで上がったのだろう。休憩のためにほんの五分ほど車を離れただけで、車内はもわっとした熱気で満ちていた。
よく冷えたポカリスウェットが喉から食道を伝っていく。私も姉も、飲み終わると同時に深い息を吐いた。
「あと、どれくらいなのよ」
汗をタオルで拭きながら姉が聞くので、私は昨日、本屋で買った金沢の地図を開いた。突然のことで、近所の本屋はお盆休みだったから、駅前の大型書店まで買いに行ったのだ。
ふせんを付けた場所は、ここから金沢駅に向かって国道を走り、そのまま駅を通り過ぎて、犀川を渡った先の住宅街にある。
「もうちょっとだと思う。このまままっすぐ行けば、見覚えのあるところに出る、はず」
「新潟と金沢って、遠いのねぇ」と姉は笑う。「あたしから誘っといてあれだけど、家でごろごろしてればよかった、なんてね」
「だから言ったじゃん」
「でも、やっぱり会わなきゃ、絶対」
「わかってる」
「しかし、毎月よく通ったわねぇ。二人とも本当にさ」と、姉は嫌味のように言う。
私は何と言ったらいいかわからなくて、飲みたくもないのに、もう一口ポカリスウェットを飲んだ。甘酸っぱい味が口の中に広がった。
姉は愛車のマーチをバックさせて、コンビニの駐車場から国道に車を出した。
金沢の中心部に向かっていく片側二車線の道路は、真夏の強烈な日差しで陽炎を作っている。
冷えはじめたエアコンの風量を強くして、直接自分たちの顔の辺りに当たるようにすることで、ようやく汗をかかなくて済むようになった。
お盆の金沢市内は、石川と金沢ナンバーの他に県外ナンバーの車も混じっている。私も姉も、県外ナンバーを見つけるたびに、「あ、京都」「ほら、八王子」と子どものように指差した。
「みんな観光かな」と姉が言った。
「帰省じゃないの」
「でも、私たちみたいな人はいないだろうね」
姉はそう言って一つあくびをし、信号が赤になって停車すると、シートがきしむほど大きな伸びをした。運転に疲れたようで、高速を降りてから姉はあくびを連発していた。
私は免許を持っているけど、典型的なペーパードライバーだった。運転自体は、大学のときに免許を取ってから、母の車で一度練習させてもらっただけで、もう五年近くは運転席に座ってすらいない。
運転がそれっきりになったのは、そのとき私の運転を助手席で体感した母に、「あんた、向いてないわ。やめときなさい、悪いことは言わないから」とあっさり言われたことが思ったよりもショックだったからで、四ヶ月もかけて頑張って取った念願の免許だったのに、自分でも驚くほど簡単にその権利を放棄してしまったのだった。
会社も近所なので出勤も自転車だったし、車が絶対に必要なわけではなかったのもある。
「運転、変わろうか」
私は信号につかまったのを見計らって姉に声をかけた。姉はさっきからしばらく黙ったまま運転していた。
「あたし、まだ死にたくないわ」と姉は笑った。
「大丈夫だよ」
「冗談言わないで。嫁入り前なのに、こんなところで人生終わりたくないわよ」
「嫁に行く気あるんだ?」
「あんたね、世の中には言って良いことと悪いことがあるのよ」
「あ、信号青だよ」
姉は「今は自分の心配しなさいよ」とぶつぶつ言いながら、アクセルを踏んだ。
私は久しぶりに交わす姉との会話を、内心楽しんでいた。姉はこの五年間、海を渡った佐渡の警察署に勤めている。
帰ってくるのはお盆と正月休みだけだが、最近は仕事が忙しいのもあって、実家に長く滞在することはめっきり少なくなった。こんなふうに二人きりで過ごすのは、丸二年ぶりだった。
「おねえちゃん、お腹空いた」
わざと子どものように言ってみると、私はよく姉と一緒に手をつないで帰った小学校の通学路を思い出した。あれからもう何年経ったのだろう。
「何食べようか」と、姉は車をゆっくりと発進させながら言った。
「何食べたい?」と私が訊くと、
「せっかく来たんだから、金沢名物がいいな」と姉が笑う。
「名物か」
そのとき私は、少し寂しくなった。私が初めて亮平に会いに金沢に来たとき、まったく同じ会話を亮平としたのを思い出したのだ。
「あんた、何食べたの」
不意に姉が聞いてきたので、私はてっきり朝食のことだと思って「パンと、ヨーグルト」と答えると、姉は声を出して笑った。
「あんた、それ今朝食べたやつでしょ」
「うん」
「違うよ。亮平くんと金沢で何を食べてたのか、って聞いたのよ」
「そっか」私は顔が赤くなるのを感じた。
「あんたって、本当に抜けてるわね。今朝は一緒に食べたじゃん。何であたしがわざわざ朝食のメニューを聞くのよ」と、また姉は楽しそうにけらけら笑った。
そのときだった。十字路を左折した先の光景に、私は思わず声を上げた。
「どうしたのよ」
「わかる」
「何が」
「よく通った、ここ」
「亮平くんと?」
「うん」
私は窓の外を凝視した。見覚えのある街並みに、胸が締めつけられたように苦しくなった。いつか、亮平の車で通った道だった。
自分の目から涙が出ているのを、姉がそっとティッシュを手渡してくれるまで私は気がつかなかった。
「いいから、泣きなさい」姉はそれだけ言うと、しばらく何も言わなかった。
そして私が泣き止んだのを見ると、「じゃあ、嫌な用事を片づける前に、うまいもんでも食べにいくか」と、助手席の私の太ももをぺちぺちと大げさに叩いて笑った。
☆☆☆
金沢に来るときは、いつも電車だった。
直通のバスもあったのだけど、私は電車で行くことを好んだ。それには深い理由はなかった。ただ、何となく高速バスというのは味気ない気がして、気が進まなかっただけだった。
電車はいちいち駅に停まるから、その地名を見ていると自分がどんどん遠くに来ていることが感じられて、そんなふうにして想いを巡らせながら、亮平のもとに行くのが好きだった。
いつだったか、たぶん遠距離を始めてしばらく経った頃、私は亮平にこの話をしたことがある。亮平が新潟に来るときはいつも自分で車を運転してきたから、彼は「電車の良さはよくわからないけど、高速のインターチェンジが同じものかもな」と言ってくれた。
「金沢を出発してさ、富山を抜けて『新潟』の標識が出てくると、何だか興奮してくるんだよ。来たな、って。そしたら必ずモンパチの『あなたに』を車の中で流すんだ。ほら、昔流行った曲、知らない? サビの『あ~な~た~に、会いたくて~』ってとこをカラオケみたいに熱唱しながら、沙紀のことを思うんだ。これから会いに行くよって」
私はそれを聞いたとき、遠距離でも大丈夫かもしれないと初めて思えたのだった。
新潟でつきあっていたときは、大学も同じでいつも一緒にいたから、亮平が就職で故郷の金沢に帰ると言ってきたときは本当に悩んだし、実際に遠距離になってからは何度も別れようと思った。
でも、そのときの照れた亮平の顔がたまらなく愛おしくて、その一瞬ですべてが大丈夫だと思えるようになったのだ。
それから、一年以上が経った。毎月、休みを合わせて新潟と金沢を行き来する生活にも慣れた。少なくとも私は、順調に行っていたと思っていた。
少なくとも私は。
ちょうど一月前の土曜日、亮平は新潟に来ることになっていた。
しかし、いつもなら到着する前に必ずメールが来て、私はそれを見て身支度を済ませるのだが、その日は、前日に亮平が電話で言っていた予定時間になっても連絡はなかった。
一番最後の連絡は、当日の朝だった。
早朝の六時前に受信したそのメールには、「今出発したよ。予定通り」とだけ書かれていた。たった二行だったけど、亮平はいつもメールではそんな感じだったし、こうやって一ヶ月に一度、新潟に来てくれる日は、朝が早いからか、これから四時間以上も高速を運転するからか、絵文字も何もないシンプルなメールが来ることが多かった。
私はそのメールに、「おはよう。待ってるよ。気をつけてね」と返した。
それに対しての返信はなかったが、車を運転しているのだからそれも特におかしくはなく、むしろ私は、今、亮平が私のいる場所を目指して一心不乱に高速を走っているのだと思うと、その空白も楽しみにすら感じていた。
いつもは、高速を降りたところで、「高速降りたよ」とこれまたシンプルなメールが来る。
高速のインターチェンジから私の家までは、大体十五分くらいで、私はそのメールを見てから、身支度の最終チェックをする。そして、リビングの玄関に近い場所で亮平の車のエンジンの音が家の前まで来るのを、今か今かと待つのだ。
ところが、その日に限って、約束の時間を三十分過ぎても、一時間過ぎても亮平から連絡はなかった。
こっちから連絡しようと思って、何度も「今どこ?」とメールを作っては、すぐに消すのをくり返した。亮平が今運転しているのだとしたら、私からの連絡は邪魔になるかもしれないと思ったからだった。
私はそのたびに、亮平専用のメールの受信フォルダを開いては、「今出発したよ。予定通り」という朝のメールを見返して、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせた。
冷静に考えれば、高速を飛ばして片道四時間近くもかかるのだから、多少予定より遅れたとしても特に不思議なことではない。
渋滞しているのかもしれないし、車が故障したのかもしれない。もしかしたら、昨日仕事が大変だったと言っていたから、パーキングエリアで長めの休憩を取っているのかもしれない。つい、うとうとと車の中で寝てしまっているのかもしれない。
もしそうだとしたら、それはしかたがないことだし、そのうち亮平がこっちに来たら、「そういうときは、一応連絡してよね。心配しちゃうから」と笑いながら怒ってあげよう。
きっと亮平は「ごめんごめん」と、わざとふざけて舌を出したりして、それでこのことは全部ちゃらになって、それからいつも通り、美味しいご飯を食べに行くのだ。今回は亮平の好きな、長岡のラーメン屋に行くことになっていた。
だが、いつまで経っても、亮平からの連絡はなかった。
リビングの掛け時計は、ついに十二時の鐘を鳴らした。到着予定時間から二時間近く経ったのだ。
すると、母が夜勤から帰ってきた。母は、父が亡くなってから、駅前の大きな病院で看護師をしている。姉が佐渡に行ってからは、私と母の二人暮らしだった。
亮平が来ることを知っていた母は、玄関を上がるなり「あんた、まだいたの?」と大げさな声を出した。私は事情を話した。本当は言いたくなかったが、誰かに頼らなければどうにかなりそうだった。
母は携帯電話の電池が切れたんじゃないの、と言った。でもそれなら、連絡はできてなくても、もうここに到着しているはずだった。
「じゃあ、渋滞してるのかしら。世間は連休だもんね。まあ、あたしには関係ないけど」とぶつぶつ言いながら、母はリビングを抜けてキッチンに入り、帰りに寄ったのだろう、はち切れんばかりに膨らんだエコバッグから食料品を冷蔵庫に詰め始めた。
私はもう一度、手の中で熱くなった携帯電話を開けた。やはり連絡はない。
「そうそう、おねえちゃん、お盆に帰ってくるって」母は手を洗いながら言った。
「聞いたよ、十二日に来るんでしょ」私は声を荒げて言った。
「あれ、あたし言ったっけ」
「昨日聞いた」
自分でも言い方にとげがあるのがわかった。
「あんた、何怒ってんの」母がキッチンから顔を出した。
「怒ってない」
「なに、ケンカでもしたの」
「してないよ」
私はつけっぱなしのテレビを、見ているふりをした。
やがて、キッチンからコンコンと何かを刻んでいる音が聞こえた。夜勤明けの日は、母はこれからご飯を食べて、テレビを観てから昼過ぎに眠るのだ。
「それで、何時に来るの、亮平くん」
私は何と答えればいいのか、少し迷った。
「わかんない」
「そんなに混んでるの? 金沢から新潟で渋滞する場所なんてあったかしら」
「わかんない」
「連絡あったんでしょ」
「うん」と私はうなり声だけ上げて、もう一度携帯電話を開けた。いつもの待ち受け画面が待っているだけだった。
「なに、連絡来てないの」
今度は母が声を荒げたので、私は何かいけないことをしているような気がして、心臓が脈打つ音がどんどん大きくなるのがわかった。次に言われることが何となくわかっていたからだ。
「あんた、まさか本当に連絡ないの」
私はしかたなく、「うん」とうなずいた。
すると母は、包丁の手を止めると、血相を変えてリビングの私のところまで来た。そしてエプロンで手を拭いながら、「大丈夫?」と怖いほど静かに言った。
「うん」私はテレビから顔を離せなかった。
「きっと、そのうち来るわよ」
私はうなずいて、母に顔を見られないように、涙が出そうになるのをこらえた。
「沙紀、ニュースつけなさい」母が突然言った。
「なんで」
「いいから早く」
私は母の冷静さに圧倒されて、テーブルの上のリモコンを取り上げた。
「ニュースつけなさい」
ニュースをやっているチャンネルを探しながら、私はすぐに父のことを思い出した。
父は、交通事故で死んだのだ。
「まさか、そんなことないわよね」と涙声で言う母を見て、私も「まさか」と思ったが、すぐにリモコンを操作する自分の手が震えているのに気づいた。
「事故にあったんじゃないわよね」
母がヒステリックな声を上げるので、私は「そんなわけないよっ」と思わず怒鳴った。
リモコンをテーブルの上に投げ出すと、リビングを出て階段を駆け上がった。後ろで母が怒鳴っているのが聞こえた。
自分の部屋に入ると、私はドアを強く閉めた。部屋の中は、さっき張り切ってつけた香水の残り香がせつなく香った。
ベッドの上に崩れ落ちた。テーブルの上の読みかけの本も、クローゼットから出したまま片づけていない服も、いつものようにそこにあった。
窓の向こうからは、いつもの休日の音がした。子どもの声、車の音、風の音。のどかな休日の、のどかな街の、のどかな部屋の片隅で、私はベッドの上で、知りたくない何かを待っている。
そのとき私は不意に、亮平が事故にあってないと、何の根拠もなく思った。
亮平が死ぬわけない。
そんな簡単に人が死ぬわけない。
私は起き上がって、携帯電話を手に取った。そして、着信も何もないのを確認すると、自分でも驚くほど何のためらいもなく、その日初めて亮平に電話をかけた。心臓が激しく脈打つのを感じた。
通話ボタンを押してから、応答があるまでしばらく間があった。私は自分の心臓の音を聞いた。
すると不意に、「お客様のご都合により、電話に出ることができません。お客様のご都合により、電話に出ることができません」とアナウンスが聞こえた。
私は何かの間違いだと思って、もう一度かけ直した。やはり同じアナウンスが流れた。
それは、着信拒否のアナウンスだった。
そんなわけない。
今度は、「今どこ?」とメールを送った。数秒後、メールが来た。急いで開けると、それは亮平からの返信ではなく、「メールが送信できませんでした」というエラーメッセージだった。
もしかして。
私は全身から血の気が引くのがわかった。
亮平は事故にあったわけでも、携帯電話の電池が切れたわけでも、壊れたわけでもないのではないか。連絡できないのではなくて、しないのではないか。
亮平は、私との関係を、切ったのだ。
☆☆☆
それから半月ほど経って、お盆休みに姉が佐渡から帰ってきた。
姉が帰ってくる日は、決まって姉の大好物のすき焼きを食べる。今回は四日ほど実家にいられるという。
母は嬉しそうにすき焼きの下ごしらえをし、姉の帰りを待っていた。冷蔵庫には、姉の好きな缶ビールをたくさん冷やしていた。
姉は帰ってくるなり、「やっぱり我が家は落ち着くわぁ」と言ってジャージに着替えると、缶ビールを開けては、男勝りの飲みっぷりで次々と飲み干した。母はそれを見て、「本当に相変わらずね」と笑った。
姉は昔から気が強くて豪快で、中学校に上がるくらいまで後ろに男の子を引き連れて遊んでいるような子どもだった。運動神経もよかったから、外で遊んでいても男の子に負けなかった。
一方、私は子どもの頃、とても泣き虫だった。遊びに行っては泣かされて帰ってきて、母に問い詰められると「だって」とうつむき、泣くのをやめなさいと叱られると「だぁって」と間延びした言い方でさらに泣くのだ。
それが高じて、母が言い出したのか姉が言い出したのか、私は「だあちゃん」と呼ばれることもあるほどだった。
そんな対照的な娘二人を、母は「沙紀は泣かされて帰ってくるから困ったが、おねえちゃんは男の子を泣かせて帰ってくるから、相手のお家まで謝りに行かないといけなくてもっと手を焼いた」と、今でも笑い話にする。
小さい頃に父が亡くなったから、余計に大変だったろう。「おねえちゃんは男の子に生まれてくればよかったのよ」と母が言うのを何度も聞いたことがあるくらいだ。
そんな姉に、警察官という仕事は本当に天職だと私は思っている。こんな婦人警官が近所にいてくれれば、きっと町の人々は安心できるだろう。
姉があの警察官の制服を着て、持ち前の強気で男の犯人をたじたじにする場面が、私には容易に想像できた。
にぎやかな夕飯が終わって、疲れたのか眠そうな母がお風呂に入ると、姉はテレビを観ていた私のところに寄ってきて、
「あんた、何があったのよ」と聞いてきた。
「何が?」
「何がって、決まってるでしょ。心配してたわよ、お母さんが」
私はそれでピンと来た。
「お母さんが?」
「そうよ、あんたの様子がおかしいって。その、彼氏の子のことで何かあったんじゃないかって。心配してあたしに何度も電話かけてきたんだから」
そう言うと、姉はもう一口ビールを飲み、「いいから話しなさいよ」と私の隣に座った。
私は、この一ヶ月のことを思った。亮平からの連絡は、やはり一度もなかった。つらく、長い一ヶ月だった。友達にも誰にも、今回のことを話すことさえできずにいた。
私はその日、姉を相手に、亮平との一部始終を話した。自分でも驚くほどすんなりと話すことができた。まるで他人事のように話す自分に驚きながら。
「自然消滅ってこと?」姉はすべてを聞くと、ため息をつきながら言った。「何よ、それ」
「だから……」
「本当に連絡来てないの?」
私はうなずいた。
「何度も連絡した?」
「だって、つながらないもん」
「会いに行ったの?」
「なんで?」
「なんでって、あんたそれでいいわけ? そうやって泣き寝入りするわけ?」
「だって」
姉はビールを一口ぐいっとあおった。
「気持ち悪くないの? 突然ドタキャンされて、連絡できなくなって、はいそれで終わりって、あんた二年もつきあってたんでしょ? このままで本当にいいの?」
私はうつむいたまま、何も返せなかった。
「第一さ」姉はつづけた。「自然消滅っていうことば自体が、あたしはキライなのよね。この世の中に、自然消滅なんて存在しないのよ。それを言うなら、不自然消滅よ、不自然。わかる?」
姉は私の肩を叩いた。
「昨日まで好きだ好きだって言っといてさ、朝に『これから行くよ』なんてメールを送っておいて、それで一方的に連絡途絶えさせてポイだなんて、そんなの不自然以外の何物でもないでしょ」
「わかったから。もう、お姉ちゃん飲みすぎだって」
「あたしは酔ってないわよっ」姉は手に持っていた空き缶を、床の上に勢いよく置いた。
「あんた、あさって空いてるの?」
「空いてるけど」
「行くわよ」
「どこに?」
「金沢よ。決まってるでしょ」
私は驚いて、姉の顔を見た。姉の目は、本気だった。
「じゃあ、あさってで決まりね。明日はおじさんのところに顔出さないといけないし。あ、そうだ。あんた金沢の地図あるの? ないなら明日買ってきなさいよ。あたしの車、ナビないのよ。それであさっての朝出発して、夜には帰ってこれるでしょ。あたし次の日、佐渡に戻らないといけないし。ね、それで行こう。よし、決まり。あんた、話聞いてんの?」
「ちょっと待って。何しに行くの」
私はまだ混乱していた。
「だから、そいつに会うのよ。会って、ちゃんと話をつけてきなさい。家わかるんでしょ? じゃあ押しかけて、むかつくなら一発殴って帰ってきなよ。ん? あたしが代わりに殴ってあげようか? いや、骨折れちゃうか、そのダメ男。これでも空手二段だからね」
そう言って、姉は拳を握ると、正拳突きのマネをしてきゃはっと笑った。
私は何度も抵抗したが、やがて姉が本気であることがわかると、しかたなく承諾した。一度こうなると、姉は絶対に意見を曲げないのだ。
二人で相談した結果、母には金沢行きのことは内緒にして、二人で買い物に行くことにすることになった。母には余計な心配をかけたくなかったからだ。
そんなわけで、私と姉は今、亮平に会いに、金沢に来ている。
☆☆☆
姉の希望で、昼食は近江町市場で海鮮丼を食べることになった。
それは、亮平に会いに初めて金沢に来たときに食べたものだった。姉は、「今日はとことん傷心旅行でいいじゃない。思い出のものを食べて、お腹もハートも満たしちゃおう」と、うまくもないことを言って笑った。きっと、海鮮丼を食べたいだけなのに。
近江町市場は混んでいた。大きな敷地はどこも人で埋まっていて、一階を一周歩くだけで私も姉も疲れ果てるほどだった。
しかしどこの魚屋さんも活気があって、初めてここに亮平と来たときも興奮してはしゃいだのを思い出した。
私も亮平も、お寿司が大好きだった。それもだいたい、いくらとかうにとか中トロとか、高いネタばかり二人とも好きで、一緒にお寿司屋さんに何度も行ったが、帰りは二人ともお財布の中身を嘆きながら帰ったものだった。
姉はそこまで魚が好きではない。
どちらかというと肉食派で、新潟に生まれ、佐渡に住んでいるくせに、一番好きな食べ物は「焼肉」と答えるのだった。だけど、さすがに新潟に生まれた血が騒ぐのか、市場を回っている間、「魚くさいわねぇ」と、姉はせりふに似合わない満面の笑顔でしきりに鼻をくんくんさせた。
海鮮丼ののぼりが出ているお店はどこのお店も混んでいて、結局私たちは市場のはずれにあった小さなお店の行列に並ぶことにした。しかし、行列はなかなか進まない。
「回転が悪いねぇ」
姉は行列の後ろから、まるで子どものようにお店の中を何度ものぞきこみ、店の前に置かれた写真入りのメニューを手にとっては、これがいい、これも食べたいと、落ち着かなかった。
二十分ほど待って、ようやく店内に通された。
お店は、常時八名ほどしか入れないカウンタースタイルになっていた。二人とも同じ「特上海鮮丼」を注文すると、姉は目の前で魚をさばく店主に向かってしきりに「お店を広くしなさいよ」と無理な愚痴を言った。
「申し訳ありません。土地が狭いもんで、これが精一杯なんすよ」
「それでも大将さ、これじゃあ行列ができるのも当たり前じゃない。これで『行列ができる店』とか言って広告出したら、あたしが許さないからね。ただ座席が少ないだけじゃない。何分待ったと思ってんの」
反対側のカウンターに座っていた老夫婦が、姉を見てにこにこと笑っていた。私はそれに気がつくと、苦笑いをしながら軽く会釈をした。老夫婦はにこにこしたまま会釈を返してくれた。
海鮮丼は本当に美味しくて、私も姉も「おいしい」「うまいわねぇ」と夢中になって食べた。
ボリュームが多くて私は途中でお腹がいっぱいになってしまい、私が箸を置いてお茶を飲んでいると、姉は「あんたもういらないの?」と私の残した甘えびやいかを横取りして、嬉しそうに頬張った。
「おねえちゃん、焼肉が好きなんてうそでしょ」
私はその食べっぷりを笑いながら眺めた。
「あたしに、もぐもぐ、キライなものなんて、んん、ないのよ」
姉が食べ終わると、大将がデザートのすいかの小皿を出しながら笑った。
「お姉さん、いい食べっぷりだねぇ。見てて気持ちがいいや」
「それなら、並ばないように店大きくしなさいよ」
「お姉さんにはかなわねえや」
大将は顔を真っ赤にして、かっかっかっと楽しそうに笑い、新しく入ってきたお客さんがそれに驚いて私たちのほうを不思議そうな目で見た。
近江町市場を出ると、姉は「お腹いっぱいだぁ」と、Tシャツの下の下腹部をぽんぽんと叩き、「味はいまいちだったわね」とまさかの発言をする。
「それ、冗談?」私が訊くと、
「何が?」姉はお腹をさすりながら、至福の表情で私を見た。
真夏の金沢は、蝉しぐれに包まれている。どこを見渡しても、木なんて街路樹くらいしかないのに、蝉の声はまるで耳元にいるかのようにやかましく聞こえた。
昼下がりの街は、だらだらと気だるい。暑いからか、空気が重く感じられて、水の中を歩いているみたいに体が重かった。
駐車場に着いて車に乗り込むなり、姉は「準備はいい?」と言った。
私はうなずいて、「お願いします」とわざと丁寧にお辞儀をした。
「かしこまりました」
姉はエンジンをかけると、ダッシュボードの上の地図を私に手渡した。
「さあ、乗り込むわよ」
亮平のアパートは、北鉄石川線という私鉄の野町駅が最寄り駅だった。
金沢駅からは、JRで西金沢駅まで行き、そこから乗り換えて二駅だが、いつも亮平が金沢駅まで車で迎えに来てくれたから、金沢駅前にある近江町市場から車でアパートまで行く道は、地図を見なくてもわかった。
姉は何も言わずに、黙々と運転した。私はその沈黙に耐えられなくなって、何かを言おうとするのだが、口から出てくるのは、ことばにならない吐息ばかりだった。
国道157号線をまっすぐ走り、マーチは犀川を越えた。あとは信号をいくつか過ぎて、アパホテルの通りを右に入ると、すぐに亮平のアパートがある。
「ねえ」私は声が震えそうになるのを押さえて言った。「やっぱり、やめない?」
姉は私の視線をかわすように、前を向いたまま何も言わない。
「ねえ、やっぱり怖い」
私の声は、もう震えていた。窓の外の景色が、何度も見た亮平の近所の町並みになって、私は自分でも驚くほどおびえている。
「ここまで来たんじゃない。もう行くしかないでしょ」
「だって」
「あんた、いつまでそうやって、だってだって言うのよっ」姉は初めて声を荒げた。「そうやってずっと逃げてばっかりいて、今まで何かうまくいったことあるの?」
目の前の信号が急に赤に変わって、姉は急ブレーキで停車させた。
「中学のときのバレーボールも、大学受験もそうだったじゃない。最初はあれだけ全国大会狙うんだ、頑張って東京の大学に行くんだって宣言したくせに、あんたは結局つらくなると逃げ出して、それがあたしの運命なんだとか言ってごまかしてさ」
姉の声は狭い車内の中に響いた。信号がいつのまにか青になっていて、後ろからクラクションが鳴った。
「亮平とかいうその男のことも、そうやって逃げて、泣いて、忘れるの?」
姉は私が涙を拭うのを見て、車を発進させた。
亮平に連絡が取れなくなった最初の一週間は、地獄のようだった。
目が覚めたときから、つねに頭の中で亮平のことがぐるぐるまわった。ご飯もろくに喉を通らず、体が疲れていても頭は眠りに着こうとはしてくれなかった。気を抜けば、すぐに涙が出てきた。
亮平のことが、好きで好きでしかたないというのではない。つきあってきた二年間が忘れられないというわけでもない。
そういうんじゃなくて、ただ、自分が物のように捨てられたこと、一方的に関係を切られたこと、それがつらくて悲しくてしかたなかった。
裏切りだ、と私は思った。
それまで一緒に笑ったり泣いたり、ケンカしたり抱き合ったりした、あの時間が、あの関係が、連絡不通という暴力によって突然理不尽に破壊された。あの日亮平は、私を裏切ったのだ。
母は、おおよその成り行きを察してくれたのか、亮平のことを追求するようなことはせず、ただ黙って見守ってくれた。実は、それが一番つらかった。
私は母に、たくさん迷惑をかけた。小さい頃、泣き虫が直らない私を、母は絶対に怒らなかった。よく泣く子は、心が優しい子なのよ。母はそう言って、泣きじゃくる私の頭をなでてくれた。
私と姉が通っていた中学は、バレーボール部が強かった。厳しい練習についていけるか心配する母の反対を押し切って、私はバレーボール部に入部した。姉がそのバレーボール部のOGで、エースとして活躍していた。私は、姉のように強くなりたかったのだ。
しかし、私は半年も経たずに部活をやめた。理由は、練習がきついから。泣いてごねて、「だって」を連発する私に、母も姉もあきれたという。
大学受験もそうだった。私は東京の有名大学に行きたいと、母に無理を言って、高い授業料がかかる塾に入れてもらった。
しかし、三年生の夏になって、なかなか成績が出ないことが不安でしかたなくなって、やはり泣いてごねて、結局私は地元の公立大学に推薦入試で進学した。そのとき母は、学費がかからなくてそっちの方がうれしいわ、と笑っていたが、あとで姉から聞いた話では、今度こそ乗り越えて強くなってほしかったのに、とぼそりとつぶやいていたらしい。
私が物心つく前に父はいなかったから、私と姉が大学に行けたのも、母が看護師の仕事と、私と姉が就職するまでは近所のスナックをときどき手伝ったりして、朝も夜もなく忙しく働いてくれたおかげだった。
母は再婚することもなく、ずっと私たちのために生きてくれた。
きっとそういう相手もできないほど、忙しかったのだと思う。私はそういう母が誇らしかったし、就職先を実家から通えるところに決めたのも、家を出た姉の分まで、親孝行したかったからだった。
私が亮平を初めて母に紹介したとき、母はとても喜んでくれた。素敵な人じゃない、と亮平が帰ると、めずらしくお酒を飲んで上機嫌で私に言った。そして、仏壇の前に座ると、父の遺影にいつまでも手を合わせていたのを、私は昨日のように覚えている。
母ははっきりと口にはしなかったけれど、きっと私と亮平の結婚を望んでいたのだと思う。亮平の話をするたびに、母は嬉しそうに笑うのだった。
だからこそ私は、今回のことを母に言うことができなかった。
なぜ亮平は、私のことを切ったのだろう、と私は何度も考えた。
しかし、どれだけ考えても、私にはその理由が何なのか見当もつかなかった。何かケンカしたわけでもなかった。思い当たることもない。
あれから一週間が経ったある日、私は携帯電話のメモリーから亮平の番号とメールアドレスを消した。 そして、亮平からもらったプレゼントをすべてゴミ袋に入れて、近所のコンビニのゴミ箱に捨てた。それは自分でも驚くほどあっさりと実行することができた。すると急に体が軽くなった気がした。
しかし、母と顔を合わせるたびに、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。母は何も聞こうとはしない。むしろ、亮平の話題に触れようとはせず、私との接触を避けているようにも思えた。
「あんたさ」姉は次の赤信号で車を止めると言った。「お母さんが何を望んでるかわかる?」
私は首を振った。
「お母さんはね、あんたが元気でいてくれれば、それでいいのよ。お母さんが心配してるのは、亮平くんとのことじゃなくて、あんたのことなんだから。お母さんは、あんたが大好きなんだから」
気がつくと、涙が止まらなかった。私は顔を押さえて泣いた。
「だから、今日亮平くんのところに行って、全部ふっきってきなさいよ。わかった?」
私は何度もうなずいた。姉が頭をなでてくれると、余計に涙があふれた。
☆☆☆
亮平のアパートの前は、がらんとしていて人気がなかった。
姉はマーチを道路脇につけて、「ほら」と私の背中を押した。私は車を降りると、ドアを閉める前に姉に言った。
「ありがとう」
「何かあったら、すぐに呼ぶのよ。私が飛んでいって、そいつぶん殴ってやるから」
私は笑って、ドアを閉めた。どこかで蝉が鳴いている。
アパートの二階を見上げる。203号室。何度も通った部屋。
亮平はいるだろうか。
会って何を話そうとか、そんなことは何も考えていない。ただ、思ったことを、出てきた言葉をすべてぶつけてやろう。そして、すっきりした顔で、姉が待つこの車に戻ってくるのだ。
私は二階への外階段を、ゆっくりと上った。
新潟に帰ったら、久しぶりに私がご飯を作ってあげよう。母の好きな焼き魚と肉じゃががいい。私はこれから、もっといい女になってやる。そして、もっといい娘になりたいと思った。
203号室の前に来た。私は大きく深呼吸をして、ドアをノックした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。