二話
PM3:42
(・・・暑い。)
かろうじて声には出さなかったものの、茹だる暑さというやつを彼は感じていた。帰りのHRが終わりクラスメイト等と廊下へ出たまでは良かったが、この暑さは予想外だった。彼の通う私立辰巳ヶ岩高等学校はその地区では名の知れた進学校であると同時に、部活動も盛んで全国区の部もいくつかあることから入学希望者の倍率は毎年大変なものである。それに伴い動くのが大量のマネーであるのだが、これだけのマンモス校、良い噂もあれば当然黒い噂もあるわけで、なにやら金銭のやりとりによる裏ぐt・・・、おっとこれ以上は言うまい。話がだいぶ脱線したが、まあそうして入った金が生徒達に還元される一つとして設備投資があり、この学校も空調設備はばっちしなわけで。
「あっつぅ・・、教室戻るか?まだ冷房効いてるし。」
担任の去った室内は空調がそのうち止まるだろうが(空調は職員室のコンソールで一括管理されている)、日が暮れるまでここで過ごすのには十分だろう。
そうだな、と言いながら戻っていくクラスメイト達に
「悪い、俺図書室に用事あるから。」
そう言って彼は背を向ける。
「ん、またタンコブ作ってくんなよー!」
背後の笑い声に手を挙げて応え、彼は突き当たりの階段へと消えた。
俺は少し後悔していた。
「・・・・暑い。」
先刻飲み込んだ言葉も、この暑さの中4フロア階段で上がれば汗とともに吹き出てしまう。最期の一段を上りきるのと同時に視線を左へ移すとそこには『図書室』というプレートとわずかに開いたスライドドアがあった。その隙間から微かな冷機を感じると彼は安堵し、迷わずにドアを開いた。
「お、珍しいなお前がここに来るなんて。熱でもあるのか?」
入って早々声をかけられ面食らっていると、カウンターの中から一人の女性が出てきた。美しい黒髪を腰まで伸ばした彼女は、メガネの奥の目を細めて、意地悪そうな笑顔を作っていた。
「おかげさまで健康そのものだよ、美雪、、、っ先輩。」
相手の減らず口にぶっきらぼうに返すが、思い出したように最後の一言を付け加えた。
「ふふふ、危ない危ない。タメ口なのは頂けないがよく『先輩』をつけたじゃないか。」
そういって美雪は感心したような、それでいてどこか残念そうな顔をした。
「ええまあ、タンコブは御免ですからね。あと、これ見よがしに残念がるのはやめてください・・・。」
そう、高校生にもなってタンコブを作るのは勘弁願いたい。先ほどのようにクラスメイトにも茶化されるのだから。
彼女は鱗崎美雪。俺の一個上の先輩で、小学校からの幼なじみだ。幼い頃からの癖で下の名前を呼び捨てにしてしまいがちなのだが、最近になってどうもそれがお気に召さないらしい。俺の勘では男絡みだとにらんでいる。
「それで、お前が図書室までわざわざ足を運ぶとは何の用なんだ?」
俺のものぐさな性格を知っている美雪にとってはかなり意外だったようで、値踏みをするような目で尋ねられる。
「そこまで言うかな...」
内心傷つきながらも話を進める
「確かに図書室に用はないよ。用があるのは美雪先輩になんだ。」
「ほう、私に?てっきり避けられてると思ってたんだがな。」
心底意外そうに眼を丸くする美雪に対し続ける
「否定はしないよ、できれば今日も会いたくなかった。けどさ、姉さんが帰ってきたんだよ。」
「...それ、ほんとか?」
受け入れ難いという表情で、美雪は半歩下がる
その気持ちが痛いほどわかる身ではあるが、かまわず本題に入る
「今はまだホテル住まいだけど、そのうち実家に顔出しに来るだろうからさ。美雪先輩には知らせようと思って。」
カウンターの中へ放心状態で戻っていく美雪は一言
「...ありがと。」
と言って消えていった。
周りの図書委員も普段から気丈な彼女の変貌ぶりに戸惑っているようで、俺に対し追及の眼差しを送ってくるが無視して図書室を後にした
図書室を出ると、再び暑さが襲ってくるのと同時に声をかけられた
「朧月さん、ですよね?」
目を向けると一人の少女が立っていた
肩まで垂らした髪を耳にかけながらはにかむ彼女に、ドギマギしながら答える
「そ、そうだけど。ごめん、君は?」
スラっとしたシルエットで頭身が高めの美雪に対し、小柄で小動物のような印象を受ける目の前の彼女は、
「あぁ、ごめんなさい。私は1年の田中美紀です。先輩に御用があって伺いました。」
「伺ったって、俺がここにいるってよくわかったね?」
「はい、先に先輩の教室に寄ったのでそこで教えてもらいました。」
疑問に思って尋ねたがなんのことはない。俺に用があればまず教室を訪ねるだろうし、そうなれば当然あいつらがいる。彼女にデレデレしながら教える姿が目に浮かぶ。
「そうなんだ、わざわざごめんね。それで俺に用事って何かな?」
早速本題に入ろうとしたが、
「それなんですけど、廊下でする話でもないので...。そうですね、屋上でも構いませんか?」
「屋上?いいけど...、さすがに暑くないかな?」
「だからです。人が好んで来るような場所じゃないですから。」
申し訳なさそうに切り出す彼女にそれ以上食い下がることもできず、
「なら行こうか。」
俺は渋々了承した
お礼を言う彼女の態度に悪い気はせず、むしろ用件が気になってきた俺は、彼女とともに屋上への階段を上りはじめた