完結編 浅き夢見し
【浅き夢見し】
エアコンの音がしている。
付けっ放しで寝たのかな?
ま、除湿にしてるからいいんだけど。
まだ真っ暗じゃん。
なんだよ、もう一眠り出来んじゃん。
チュパ
酔っ払ってたから目が開かね〜や。
チュパチュパ
さっきからず〜っと、なんか口に咥えてもぐもぐしてんだけど、何だっけ?
チュパチュパチュパ
何か懐かしいなぁ。
この感じ。
チュパチュパチュパチュパ
涎だらけになっちゃうな。
あれ、枕が動かね〜な。
妙に重いぞぉ。
あ、なんか載ってんのか。
ん?
ガバッと飛び起きた。
何か居る!
カバか?
慌てて枕元に手を伸ばしてライトを点けた。
目と鼻の先に、乱れた長い髪とロケットの様にそそり立つ豊満なオッパイが見えた。
乳首の先端が濡れて光ってるぞ。
夢か?
別に夢見るほど困ってないけどなぁ。
試しに掛け布団をめくってみた。
肉付きの良い見覚えのない裸だ。
いや、見覚えのある頭が付いた、肉付きの良い見覚えのない裸だ。
下の毛まで丸見えだから素っ裸は間違いない。
「ヤバッ」
音を立てぬ様ベッドから急いで立ち上がった。
が、途端に足元に散乱しているバッグに簡単に足を取られてひっくり返った。
物音と言うには相当派手過ぎる程に、
ガタッガッチャン!ドシン!痛てぇ!
喧しいぞ!俺ぇ。
「ん〜、うっさいなぁ〜もう!」
長い髪の毛がモゾモゾと動き、右手の指先が髪をかきあげる。
「や、やっぱ、田中、お前かぁ?」
「あぁ、オハヨ、佐藤さん、って、ん?」
「田中ぁ、いいか、落ち着けよぉ」
「え、何で佐藤?ななな、何であんたが居んのよ!」
それはこっちが聞きたい。
「何で、おまえ、ここに居んの?」
「ここって、ここどこよ!」
「記憶が確かなら、俺んちだ」
カーテンを少し開けてみる。
太陽が酔っ払いの目に情け容赦なく刺してくる。
もうすっかり朝じゃん!
遮蔽カーテンは、部屋の明かりが外に漏れないのは良いけど、四季の移ろいや時の流れに無頓着だから、風情が無いぜ。
って、言ってる場合か!
バタバタしながら目覚まし時計を探すと、フローリングの床に転がってた。
「ヤベッ、田中ぁ!遅刻すんぞ!」
「えっ」
田中の目の前に時計をかざす。
ボーッと眺めてた顔が見る見る固まった。
掛け布団を跳ね除けて立ち上がる。
「あれ?」
一糸纏わぬ姿で、仁王立ちしてる。
「佐藤!てめぇ〜」
喧しいぞ〜、田中。
朝っぱらから近所迷惑だって。
「あんた、やったのね!」
「知らん」
「じゃ、何で私が裸なのよ!」
えらい剣幕で隠すことも忘れてら。
「あ、乳首が濡れて勃ってんじゃん! やった証拠じゃん!」
あ、それは何となく、いや、もしかすると大いに、記憶にあるかも、だな。
身に覚えが有るのか無いのか、まるで頭は覚えてないので、下を向いて股間を確かめてみる。
ん〜、やっぱ分からん。
って、俺もパンツ履いてね〜よ!
直ぐに股間を両手で押さえたけど、後の祭りだわな。
ガッツリ朝勃ちしてたから、モロはみ出てるし。
「とりあえず、服着ろ!」
「ギャ〜ッ、見るな!スケベ!」
急に乙女声になってベッドに戻り、掛け布団を身体に巻き付けて騒いでる。
田中ぁ、だから、喧しいって。
「お早うございます!」
始業ギリギリ1分前に駆け込んで、汗を拭きふき息を整えてたら、菊池君がニコニコしながら声をかけてきた。
菊池君は、朝から突き抜けるほどに声がデカくて元気だ。
「菊池ぃ、お前、あんだけ酒呑んだのに爽やか過ぎね〜かぁ?」
走ったせいで頭がクラックラしてた。
「ハハッ、飲みましたね〜。でも、一晩寝たらスッキリしちゃいました!」
だから、声がデカイって。
小柄で華奢な身体に似合わず、意外にも笊の様に酒を呑む。
お袋さん飲み屋さんやってるし酒豪らしいから、遺伝なんだろなぁ。
どうでもいいけどさ、コメカミにガンガン響くぜ〜
ふと見ると田中も両耳に人差し指を突っ込んで顔を顰めてる。
だわなぁ。
今日から昨夜打ち合わせた通り、菊池君がメインで動くことになってる。
なんかやたら張り切ってるのが、ちと怖いがな。
田中から直接レクチャー受けてたから、仕事に自信が持てたのかも知れない。
この事務所には探偵としてのトレーナーが居ない。
俗に言うお役所の素人集団だ。
唯一の経験者の田中は、興信所出身だが、完全な別れさせ屋の工作員だから、それ以外の探偵業のノウハウは全くもって無い。
唯一それに縋っている、この事務所も困ったちゃんなんだけどな。
その田中から、本業としていた別れさせ屋のレクチャーを受けてたんだから、スキルはお墨付きの本物さ。
乞うご期待!
かな?
それからの1ヶ月は、あれよあれよと言う間に過ぎ去った。
猫の水死体事件やマリア婆ちゃんのオムツ探し以外にも、額の上のメガネを探してくれとか、寝たきりの婆さんが浮気してると疑う爺さん達に振り回されて、多忙を極めていた訳さ。
そして、漸く山が動いた。
ある日、町立探偵事務所にフーチェン石井氏が再び訪ねてきたんだ。
調査を打ち切りにしてくれとの申し入れだった。
調査の進捗を確かめた上で、これ以上の調査は必要なしと判断したらしい。
「先にも中間報告しておりますが、柴田孝氏は、見つかった母親の介護で不如帰町の特別養護老人ホームに行く以外ほとんど外出もせず、浮気の証拠と言える物が発見されておりません」
「そうらしいな」
「結論として、浮気はしていない事になりますが、宜しいんですね?」
「結構だ」
「それと、以前に柴田氏にプレゼントされたプラチナのネックレスの件ですが」
「ああ」
「やはり、老人ホームへの介護の為の急な出費の為に、止む無く換金されていた様です。貴方に申し訳なくて言い出せなかったようですが、いかがいたしましょうか?」
「やっぱりそう言う事か」
「返却を希望されますか?」
「いや、浮気してる訳じゃなし、一度くれてやったもんだ。どう使おうとあいつの勝手だし、ましてや親御さんの介護の為に使うんなら、仕方ねぇじゃん」
「そうですねぇ」
「これで親孝行の手伝いが少しでも出来たんなら本望ってもんさ。かえって良かったよ」
ミョ〜に太っ腹な所を見せる。
実は純粋にいい奴なのもしれない。
でなきゃ相当に後ろめたい事がある奴の自己保身の演技さ。
製本してある報告書を見せて、添付している写真データの説明をする。
嘘は一切書いてない。
一部不明にしてあるだけさ。
「打切りにしたいとの事ですが、先に概算でご報告している調査費用については、お支払いいただかねばなりませんが宜しいんですね?」
「結構だ」
ギラギラしたデカイ指輪を幾つもしてる手が、これ又高そうなブランドの集金バッグの中から、札の束を出す。
こう言うの1回やってみたいよねぇ、
ゴテゴテした格好して、如何にもって感じで札束で相手の頬っぺたほれほれって叩いてさぁ。
金のある所には、腐るほど金があるもんだ。たぶん腐ってるんだけど、見た目はピシッとした、まだ処女の様なピン札だ。
でも、一応決まりなのでお断りする。
「最初にご説明しておりますが、役所のお金の取り扱いは現金の振込みのみとなります」
大きなお金を目の前にして、係りの者が、まかり間違って持逃げなどの犯罪を抑制する為もあるし、ニセ札を持ち込まれても、何の鑑定も出来ないからなんだけどね。
「いいじゃんよぉ、依頼人が良いって言ってんだから!」
「ダメです」
「わざわざここまで持って来てやったのにかぁ?」
「頼んでませんが」
「どうしても?」
「ここは、役場ですよ」
民営化見込みだけどさ。
フーチェン氏は、渋々新札の束を仕舞った。
こう言う民間のサービス業にあるまじき、如何にも役所的な対応ってさ、意外に気分いいんだぜ、上から目線でさ。内緒だけど。
ま、その分、圧倒的に安い訳だ。
「フーチェン石井氏の案件は、報告書を提出して、ネックレスの換金の件も含めて、ご本人も納得されました。本日をもって調査を打切り、調査費用はこれから振込まれるそうです」
フーチェン氏が帰った後、主任に報告する。
「そうか、漸く一件落着だね、お疲れ様でした」
田中に目配せすると、田中もげんこつの親指を立てて、ニッと笑った。
席に戻ると、田中が椅子をずらして来た。
「お疲れ様。意外に早かったね」
「ああ、とりあえずフーチェン石井氏の依頼分は何とかなったな」
「後は、柴田孝氏依頼分だけよ」
「全ては菊池次第だな」
「大丈夫、私がフォローを万全にしてるからね」
「それが一番危なっかしい」
「何よぉ、信用してないのぉ?」
「上手くいったとして、菊池君は無事で居られんのかい?」
「そこがこの商売の醍醐味なのよ」
「醍醐味よりも安全な方がいいんだが」
「彼も一皮剥けて成長するわよ」
「成長ねぇ、一皮剥かれて道を誤ったりしねぇだろうな?」
「本人次第じゃん」
「おいおい」
「それに、菊池君、結構面白がってるみたいだし」
こらこら、将来有望な新卒の芽を摘むなよぉ〜
菊池君は、別れさせ屋の工作員としてフーチェン石井氏に張り付いてる。
本当は柴田孝と同じ仕事をすれば近付き易いんだけど、何せそちらの世界のアレなもんで、かなりハードルが高く、別ルートにしたんだ。
フーチェン氏は、モーホーのご多分に漏れず、鰭ヶ崎モールの裏通りにある怪しげなジムに通っているんだ。
有名なモーホーの巣窟だ。
フーチェン氏のトレーニングの時間帯を調べて菊池君を入会させて、毎回必ず顔をあわせる様にした。
元々ジャニ系の可愛い顔してるから、ジムでは結構人気があるらしく、フーチェン氏とも直ぐに仲良くなったらしいな。
マッチョなモーホーは、ジャニ系がお好きらしい。
田中直伝の手法を徐々に用いて、フーチェン氏がすっかり菊池君の虜になっているらしい。
所謂、心変わりという奴だ。
なるほど、意外な才能があるもんだな。
民間の興信所の工作員になったら、一儲け出来んじゃね。
ラブホにしけ込む写真は残念ながら無いが、ジムや酒場で仲睦まじくしている写真は確保した。
漸く決戦の準備が出来た訳だ。
それから1カ月して、久し振りに、咆哮する真っ赤なフェラーリが、町立探偵事務所の駐車場にやって来た。
周りをキラキラした星屑とお花畑にしながら降り立つ柴田孝氏。
相変わらず絵になるねぇ。
独特のエンジン音を聞きつけて、田中が飛び出してお迎えしている。
相変わらず頬っぺたがホワンホワンしてピンクに染まってるけど。
人間中々成長しないもんさ。
昨夜菊池君からLINEにメッセージが入ってたんだ。
『写真を使う前に、石井氏と柴田氏が正式に別れ、柴田氏が別の店に移りました』
思わず、田中とガッツポーズしてハグし合った。
巨乳がグリングリン当たった。
と、あの朝のロケット巨乳をチュパしたことを思い出して、お互いに変に照れちまって、咳払いして誤魔化したよ。
別に付き合ってないけどさ。
一応な。
柴田氏の案件も一応終了報告になる。
写真という証拠を突き付けるまでもなく石井氏が身を引いた形だから、修羅場は未然に防げた訳だ。
ラッキーとしか言いようが無い。
ただし、未だ菊池君が石井氏から解放されていないので、清算はもう少し先になる見込みだ。
だんだんに石井氏に愛想を尽かしたふりをして、自然消滅する方向に持って行く手筈になってる。
その辺のノウハウは、田中が逐一細かく菊池君に指示を出してる。
今の所、ギリギリで菊池君の貞操も無事らしい。
(終わり)