張り込み
【張り込み】
翌日の朝の定例ミーティングで、案件のヒアリング内容の報告と、調査方法の検討か行われた。
一通り報告すると、先ず田中が食いついて来た。
「対象は、男なのぉ?」
「ああ」
「モーホー!」
「こらこら、依頼人に対して失礼でしょ、BL位に言っときなさい」
対象の写真を白板に掲示すると、スタッフからドヨメキが起こった。
「メッチャ綺麗な子じゃん!まさにBLだわねぇ」
「美味しそ〜、勿体なっ」
あら、荒井の叔母ちゃんまで身を乗り出してるよ。
半分以上本気だ。
「私、やります!」
何をやるんだ?
ほとんど本気で喰おうとしてるな。
ま、マリア婆ちゃんのオムツ探すよりは、楽しそうだけどね。
先ず手始めに、対象のあらゆる可能性を考えて、行動パターンの確率を計算するんだ。
ん〜、要はいつ何処で浮気相手に会うのかって予想して待ち伏せするだけ。
その辺のノウハウについては、残念ながら町役場にはまったく無い。
唯一、田中が専門業者上がりだったから、大筋は田中がハンドリングせざるを得ないんだ。
闇雲に調査すると言っても、何の策も無ければ、徒労に終わることの方が多い。
調査対象のスケジュールに合わせて、尾行して行動パターンを把握するまでにも、相当量の時間と労力がかかっちまう。
税金で食ってる町役場としては、無駄な予算は計上できないから、一件あたりの試算額を割り出してあり、その範囲内なら、実質無料で対応している。
そ、私立探偵なら何十万とかかる調査費を、町営探偵なら内容によってはボランティアに近い料金になる訳さ。
勿論、毎日張り付いて1ヶ月でも2ヶ月でも尻尾を掴むまで調査してくれと言われれば、予算外の経費は何百万と請求します。
民営化が前提ですから、当たり前に請求します。
言っときますが、現金振込のみで、クレジットカードや手形は、一切取り扱っておりませんので、悪しからず。
今回の場合、調査対象の住まいや出勤予定は掴めているので、後は、何処でいつ動くかを予想して待つだけだ。
何らかの不自然な行動や違和感があれば、其処を探ればいい。
基本、場所を決め打ちして、調査対象者が、不審な動きをするのを待ち続ける調査になるはずさ。
浮気の場合って、場所はそれなりに限定されてくる。
まぐわう為に使うラブホテルや、浮気相手の自宅が一番多いんだ。
だからと言って、調査員をカップルに偽装させてラブホに張り込ませても、実際に使う部屋が遠ければ何の意味もない。
日がな一日、まぐわう為だけの空間にふたりっきりだから、調査なんかいつの間にかすっ飛んじまう。
恋愛感情が無くても、猿の様にまぐわい続ける調査員が続出して、赤字になるだけさ。
ガキが出来ても、おろす費用は役場の経費では落とせません。
だから、現実的には、ほとんどの調査は車の中で張り込みをする事になる。
外の暗がりで写真撮影するだけで、ただの不審な変質者と見做される世の中だし。
勿論、調査対象の、突飛な行動を尾行する為の移動手段にもなるんだ。
ま、ちょっと問題もあるんだけど。
「主任、尾行用の車の件は、どうなってますか?」
「今期の補正予算に繰り込む予定ですが、実質上利用できるのは年末から来年にかけてだね〜」
「えぇ〜」
大ブーイング。
当たり前だ。
今使ってる車は横っ腹にデカデカと町役場の名前入りのライトバンなんだ。
正体明かして尾行出来ねぇっつうの。
「ま、考え方だねぇ。役場の車がまさか浮気調査の尾行してるとは、誰も思わないですからねぇ」
確かに。
それは確かに一理ある。
町内でもっとも健全な車である事には違いない。
でも、ここはゴールドタウンなんだ。
ラブホテルの駐車場とか、ソープの入り口とか、熟女サロンの入り口とか。
「役場の車が正々堂々と如何わしくて怪しい場所にずっと止まってたら、クレーマー爺ちゃん婆ちゃん達の格好の餌食ですよ」
「ま、無い袖は振れないと申しましてね、何とか皆さんで知恵を出し合って、工夫して行きましょう」
はいはい、毎度のこって。
「撮影用の高感度一眼レフデジカメの件は急務なんですけど?」
驚くなよ。
町立探偵は、スマホの内蔵カメラで撮影してるんだ。
有り得ね〜っつの!
カメラこそが、探偵業務の最も重要なツールになるんだ。
夜間でも鮮明に人物や表情を写し出す高感度カメラで無ければ、浮気調査はまったく出来ね〜よ。
探偵業界では最低限の必需品と言っても過言では無いが、役場にそういう常識はまったく通用しないのが現実だ。
前年度予算では、そんな贅沢する予算は一切無い、の一言で町議会で一蹴され、個人のスマホでの撮影を余儀なくされてたんだ。
暗がりでフラッシュ無しで写メ撮ると、真っ黒で何の役にも立たねぇ〜よ。
「これも補正予算に織り込み済みですが、必要性についての議員の理解力が非常に乏しいので、怪しいところではあります」
「浮気調査の失敗例を何件か提出して、賛同を得るしか無いでしょう」
「では、それまでは何度でも失敗してもいいと?」
「知恵を絞って、工夫してください」
知恵を絞っても、土俵に乗れなければ全戦全敗のはず、結果は変わらないだろが。
「では、対象が主に夜型の勤務の様ですので、担当は佐藤さんと、田中さんと菊池君でお願いします」
菊池君は、母子家庭で育ってて、基本絶対に何処にも転勤できないから、役場の臨時職員の立場にも文句なく仕事をしてる。
お母さんは、飲み屋さんをやっていて帰りが遅いから、残業や夜勤は大歓迎なんだ。
背はあまり大きくないし、ホッソリして坊やみたいだけど、顔は中々可愛い作りをしてる。
シフト表を出して確認する。
「他の業務も兼任ですから、シフト勤務にして、対応は最低2名でお願いします」
「わかりました」
夜型シフトの場合は、荒井さんと高木さんには日中業務を分担してやってもらう事になる。
離婚して二人のお子さんを迎えに行く荒井さんと、市立大学の夜間部に社会人入学した高木さんは、基本、残業や夜勤が出来ないんだ。
その辺は、民間ではなかなか考えられない、地方公務員的な悠長な待遇なので、荒井さんと高木さんはこれ幸いと満額で恩恵を受けている訳さ。
「いつもごめんねぇ、事務処理溜まってんの回しといてね、ちゃんとやっとくからさ」
荒井さんは気の良いシングルマザーオバちゃんです。
旦那さんが浮気して離婚した時は、包丁を振り回し修羅場だったそうですが。
一応浮気絡みの調査はなるべくさせない様にして、本気にさせない事が不文律です。
「俺が居なくても、本当に大丈夫なのかい?」
高木さんは前職をリストラされた理由に、今でも気づいていない奇特な人です。
学歴をつける為に市立大学の夜間部に入りましたが、卒業しても多分何も変わらない呑気なおじさんです。
奥さんが総合病院の看護師長をしていて、生活にあまり困っていないらしく、全く欲と言うものがありません。
だから、人手がどうしても必要な時に参加して貰います。
必死になって、とか、何としても証拠を掴んで、なんて事は、これっぽっちも考えないし、第一似合わないひとです。
これが前職をリストラされた最大の理由である事は、誰の目にも明らかでしたが、役場では、マイペースな気のいいオッサンと言う評価なので、まったく安泰のようです。
ま、とりあえず、今日は調査対象者の出勤日なので、噂の美しい顔を拝みに行こうという事になりました。
役場にいる時は、職員は全員、背中にGOLD TOWNの金文字が大きくはいったグレーの作業着を着ています。
何処へ行っても、役場の職員である事が丸わかりなので、尾行や張り込みの時には当然着替えます。
同じく役場の名前の入ったライトバンに乗り、面倒橋近くのネパールカレー屋さんでランチミーティングする事にしました。
ここの数量限定のスープカレーは絶品です。
サフランライスの大盛りを頼んで、チキンの煮込んだ奴の具を半分食べたところでカレーにぶち込みます。
無敵のカレーのおじやになり、これが又最高に美味い!
ランチはホットとコールドのチャイとコーヒーが飲み放題だし、ナンも食べ放題です。
奥のブースは喫煙席なので、実はヘビースモーカーの田中がお気に入りな訳です。
役場は館内禁煙ですから、バラックの事務所裏の物置スペースの一角に、灰皿を置いただけの喫煙所を使います。
屋根がないので雨の日は悲惨ですが。
最近のOL、特に派遣さんが多いのですが、その喫煙率の高さは想像を絶します。
ほぼ100%なんて職場もゴロゴロありますが、田中は興信所に入ってからヘビースモーカーになったそうです。
ま、別れさせ屋には、決してひとに言えない、ブラックだったりグレーだったりする仕事ばかりで、人一倍ストレスが溜まるんだろうなぁ、と納得する訳ですが。
それ以上追求する程、暇でも物好きでも無いので、放置プレイです。
初日は、フーチェン氏に確認して午後からラブホテル街に待機していました。
結構売れっ子で忙しいらしく、2、3時間おきに利用するホテルの連絡がありました。
ラブホテルの正面入り口が見えるところを探して停車し、まだ明るかったので、スマホのカメラの望遠を使って対象の顔を確認しました。
「ホントに、綺麗ねぇ〜」
「まったく」
「その辺のホストクラブのナンバー1より美形なんじゃん!」
「確かに」
顔が美しいばかりじゃなく、その仕草や表情が、背筋がゾッとするような妖艶な色気がありました。
いくらでも相手は居るよなぁ。
あの筋肉の塊でなくてもさ。
それから2週間が経過しましたが、対象からは一向に浮気の尻尾どころか、怪しい客さえ見つかりませんでした。
出勤は週4日で、後の3日の休みにもフーチェン氏が一緒でない時に、連絡があり、住まい近くで行動を監視します。
ところが浮気を疑っているフーチェン氏が、ほとんどストーカーレベルで一緒に居るので、浮気する間さえ見つからないのでした。
対象が浮気相手と会っているとすれば、お客さん以外あり得ない状況なのですが、怪しいと言われていた客はあれから一度も指名なく、まったく手詰まり状態でした。
「こりゃお蔵入りかな」
「ケイゾク?」
そりゃTVの刑事物の見過ぎ。
探偵のお蔵入りは、成功報酬がないから、ボランティアになっちまう。
町営探偵の臨時職員にはインセンティブと言われる歩合があります。
内容に関わらず成功すれば一律5000円貰えます。
だから出来るだけ簡単に解決しそうな案件をやりたがるのは、致し方のない台所事情な訳です。
流れが変わったのは、調査対象の柴田孝が休みで、フーチェン氏から珍しく連絡があった日だ。
親の介護があるので、今日は会えないと言われたらしい。
役場のライトバンに飛び乗り、柴田孝の住まいの近くに待機して居たんだ。
対象は、普段の休みの日もほとんど外出していない。
「あっ」
「ん?」
「あれ」
「へ?」
「対象が動き出しました!」
見張り役の菊池君が、顔の向きを変えず小声で言った。
確かに、対象のマンションの地下の駐車場から、柴田孝が所有している真っ赤なスポーツカーが出て来た。
黄色い跳ね馬のマーク、フェラーリの328だ。
どんだけ稼いでんねん!
「追うぞ!」
「ほい」
この辺は路地が多くて、せっかくのフェラーリもその豪快なエンジンの性能を発揮する場所が無い。
法定速度だし、やたら目立つ色だし、やたらエンジンが咆哮するし、遠出しない限り、尾行するのは比較的簡単さ。
「いよいよっすかね〜」
「そうであって欲しいけどな」
車は住宅地を抜け雑多な繁華街を走っている。
密会のためのラブホテルなら路地裏にいくらでもあるんだ。
しかし、車はラブホテル街を横目に見ながら通り越して、オフィス街に入っていく。
「ん?」
「何処行くんだ?」
ゴールドタウンの見慣れた風景。
その中の見慣れた角を曲がり、見慣れた駐車場に入って行く。
「な、なんだぁ?」
真っ赤なフェラーリが横付けしたのは、ゴールドタウンの町役場の駐車場に建ってる、我らが町立探偵事務所の真ん前だった。
(つづく)