8話 オレニカル
辺りは漆黒の闇が広がり星一つ無い。
唯一つの明かりである焚き火の炎が、俺と茶髪の男を照らしている。
ヨモギは地面にへたり込んだまま身動き一つ出来ない。
体を丸めるようにして両手で包み込んで震えている。
下を向いているので表情はわからない。
パチパチと焚き火が燃える音だけが響く。
男の体からはモウモウと光の玉が沸きあがっている。
俺の体からも少し出ているが辺りを照らすほどでは無い。
茶髪男の一挙手一投足を注視する。
男の長刀は近くで見ると細い。
俺が握っている細身の剣よりなお細い。
刺突剣というやつだろうか。
間合いが遠くてやりにくい。
「シッ!」
茶髪の男は息を吐くような掛け声。
俺の胸の中心に、その剣を突いてきた。
早いなんてものじゃない!
咄嗟に俺はバックステップを踏む。
剣の根元でその切っ先を逸らそうとする
鋭い一撃は軌道を僅かに逸らせた。
だが鎖骨の上に突き刺さった。
「グゥッ!」
下がりつつであったため貫通はしなかったが、肩筋の肉を抉られた。
流血のツーッと身体を伝う感覚が、胸から脇腹に達する。
速い上に間合いが掴めない。
こいつの腕も悪くないが身体能力が異常だ。
ワープしたと錯覚。
いってぇぇ!
物理的に鎖骨の隙間に水が溜まるようになっちまった。
スーパーモデルかよ、クソ!
男はワンステップで、飛び下がった俺の懐へ飛び込む。
追撃が来る――
無理な飛込みで体勢が崩れたまま、切っ先がフワリと翻り、切先を回転させ横薙ぎに払ってくる。
なめるんじゃねぇ!
さすがに動作が大きすぎる。
男が飛び込んできたタイミングに剣を合わせる。
俺は剣をコンパクトに振り下ろす。
「くらえ!」
俺の剣は最短コースで茶髪男の頭頂部を振り!
「なっ!」
……消えたように見えた。
俺の切先が男を捉えるその刹那。
足元に爆竹でもあったかと錯覚するような破裂音を残し、茶髪男は十メートル近く後方に飛び下がった。
「……」
信じられない身体能力。
タイミングは完璧だったはずだ。
ボクシングで例えるなら、パンチをパリングでいなし、更に追撃してこようと踏み込んだ相手に合わせたカウンターパンチを、ヒットする直前にバックステップで避けられたようなものだ。
人間の動きではない。
呆然とする俺へ茶髪男は感心したように。
「おい黒髪、なんだそれは、見た事も無い技……魔術か?」
「な、なんの事だ?」
饒舌なことだ。
茶髪男からしてみたら、これは殺し合いではなく、一方的な狩りのようなものなのだろう。
言葉の節々から余裕が伝わってくる。
「そんな薄いカルマしか帯びていない貧弱なお前が、俺の動きについて来ていることが理解しがたい。魔術、いや、身体能力が上がっているようにも思えない……フッ、怪しげな妖術かなにかかな?」
「不可思議なワード並べてんじゃねぇよ、不安なら引き返してもいいぞ……俺もそっちの方がありがたい」
一瞬眉毛を動かした男は引きつった笑みを浮かべつつ。
「そうではなくてな、少しお前に興味が沸いてきたのだが……やれやれ、お前が黒髪ではないのなら、あの二人の代わりに使ってやるのだが、どの道この国では黒髪は生き残れない、その技の秘密には興味はあるが……」
何食わぬ顔のまま、男は俺の間合いに歩み寄りつつ、なおも語りかけてくる。
コイツが饒舌なのは生来の性分なのだろうが、それ以前に舐められてる、実力差、いや、身体能力に差がありすぎるのだ。
それでも俺は切っ先を男に向け、間合いを計り続ける。
構えは下段へ。
体に染み付いた習慣ってのは大したものだ。
『豊、覚えておけよ、勝ち負けってのは強い奴が弱い奴を食い物にするってことなんだよ、勝つ奴は勝てる土俵でしか戦わないから勝つんだ。腕力や権力の大小じゃない、勝つべくして勝つのが常勝ってことだ』
あぁそういえば親父はこんなことを言っていたな……なんでこんなこと思い出してんだろう、走馬灯の先払いかなにかか? まぁ今は絶体絶命ってやつだしそんなこともあるか。
茶髪の男は頭の悪そうな顔の癖に、俺を分析しきったかのような講釈を垂れ流す。
「弱者の貧弱な技では自力の差は埋まらない、さっさとケリを付けてしまうとするか、下働きも二、三人補充しなければならんしな」
「そうかよ!」
男は俺の間合いの外。
――俺が間合いの外だと思っていた場所から、無造作に飛んで突きを放ってくる。
避けてからの反撃ではまた交わされる。
俺は左側に体を流しながら、伸びた腕の下に胴払いを合わせる――
「どぅうあああああああああ!」
このタイミングでは相手の剣を完全に避ける事はできない。
最初から覚悟の上での一撃。
力の差を補うためには後の先を取るしかない。
肉を切らせて骨を立つ。
茶髪が放った刺突は俺の右脇腹を貫通した。
「――!」
俺の胴払いが茶髪男の脇腹に吸い込まれる間際、茶髪男は膝下くらいしか動かせないはずの体勢、刺突を繰り出したばかりの不安定な体勢のまま、右側へ向け、野生動物のような不自然な跳躍で、俺の刃を逃れ猫のように体を捻り着地した。
「ぐあぁっ」
切っ先だけしか抜けなかったが貫通した。
俺の脇腹には二つの穴! やばい!
血を流しすぎたのか、何かしらの臓器に傷を負ったのか?
わからんが酷い寒気がする。
目が霞みそうになるのを気合で堪えながら思考する。
状況は最悪だ。
肉を斬らせただけで骨はおろか傷一つ負わせていない。
茶髪の身体能力は高すぎる。
こいつは足首だけで五~六メートルは飛ぶ化物だ。
その素早さを表現できる野生動物すら心当たりが無い。
俺の身体能力も、ほんの三日で、何故かオリンピック選手を凌駕するほど上がっているが、そんな人外な能力などない。
大人と子供どころじゃない、ハムスターとライオンほどの差がある。
『常に全体を見ることだ、相手のある勝負ならお前は相手に比べて何が足りない? そして何をもっているのか考えてみろ、勝てるものだけの勝負にしろ』
「クソッ、偉そうに講釈てたれてんなクソ親父! 意味わかんねぇ」
さっきからやたら親父の言葉ばかり浮かんでくる、クソ忌々しい話だ。
親父の言う事は基本的にいつも実も蓋もない話だった、道徳とかの概念が欠落した狂人だった、あゆむは俺の親父にやたらと心酔していたが、俺は普通の親父がよかったよ。
「ふぅ……」
「やはり変な術だな、動き出しは妙に早いが速度は遅い、体の能力はカルマの量から判断できるものという事か、どうやら小手先の技、その程度の誤差か」
男はヒュンヒュンと剣を振り、俺の血を汚物であるかのように振り払う。
俺に失望した、と顔に書いてある。
ヤレヤレと肩を落とし。
「そろそろ終わりにしよう、手間が少々かかったが懸賞金の受け取り手数料だと思えば安いものだ」
やっと合点がいった。
どうやら俺の剣道の技を、何かしらの魔法と思っていたらしい。
そう考えると色々と思い当たる節がある。
「なるほどな」
この世界の連中は、どいつもこいつもやたらと身体能力が高い。
だがみんな雑な動きで隙だらけ。
今、向かい合っている茶髪男にしたところでモーションは大きいし、初動は派手で俺から見たら「今からいくよ~」と合図してくれているようなものだ。
「そういうことか」
こいつはおそらくかなりの使い手だ、だが早い、強い、だけで技巧は稚拙だ、この世界の強さの基準は身体能力のウエイトが大きいのだろう。
あれだけの身体能力があれば技の研鑽など時間の無駄というわけだ。
元の世界ですら体格の小さな俺は体捌き、足運び、竹刀捌きなど無駄を削り工夫を巡らしてきた。
目の前のコイツと俺は真逆な存在だ……だと思うけど……
「考え違いなら死ぬな、これは……」
「フフッ」
茶髪男がダランと切っ先を俺に向けた。
それに合わせ俺は間合いの後方に飛び下がった。
お互いの距離は七~八メートルは開いただろう。
俺は着地後、素早く男に切っ先を向けて体勢を整える。
(試してみるさ……)
「無駄だ坊主」
茶髪男に、もう俺に対する警戒心も興味も無い。
無造作に体を沈めた。
俺に向かいバネように体を伸ばし、飛ぶ!
広がった間合いをゼロにするほど鋭い!
飛んで……
「どうだあああっ!」
その直前、俺も男に向かって突っ込んでいた。
俺と茶髪男の切っ先が一瞬交差した。
『キーン』
――と金属の接触音が響く。
茶髪男の刺突剣は俺の胸と肩の間を貫き。
俺の剣は茶髪男の胸の真ん中を貫いた。
互いに鮮血を撒き散らすホラーアトラクション。
「な、んだと……」
「グッ、ヘッ、ざまぁ、ねぇなバ~カ」
男は、信じられない、と書いてある顔を震わせながら。
口からゴプッと血を流して、あっという間に息絶えた。
白い玉が舞い上がっていく。
俺の考えたことは簡単だ。
相手が飛ぶタイミングを読んで、茶髪が飛ぶ直前に飛び込むだけ。
身体能力がどんなに高くても飛んだ直後は飛べない。
単純に地に足が着いていないからな。
茶髪が俺に剣を向けて飛んでいる間。
男が地に足がついていない空中で技巧勝負をした。
俺に向かって放たれる剣。
その剣の軌道に剣を合わせながら。
軌道をずらしつつ突きを放てばいい。
空中なら飛んで逃れる方法はない。
身体能力で劣っているなら技巧の勝負に持っていくしかない。
「うっ」
体が重い、目が霞む、もう精神力ではどうにもならない
体中に新設された穴から血が流れ続けている。
「これ……ヤバ……」
いつの間にか膝を地面に着いている。
気づきもしなかった。
無意識に視界が左右に振れる。
揺れは大きくなり視界が真横になった。
倒れたのだろうが痛くも痒くも無い。
ヨモギが俺の名を呼びながら駆けよって来るのが見える……いや、もうシルエットでしか判別できないから別人かもしれないなぁ……
「あゆむ……」
俺の意識は途絶えた……