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8話 降臨

 

 天封石を黒竜から引き抜いた瞬間の出来事だった。

 迷宮そのものが硝子細工のように砕け散り、辺りには残滓すら見当たらない。

 呆然と立ち尽くす俺たちの眼前に広がるのは、噴火口のようなすり鉢状に広がる土色の世界だ。

 空に現れた赤い太陽は俺たちの影を真横に引き伸ばしている。


「迷宮そのものが幻覚だったってオチなのか?」


 うわ言のように口をついた。


「要根が絶たれ、迷宮を維持していた力が失われた。それだけだ」


 胸を張って仰々しく答える赤帝、なんか凛々しいぞ。まるで主人公だ。

 ……あぁそうか、これからの事はこいつが主役だったな。


「さぁ、あとはお前の仕事だ」

「うむ」


 赤帝は俺に目線を向けることなく、すたすたと黒竜がいた場所までぎこちなく歩み始めた。

 その中央部分に、もう黒竜の血や肉片はどこにも見当たらない。

 赤帝は緊張しているのだろうか? 動きが硬いな。


「おい、何か手伝うことはあるか?」


 赤帝の後姿に声をかける。

 周囲にたたずむ、ヨモギ、ハミュー、パウリカも一様に不安な面持ちだ。

 固唾を呑んで見守っている。


「そこで見ておれ」


 振り返ることなく一瞬だけ足を止め、そう嗜めると中心部でその歩みを止めた。

 何をする気かわからないが、何かが起こることだけはわかる。


 俺は、このまま身動き一つしないのは小物みたいで嫌だ、しばし思考し抜いたままの剣を鞘に収めてみた。

 その流れのまま地面に腰を下ろし胡坐をかいた。

 よし、大物感がでたはずだ。




 身動ぎしないまま立ち尽くす赤帝を眺めていたら、俺の両隣にハミューとヨモギがそれぞれ腰掛けてきた、パウリカは知らん。

 両手に花の状況だが如何わしい所業はしなかった。

 できなかった。


「これは……」


 赤い太陽が地平線の彼方に飲み込まれた刹那。

 立ち尽くす赤帝を天蓋から一直線に伸びた光が包み込み、その周囲を取り囲む形で透明な杭が現れた、六本の透明に輝く杭。

 俺の足元に転がる天封石に形状は似ているが長さがまるで違う。


 外見上六歳児にしか見えない赤帝を五メートル近いサイズの杭が囲み、赤帝の姿が殆ど見えない。

 上空から伸びる光は眼球が焦げるほどの光量だが目を離せない。

 真っ白なその景色をただ見つめる。


 真っ黒な空に巨大なヘキサグラムが浮かび上がる、星のように不確かなものではない。

 刻まれているかのように、電飾として埋め込まれているかのように光り輝く六角形。


「思っていたよりずっとすげぇんだな……お前」


 簡単の声が口から漏れる。


「ついに甦った、もはやこんな時がこようとは」


 他人事のように我が身を省みる巨大な影。

 体は燃えるような深紅に染まり、金色に輝く棘、角、牙は装飾品のように輝く。

 頭上に茨のような白い冠を浮かべた片翼の紅龍。

 目にするだけで胸を詰まらせる存在感、圧迫感、これが天の使いか。


「赤帝龍王か、こりゃ確かに龍の王だな……」

 

 姿形は始めて坑道で出会った時と変わらない、ただ……


「デカイな……」


 全長は五〇メートル近くあるだろう、稲妻のような閃光が体のあちこちでバチバチと弾けている。

 あまりにも現実感がなく言葉が出ない。

 自転車のサドルが盗まれ、変わりにブロッコリーが刺さっていたとしても、もう少しリアクションできると思う。

 

「なんて綺麗……」


 ハミューがへたりこんだまま感嘆の言葉を漏らす、綺麗か? まぁいい。


「ユタカ、いいものが見れましたね」


 ヨモギが俺の腕にしがみ付いたまま美術鑑賞のような感想を漏らす、他に言う事はないのかよ?

 パウリカはいつのまにか赤帝に向かって片膝をつき、目を伏せている。忠実な僕だな。

 

「ふむ……」

 

 赤帝竜王は自らの姿を見回し、何かに得心がいったように一瞥すると、眩い光を放った。

 なんだ? 何をする気だ?


 光は一点に収束し、消えた。

 残されたのは人影。


 銀髪は炎のように揺らめきながら輝き、銀色の眼は研ぎ澄まされた刀剣のように鋭い、黒服は俺の戦闘服とデザイン的には変わらないが、金銀の刺繍や飾りが施され豪奢な装い。

 赤帝なのだろう、ただし身長は一八〇以上ある。見下ろしてんじゃねぇよ、喧嘩売ってんのか。


「赤帝か?」

「うむ、我が身ながらおかしな気分だ。昔の姿に慣れすぎたらしいな」


 赤帝の頭上には茨状の白い冠が浮いている。

 輝くそれを眺めている俺に気づいた赤帝は、


「これは神から力を授かった者の象徴。天使の力(しゅくふく)だ」

「そうか……」


 事も無げに答えた赤帝。当たり前のように答えたところを鑑みるに、まぁ大したことではないのだろう。


 それよりも腑に落ちないことがある。


 なんていうか、この胸につかえる寂しさのようなものはなんだろう。

 命を賭けた旅の目的も達成した。

 ここがゴールのはずなんだが、なんていうか。

 もっと嬉しいものだと思っていたんだけどなぁ……


「坊や――」


 ハミューが俺に心配そうな瞳を向ける。いかんいかん、感傷に浸ってしまった。

 俺を射抜く薄茶色の瞳、優しい眼差しがなんだか痛い。


 なんとなく、ヨモギとハミューを振りほどき背を向けた。

 

「まぁ……村が心配だから帰ろう」

「ユタカ、待ってください――」


 肩を掴まれてよろめいた、なんてパワフルなんだ。

 

「どうしたよ、もう用は済んだだろ」

「赤帝さん。ユタカは赤帝さんに望みを叶えてもらう為に今まで旅を続けてきたんですよね? だったらまだ終わっていないじゃないですか!」


 ヨモギがそのまま赤帝の方へ向き直り、大声を上げた。

 なんでコイツがそんなに興奮しているのかわからない、俺の事なのに。

 対する赤帝は、苦笑めいた表情を浮かべている。

 そもそも俺の望みってなんだろう? 何もしてほしいとは思わないんだけどな……赤帝が知ったかぶりしていただけで、最初から俺に欲しい物なんて無かった可能性もある。 


「私は――私をあの、なんの未来も無い生活から救い上げてくれたユタカの、ユタカの望みを! 望んでいるものがあるのなら、それを叶えてあげたい。そう思って今まで旅を続けてきたんです……赤帝さん! あなたはユタカが何を望んでいたのかご存知なんですよね!? ならば、ユタカの夢を叶えてあげて下さい! あなたにはその力があるんでしょ!」


 思わず目玉が飛び出るかもしれないほど見開いてしまった。

 ヨモギのこんなに必死な顔は初めて見たからな、驚いた。

 その気持ちは嬉しい。けど、俺は『ヨモギには自分の為に生きて欲しい』と、ずっと思っている。

 だから『ユタカ・ホウジョウの為の旅』だと言われたのは寂しくもある。


「我にユタカ・ホウジョウの望みを叶えることはできぬ」


 赤帝は平坦な口調で顔を強張らせるヨモギに悪びれる素振りも無く伝えた。

 これはあれかな? 力を取り戻すために俺を利用したって意味なのかな?


「騙されたというわけですか……」


 ヨモギは俯いたまま剣の柄に手をかけた――ぎりぎりと柄の軋む音。全身を小刻に震わせ怒りを巡らせている。


「やめろヨモギ……」


 俺はヨモギを制する。一見しただけでも分かるほど赤帝は別格の存在になっている。感情のままに飛び込んでも無駄死にするだけだ。

 それに、赤帝に対して不思議なほど腹が立たない。


「でも! 許せません!」


 溜息を一つ吐くと赤帝はヨモギに向き直り。


「その男の望みは自らの手で既に叶えられている、もう手に入れたものを与えることはできぬ」

「ふへ?」


 思わず間抜けな声を漏らした。

 意味がわからない、主語が無いからな。

 ……ポケットには既にギャルのパンティーが入っているのか? と思って手を突っ込んで弄ってみたが、当然そんなものは入っていない。


「それは……いったい何なのですか?」

 

 ヨモギは気の抜けたような顔で赤帝に尋ねる、声に力が無いのは気が抜けたからだろうか。

 だが赤帝はその問いに答えることなく上空を見上げて呟く。


「我が波動を感じたか――随分早いご到着だな」


 天蓋を見上げる赤帝の口の端から、僅かな笑みが毀れている。

 俺にもなんとなく圧力を察することができた。

 どうやらマッチョなお客様のようだ。


 ばちばちと弾ける閃光をまとい、俺たちを睥睨する人影が上空にある。

(やれやれまた人外かよ)

 紫電を飛ばすそいつは金色に輝く一枚の翼を羽ばたかせ、ゆっくりと地上に降りてくる。

 羽は一枚だけだからそれで飛んでいるわけではないだろう。

 ハイハイ不思議パワー不思議パワー。


 金の装飾が各所に散りばめられた羽衣は透けるように白く、不謹慎にも第一印象はネグリジェだ。

 赤帝と同じような輪っかが頭上に浮かび『あぁ、同類さんなんだね』と納得した。


「久々だな――ルシファル」


 そのお客さんに向かい赤帝は同窓会のような気軽さで話しかけた、俺でもその名前は知っている。


 どうやら自らを『天帝』などと呼称する痛い人の登場らしい……


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