14話 渇殺し
ハミューとの共同生活が始まった、とは言っても同じ荷台で寝泊りしているだけなんだけどな。
食事は三食、少量のスープに硬いパンを浸してフワフワに溶かしたギリギリ固形物って感じの代物だ。
それを三食、毎日それだけを食べる。
俺の勝負の第一段階は至って簡単。
『二人揃って栄養失調になりましょう』ってだけの話だ。
だけどな、みんな勘違いしているけど。
人間で何が辛いって腹が減ることが一番辛いんだ。
破産や色恋で辛い顔してる奴は幸せな人生を歩んでいる証拠だと俺は思っている。
ヨモギが一日三回持って来る食事は固形物だがカロリーは極小、キツイはずだ、人間なら誰でもな。
「ハミュー、腹が減ったろ?」
俺は笑顔で問い掛ける、腹が減っていると気が立ってくる、だから笑顔で煽る。
「そうね、何がしたいのかわからないけど――」
「へっ、余裕か、そうだな、まだ余裕だよな」
勝負は長丁場になるはずだ、まだ序の口。
「俺はなお前のそういうところが嫌いだ」
「――そういうところ?」
「そうだよ、本当は薄っぺらなくせに達観した態度で見下されている気分だ」
「意味がわからないわ」
「だろうよ、だが俺にはそう感じる、それだけで充分なんだよ」
「そう――」
これからもっときつくなる。
三食とっている理由はいろいろあるがまず胃袋、こいつの大きさを維持したまま栄養不足になる。
だが食っている、固形物をな。
人間は四日くらい食事を取らないと勝手に栄養源が切り替わって体の脂肪や筋肉、骨などに栄養を求めてしまう。
人間だけじゃなくて生き物は全般的にそうなんだ。
アザラシは二ヶ月くらい食わなくても死なない、それは体に栄養を蓄えているからだ、だからデブなの。
だけど俺とハミューは食っている。
同じ物を同じだけだ、栄養源のスイッチが切り替わらないまま体は衰弱していく。
これはこの勘違い女の心を砕く勝負だ。
空腹に耐えかねて「死にたくない」と言わせてみせるさ。
十日経過した、少量の極薄スープを三食だけ、それだけで過ごした。
俺とハミューはそれぞれ壁に持たれかかりながら座りっている、ボチボチ動けなくなってきたし寒気が背筋を不規則に走る。
「馬鹿じゃないの! もうやめなさいよ!」
壁の向こう側でカリスティルが騒いでいるが無視し続けている。
馬鹿なことをしている自覚は赤髪の足手纏いに言われるまでもなくご存知だがやめるわけにはいかない。
なぜならその馬鹿なことにハミューも付き合っているからだ。
俺はハミューの心を折ると宣言した、だからやめない。
「お友達がやめなさいって言ってるぜ、『もう殺してなんか言いません、何か食べさせて』って言えばいつでもやめれるぞ」
「坊やもさっさとやめればいいのよ、そこまでムキになる理由がわからないわ」
「そんなつもりはないね、お前の屈服が最優先だ」
「馬鹿な坊や――」
「言ってろ」
いくら口で強がったって眼が霞んできてんだろ? 動く気力もないんだろ? 少し喋っただけで唇が割れて痛いだろ? わかってんだよ。
まぁ根性見せてくれたまえ。
更に三日が経過した、もうお互い横たわっているのは体を支えるのが困難になったからだ。
同じ生活に付き合っている俺はハミューの状態が手にとるようにわかる。
体力の限界が近い、だが胃袋は活動をやめていない、胃液で胃壁に穴が開き始めているはずだ、シクシク痛むだろう、わかるぜ、俺の体も同じだからな。
頭や言葉で「死にたい」「絶望だ」とか言ったところで体は「生きたい」を連呼しているだろ。
その「生きたい」は絶えがたいはずだ。
「へっ、どうだ、体を満足させるほど食いたいだろ?」
「――お腹は確かに空いているわ――だからなんなの」
声が細く聞き取りにくい、俺の耳が聞こえにくくなっているせいなのもあるがハミューはもう限界寸前なのがわかる。
「体は生きたいって言ってるじゃねぇか、それで充分だろ」
「坊やは何がしたいのかしら――」
「さぁな、お前を泣かしたいだけかもしれん」
「――あきれるわ」
何とでも言え、彼女の目の色は相当濁ってきて普段の穏やかな物腰は吹き飛び感情を露にしてイラだっている。
飢えってのはうまく扱えば最高にきつい。
馬鹿な例えとして拷問で手足を切り落としたとしよう、その時、された側はどう思うだろうか、それでも助かりたいと思うだろうか? 違うね、その後の人生に絶望して覚悟を固めてしまうだけだ。
結果として選択肢を封じてしまう『生き残ってもしょうがない』と思われてしまう。
これでは心を折るどころか逆効果だ、そんなことをする奴や喜んで見ている奴は残酷行為に酔っている小学生と変わらない。
俺の計画は『ごめんなさい』して食事をすればすぐにでも社会復帰できるスマートなものだ、負けを認めればペナルティー無く日常回帰、餌として最高だ。
だから弱ければ折れる、ハミューは自分の絶望の浅さを知って全てを吹っ切ることができるだろう。
「そろそろ泣きそうだろ?」
「こんな馬鹿なことをして――さっさと殺してくれればいいのに――」
「嫌だね、それに――ここからが本番だぞ」
「――何かしら」
俺は大きく息を吸い込み。
「ヨモギ、用がある!」
叫んだつもりが声が切れ切れだった、栄養失調ってのはフラフラする上に力が入らん、吐くものもないのに吐き気が酷い。
だが聞こえたようだ。
「用ですか、ユタカ」
ヨモギが柵越しに声をかけてきたので頼み事をする。
「今からスープを作ってくれ――固形物だと胃が受け付けないだろうから細かく刻んでよく煮込んだものだ」
「わかりました、ユタカ」
そう返答するとヨモギは食料を積んでいる荷台に入った、相変わらず俺に疑問を持たない最高の相棒だぜ、最近ヨモギのパートナーは先生って雰囲気だが俺への態度は変化なく従順。
何故かはわからん。
「諦めたようでよかったわ、坊やはとても苦しそうだもの――」
この期に及んでコケにしやがった、俺が食う為に用意させたと思っていやがるのか? だが最初から勝利を確信している俺は苦しさや辛さなど微塵も感じない。
ハミューの仕草や物腰には余裕が伺えるが痩せ我慢もホドホドにしたほうがいいぜ。
「はぁ~? 何言ってんの、ここからが本番だぜ~」
割れた唇を曲げて薄笑いを浮かべた、ここまでが前菜で今からがメインディッシュだ。
「もう、無理しないで欲しいわ――」
枯れた声で他人事のように呟く。
「こっちは余裕だよ、全然平気だ」
「そもそも何で坊やまで付き合ってるのかしら?」
「カリスティルのせいだ、お前も親友ならあの馬鹿さ加減をこれから直してやれ」
「――あの子はなんて?」
「俺の耐えられないことはお前にもしない、そういう条件だからな」
「受けなければいいのに――」
「どうせお前が折れる、問題はない」
「そう――」
楽しくディスカッションしている間にスープが完成したらしい。
「ユタカ、もって来ましたよ」
そう言いながら器にたっぷり注がれたスープと、頼んでもいないのに水の入ったコップを持って俺たち二人が篭る牢屋みたいな外観をした荷台に入ってきた。
スープから風に乗って運ばれてくる匂いで空腹を刺激されクラクラする。
水分も殆ど取っていないのに涎が口の中に広がる、若干酸っぱいのは胃液が混じっているかなのか――。
「さて、これから断食だ」
「坊や――あなた正気なの? 顔色も変だし――」
「それはお互い様のはずだ、そうだろ」
「――もうっ」
ハミューは辛そうというよりも悲しそうな瞳を俺に向けている。
なんだよ、安請け合いした勝負がきつくてそんな顔してんのか? さっさと根を上げやがれ。
カルスティルも柵の棒を握り締めて中の様子を伺っている、何か言いたそうにしているが黙ったままだ。俺は約束どおり『俺が耐え切れないこと』は押し付けてねぇぞ、余裕で耐えている、文句ねえよな?
「ここに並々注がれたスープとヨモギの愛がタップリ入った水がある、負けを認めて二度と『殺して』とか『死にたい』とか言わないなら食わせてやる」
「坊や――無意味なことはもうやめにしましょう、あなた――死んじゃうわよ」
なんだろう、俺の不安を煽ってんのかな、笑わせるぜ、俺は勝つさ。
欲しいのは泣き言ではなく屈服だ。
「無意味ってことはねぇだろ」
「――こんなの何の意味もないわ」
ハミューの口調は強い、まだ衰弱しきっていなかったとは――元気な体だな。まぁいい、同じ人間なんだから誤差の範囲だろう、結果はどうせ変わらん。
「意味ならあるぞ、このまま何も食わなけりゃお前だって死ねるんだからな」
「――――」
「赤帝が言うには第三契約の魔術師は自分では死ねないんだってな」
「――そうよ」
「だけどこれは勝負だから俺と一緒に食わずに死んでも自殺にはならん」
「――」
「そうだろ?」
「――そうね」
「だから空腹に耐え切れればお前は死ねるし俺が殺してやったことにもなる」
「――それでは坊やも一緒に死んでしまうんじゃないの?」
「そこまでお前の意志が強かったとするなら俺の見込みが甘かったってことだ、負けて死ぬなら受け入れるさ」
「私の為に――命をかけて――」
「そんなわけねぇだろ、勝つのはわかってるんだよ」
俺が死ぬなんて結果になるとは思っていないけどな、俺のほうが体力があるはずだし、伊達に毎日欠かさす剣を振っていない。
「――馬鹿ね」
「まぁ結果は見えているがね」
ニヤッと笑って応える、正直俺も辛い、手の届く距離にあるスープの匂いを嗅ぎながら心の内から湧き出る食欲への我慢は厳しい、だが条件は同じだ。
カリスティルは俺の方を悲しげな顔で見ている。
言葉を吐かないので心情は読めないがやっぱりあいつには俺がハミューを虐めているようにしか見えないんだろうな。
だがな、ハミューはお前の親友なんだろ? このまま空ろな顔で息をしているだけの存在にしていいのか?
俺には友達がいなかったから友情なんてわかんねぇけどな。
断食状態になって三日経った、なんだか変な眠気が断続的に襲ってくるのが耐えがたい。
手足も動かすのが困難になってきている。
眼が霞んでハミューの状態がわからなくなってきた、相手がいる以上観察し続けるのは勝負の基本なのだが――シルエットで判断するしかないな。
自白するがここまでハミューが粘れるとは思ってもみなかった。
想定外だがあちらも条件は同じだ、そのうち折れるだろう――。
「――坊や、いい加減に諦めたらどうなのよ」
ハミューが俺に訴えてくる、返事をするのが面倒だがしょうがない。
「なんでだよ……お前こそ諦めろよ……」
「――あなた本当に死ぬわよ」
「そうかい……そんなに、終わりにしたいのか……」
「坊や――もう顔色がおかしいもの」
「同じ条件だ、お前もそうなんだろ――」
霞んで顔色はわからんが見なくてもわかる、同じ条件だ。
「なんでそんなにがんばれるの!」
俺こそなんでそんなにデカイ声で叫べるのか聞きたいよ。
「暗い空気が苦手だからだ……」
「何で私の為にそこまでするのよ! そんなになって――」
「なんだそりゃ……精神攻撃は……基本ってやつか……」
ぼやけた視界が流れて『ゴン!』と打撃音が響く、参ったな、崩れ落ちたらしい。
起き上がる気力もないのでこのままでいいや。
「ヨモギちゃん! この子に何か食べさせて――」
取り乱した大声でハミューが叫んだ、俺をドクターストップの形にして逃げようとしているのだろう……そうはいかん。
「勝手に……幕引きを量るなよ、まだ終わってねぇだろ……」
「だって!坊や――このままだと死んでしまうわ!」
自分が辛いからって俺に責任を押し付けようとしても無駄だ。
「まだまだ余裕だ……」
ニヤリと改心の笑顔を作った、作れているかはよくわからない、顔の皮膚までうまく動かないしなんか硬い。
「――嫌よ」
さすがにこの空腹に絶えかねたか、そうだよな、素直に白状すると俺もヤバイもん。
「どうした? ……勝負ありか? ……」
「ううっ……くぅっ……」
なんだろう嗚咽が聞こえるがハミューなんだろうか、もう人影くらいしか見えないからさっぱりわからん。
「こんなやり方、あんまりだわ――」
この世界の大人はよく泣くよな、てか声に元気がありすぎだろ……
「……あぁ……そうかい…………」
返事をするのも面倒くさい、寒気を通り越してポカポカ暖かく感じてきた、〇トラッシュが迎えにきたのか?
「うっ……本当に、本当に酷い子だわ――」
「…………へっ」
声がうまく出ない、出ないから笑う、可能な限り快活に、できている自信はないが意志は伝わるだろう。
「……けよ」
「……ん?」
聞こえない、もう少しハッキリ口にして欲しいもんだなぁ。
「私の負けよ――」
「そうか……そうだろうな……」
距離感が掴めないほど耳鳴りが酷い、予想より遥かに粘られたけど……やはり俺の思ったとおりだったな、人間は空腹には勝てない。
「だから何か口に入れて、お願いよ――」
搾り出すような声だ、俺のことを言い訳にせず負けを認めろよ、屈服しろ。
「……駄目だ、お前が、先に食えよ……それが敗北宣言だろ……」
「――わかった、わ……」
しゃくりあげるような嗚咽が聞こえ、スープの器が動いた音が聞こえ、それを啜る音が聞こえる。
……勝利確定だな、勝つべくして勝った、ざまぁみろだ、ここまで梃子ずらせて暗いまま変わらなかったらぶっ飛ばすぞ。
俺の首が持ち上がり何かに据えられた、柔らかい、膝枕かな……
それからスープが俺の口に少量ずつ流し込まれた、うん、一度に沢山飲んじゃうと吐いちゃうからね、気が利くなぁ。
微妙に暖かいところをみると気づかない間もスープをコマ目に作り直してくれていたようだ、さすが相棒。
あ、ヤバイ、すきっ腹が満たされた反動なのか急激な眠気が襲ってきた。
全てが滞りなく終わり気が抜けたのだろう……
吸い込まれる感覚が耐えがたい、よく考えたらもう耐える必要もないか……
眠りに落ちる寸前に一つの疑問が頭をもたげた。
ヨモギの太ももってこんなに肉付きよかったのか?
まぁいいや……




