閑話 一ノ瀬あゆむ 飛翔(上)
この世界にもやっと慣れてきたところよ。
朝、私が目覚めた瞬間が朝だから何時だってかまわないのだけれど、目覚めたらミルールが「おはようございます、アルテミス様」と片膝を付き右手を広げながら私に掲げ挨拶してくる。
昔、ロミオとジュリエットのミュージカルを見て、いいなと思っていたので私に挨拶する時はそのポーズをとらせることにしたの、素敵でしょ。
この世界で最初に出会った兄妹、リカールとミルールはノームという妖精の種族らしく背は子供並に小さいけどリカールは十八歳、ミルールは十七歳だったみたい、信じられなくって服を全て脱がせて隅々までくまなく調べてみた結果本当のことだと納得した。
年下だと侮られたら気分が悪いので私は十万十六歳ってことにしておいたわ。
私は現在リリーガ王国の北端にあるスルティナ城という砦に居を構えている、野宿をし続けるのは耐えられないので目に付いた建物を貰ったの。
元はデデェル迷宮っていう魔獣の巣窟を監視する建物だったらしいのだけど、その迷宮もルーキフェアって遠くの国の騎士団が多大な犠牲を払って無力化して、砦は無用の長物になっていると聞いた。
そう聞いていたのに十数人兵士が残っていた、野宿は嫌だったのでいなくなってもらったわ。
私の雑用係りの兄妹……いえ、優しい私が保護してあげている兄妹は、旧アナーガ聖教国の最後の正当な血筋らしく、このスルティナの城には何十人もの旧臣がやってきた。
みんな小さいのでなにやら白雪姫になった気分よ、私は女神なんだから姫にはなれないんだけどね。
それでも小さな女の子ってかわいいわ、弱い男は論外だから城の中心にある私の館には入れない、けど可愛い女の子に限って私のいる館で生活させてあげているの。
この砦にリカールとミルールがいると知ってリリーガ王国は何度も討伐隊を組織してこの砦にやってきた、かわいそうだけど皆殺しになってしまったわ、ノームは小さいからあまり斬りたくないんだけど仕方ないわね。
そのうちリリーガ王国は傭兵ギルドや賞金稼ぎなどの汚らしい連中に仕事を依頼し始めて私も忙しくなっている。
そろそろ引っ越し先を考えておかないとダメね、死体を埋めるところがもう無いの。
「起床間もなく申し訳ありません――ターリッツ司祭がアルテミス様のお時間が都合のよい時で構わないのでお会いしたいと申しております」
ミルールが可愛い顔をして面倒な事を持ちかけているが、理由は無いけどなんだかそんな気分じゃないわ。
でも、この砦に住むようになり、私の身の回りの世話はミルールと旧アナーガ聖教国の下僕たちに任せているから無視するのは少しだけ悪い気がするの。
「今は予定を入れる気分じゃないの、私が予定を入れてもいい気分になりそうな時をミルールが見計らってアポイントを取るように伝えて」
アポイントを取る為のアポイントを要求しておいたわ。
仕事を終えたらリラックスしないとダメね。
「着替えるわ、シャール」
私は側仕えのシャールに着替えの支度を命じた、シャールは旧アナーガ聖教国司祭の娘なんだけど水色の肩にかかるサラサラした髪をして水色の大きな瞳、小柄なノームでも更に小柄な身体で、すっごく可愛いの、父親に伴われて家族共々このスルティナ城にやってきたところを私が一目で気に入って側仕えにしたの、可愛いから。
そのシャールは二十三歳らしいけど何の問題もないわ、可愛いから。
「はい、アルテミス様」
シャールは可愛い声で返事をするといそいそと私の着替えを準備し始めた。
トテトテと可愛らしい足音を立てて仕事をしているシャールは、私の館にいる時は常に裸よ、可愛いから当然でしょ。
「「ご機嫌麗しゅうございますアルテミス様」」
私が館から優雅に降臨すると朝から仕事をしている下僕たちが膝をつき手をかざし挨拶をしてきた、最初はみな戸惑っている風だったけど慣れたようでなにより。
「えぇ、私は麗しいわ」
言葉の意味が変わってしまった――会話はやはり難しいからしかたないわ。
なんだか居心地の悪い気分になってしまった、さすがにこの程度の無礼で斬ったりしちゃうほど狭量ではないけど不愉快だわ。
一人で気分転換をしてこようかしら。
「少し散歩に出かけてくるわ、あなた達はその間食事をしてはダメ」
そう傅く下僕に言付けると私はその場を飛び立った。
えぇ、私、飛べるようになったの。
ミルールが神様とか言っちゃって疑わないから、神様って何ができるものなのだろう、なんて馬鹿な事を寝る前の五分くらい毎日真剣に考えちゃってコツが掴めて本当に飛べたわ。
カルマって種族や人格で特性に個人差があるらしいけど神様だからなんでも出来るのかしら。
空の散歩とか神様っぽくてロマンチックでしょ。
そういえば初めて飛べた時「あなた達の様な地上で弱々しく這いずりまわるしかない哀れな生き物を私が、このアルテミス・ヘラ・アフロディーテが手を差し伸べて救い上げてあげる」そうミルールに優しく言ってあげたの。
涙を流して喜んでいたわ。
リカールの方は私と眼を合わせようとしないけど咎めないわ、綺麗なお姉さんに裸を見られたのが照れくさいのでしょうね。
私は下僕にも備わっているであろう感情の機微すら汲み取ってあげれる優しい女神なんだから。
空から見下ろすこの世界はとても広く見えるわ、島国である日本に住んでいたからなのかしら、地平線の向こうまで広がる手付かずの原野、農耕が発達していないのは魔獣が出るからでしょうね、なんで根絶やしにしないのかしら?
南側には海も見えるけど船は一艘も見えないわ、私の為に海の幸を用意しないのかしら、気がきかない下僕たちよね。
「あれ? そこに見えるのは何なのかしら」
ポツポツと点在する五メートル前後の塀に囲まれた街はチラホラ眼にしていたのだけれど今日は少し遠くまで飛んでいたので知らない街を発見した。
その街は今まで目にしていたものとは比べ物にならないくらい大きい、東京ドーム……いえ、何個分とかで例えてもわかりにくいわね、上から見ると四角く塀で囲われた羽田空港四個分……結局個数で表現してしまったわ。
まぁそのくらいの広さに街がすっぽり治まり――あら、農地も塀の中にあるのね、まぁ田畑なんかに興味はないからいいけど……街の建物は五階建てくらいかしら、空から見ても赤い屋根がとても綺麗。
人も沢山いるのが見えるわ、この世界は田舎しかないと思い込んでいたけどそれなりの街もある、安心した、今度からはここに買い物にくればいいわね。
それに――街の真ん中にある建物、白を基調とした外観で屋根や柱、門や塀に至るまで細やかな装飾に彩られ、まさに宮殿だわ。
「おっ……お前は何者だ!」
「何処から現れた!」
「貴様等! 何処を見て警備をしていた!」
なんだか周りが騒がしいと思ったら宮殿を見に地上に降り立ってしまっていたわ。
周囲を見回すと赤を基調として白の模様が入った鎧を着込んだ小柄の兵士が七名、私にとってはお馴染みのリリーガ王国の兵士ね。
各々が剣を抜き、切先を私に向けている、理由は知らないけど気分が悪いわ。
――誰に対してでも人に刃物を向けるってどういうことなのかわかっているのでしょうね。
『ピー』笛を鳴らしている、仲間を呼んでいるのでしょうね。
「黒髪の女! コイツがスルティナ城に巣食っていると噂の悪魔か!」
「射殺すような三白眼! 間違いない!」
「きっ! 貴様等臆するな!」
「そうだ! 俺たちが引けば城下の妻子も皆殺しにされるぞ!」
人違いをしているにしても酷い侮辱だわ。
集団の指揮をしているらしき男の首を横殴りの一振りで跳ね飛ばした。
不始末は責任者の監督不行き届きよ。
「うわぁ……あの悪魔が、消えたと思ったら、隊長が……」
「や……やつら悪魔に魂を売り渡してもこのポッシビルを奪還するつもりだ……」
「瞬間移動の妖術を使うぞ! 気を抜くな!」
責任者がいなくなっても態度を改めない。
教育って大切よね、駄目な知識を詰め込まれているから心が曇って何も見えていないの。
もういいわ。
私は周りに誰もいなくなった宮殿の入り口へ堂々と歩を進め
「お邪魔します」
丁寧に断りを入れてから玄関らしき立派なドアから中に入った。
内部の壁面に女神とその周りを無数に飛ぶ羽の這えた妖精の彫刻が刻んである。
とても綺麗な装飾だわ。
私はここの宮殿に住む主人ととても仲良くなれる気がする、趣味が合いそうなの。
一つ一つ部屋を見て家主の方を探しているのだけど一階には誰もいないみたい。
でも其々の個室でさえとても綺麗、装飾品も素晴らしく見て回るだけでも心が躍るわ。
「総督閣下! ここは我々が!」
「既に進駐部隊各位へ伝令を飛ばし、まもなく集結する手筈です」
吹き抜けを螺旋状に伸びる階段がある、声が上の方から聞こえるので人がいないわけではなさそう。
私の挨拶が聞こえなかったのかしら?
「ごめんくださ~い、私はアルテミス・ヘラ・アフロディーテという女神です~返事が無かったので勝手に見学させてもらってま~す」
吹き抜けを上に向かって大きめな声で噛まずに伝えることができた、こっちの世界に来て私の社交性は抜群に上がっているのよ。
「……」
物音はするのに返事も返ってこないわ、おかしいわね。
それに……聞こえないとでも思っているのかしら、小声で囁き会っているのが漏れている。
――不愉快だわ。
私は吹き抜けを最上階まで飛んだ。
「くっ! 悪魔め!」
「総督閣下! あなただけでもこの場を切り抜けてください!」
「命に代えてもここは通さん」
最上階のエントランスに着地してみると二〇名近く兵士がいた、その奥には白くて沢山の刺繍が入った高級だと一目でわかる服を着た銀髪の小男が非常口かと思われる狭い通路から逃げ出そうとしている。
おかしいわね……よくよく考えてみればなんでリリーガ王国の兵士がこんなに沢山いるのかしら?
みんな手に剣や槍を持って私に対して善からぬ思いを抱いている顔つきをしているわ。
私は人の悪意に敏感なのよ、繊細なのよ。
「あっ……」
私はやっと気づいた、私ってばなんてお人好しなんでしょう。
これは私を誘い込んで騙まし討ちにする罠だったのよ。
乙女の純粋な心を踏みにじる酷い連中よ……
許せないわ……




