2話 撃剣使いと少女
城壁とおぼしき壁を、一定以上の距離を保ったまま身を隠しつつ裏手側に迂回。
そのまま遠くに見える川を目指しあぜ道を歩き始めた。
壁の向こう側に広がる景色も反対側と似たようなものだった。
申し訳程度の農地があり、その合間に、きったねぇ小屋がポツポツと申し訳程度に建っている。
道は舗装など施されているはずもなく、草が鬱蒼と生い茂りまさに『ド田舎』だ。
辺りに人影は見当らない。
城壁には、当然城門もあるのだが、この地域は先ほどの襲撃といい、無法地帯なのかも知れないことから、用心に越した事は無い。
「この地域から一秒でも早く脱出しないとな……」
住民と言語は通じるようだが、言語が通じるのとコミュニケーションが取れるかは別問題、もう襲い掛かられるのは勘弁だ。
状況を確認するのは別の集落を見つけてからで十分だろう。
早くこの地域を離脱したい、自然と歩みが速くなる。
城壁から遠ざかるように歩いているとなにやら。
「……」
と、あぜ道沿いにポツンと建っている小屋から人の声が耳を掠める。
ゴソゴソと物音も聞こえる。
さて、ここは思案の為所だ……ゴクリと唾を飲み込み、俺は疲れきった脳みそに渇を入れ、身の振り方を考える。
先ほどの件もある、油断はできないが、先ほど襲撃してきた三人組は、この地域の不良グループか何かで、それとは対照的に、他の村人は温厚で朴訥な人達かもしれない。
実際その可能性はあるだろう、ないとは言い切れない、むしろあの三人組がデフォルトな地域なんか近代社会では成立しえないだろう……そうだ、ありえない。
うん、やっとポジティブな思考を取り戻せてきたぞ。
そうだよ、それに現在地のわからない俺には最寄の駅などを探す術はない、誰かしらにコミュニケーションを取らない事には現状を打破できない。
ボチボチ小腹も空いてきている、学校の昼休憩に惣菜パンを食べて以来何も口にしていない、水分補給しないと喉も渇いてきている。
よしよし、先ほどの失敗は水に流してアクションを起こしてみよう。
気を取り直して俺は小屋に向かって歩き出した。
小屋の入り口近くまで近寄ると小屋の中の声がある程度聞こえるようになってきた、ハァハァと荒い息遣いが聞こえる、そんなに大人数ではないようだ、入り口直前で中の声に耳を欹ててみる。
「チェアー! 言う通りにしないか! 役立たずが!」
「すみません……」
男の怒声と子供が謝る声が聞こえる……
「……!」
乾いた炸裂音と子供の命乞いにも似た悲鳴が壁の向こうから漏れてくる。
……聞くんじゃなかった。
ますます帰るべき日常が遠のいた気がする……最悪の気分だ、この小屋の中にいる人物からの情報は何一つ欲しくない。
そっと小屋から離れようとした時、ふと視界の端に小屋に付属するかのように存在する井戸が俺の瞳に映りこんだ。
このクソ地域では当然のことだが公園など見なかった、もちろん自動販売機などはあるはずもない……何やら中の人達は所要で忙しそうなので、なので……
こっそり井戸で水を飲んでいる奴がいたとしても気づくはずがないのではないか?
俺は可能な限りの忍足で井戸に近寄ると、井戸の蓋をそっとそ~と、たっぷり三〇秒はかけて蓋を空けた、底は結構深いのか水面はよく見えない。
外にある水源の水を口に含むのに若干の嫌悪感は俺にもある。だがしかし、農業用水であろうドブ川の水と一応沸き水である井戸の水を比べたとしたら満場一致で井戸の水を誰もが選ぶのではないだろうか?
俺としてもそちらの選択を支持したい。
「あっ!」とか「うっ!」とか流れてくるDV風に着色された紫色のBGMを背に俺は水汲み桶をソロソロと水面に落とし、その倍の時間をかけてゆっくりと引き上げた。
恐る恐る水汲み桶の中を見ると見た目は透き通って綺麗な水のようだ、俺は賭けに勝った! ざまぁみろ!
ものはついでなので近くにあった水筒らしき木をくり貫いた容器に水を汲んでおこうと容器に手を伸ばしたその時、井戸の縁に引っ掛けていた水汲み桶が弾みで井戸の中に吸い込まれていった……
「あぁああっ!」
カン! ガッ! ガッ! ガッ! ザッパーン! と激烈な爆音を響かせながら水汲み桶が落ちてしまった。
「誰だ!」
爆音に負けないほどの怒声が小屋から響き渡る、誤魔化しは効きそうにもない。欲を出さずに水だけさっさと飲んで撤収すればよかった。
「あ、すみません~水を少しばかりいただきました~」「それでは失礼しま~す……」
もう話をする気にもならない俺はそう言うが早いか一目散に逃走し……しようとしたが間髪入れず「入って来い! 」とさっきよりもさらに大きな怒声で入室を促されてしまった。
なんと表現すべきか……命令することに慣れていそうなやつの声ってなんでこう拒否しにくいのだろうね。
ひょっとしたら、いや、万が一、小屋の中にいる人物がフレンドリーな性格である可能性にかけて、俺は可能な限り失礼のないよう両手で恐る恐る戸を開けて小屋の中に一歩足を踏み得れた、そして後悔した。
「入って来い……じゃねぇよ……」
無意識に言葉が口から零れた、藁を敷いた簡易ベッド的な何かの上で二十代くらいだろうか、金髪で赤ら顔の大柄な男が痣だらけの小柄な女の子に背後から覆いかぶさっていた。
よく見れば小柄な、というか明らかに子供だ。
十歳前後の女の子が首輪を付けられて鎖で繋がれている、全裸で。
大男の青い目が大きく見開かれていく。
入ってきていいわけねぇだろこんなの……TPOを弁えろよ……首筋がぞわぞわする。
嫌悪感がヤバイ! 吐き気を無理やり我慢して飲み込んだ、喉の辺りに焼けるような痛みが広がる。
「貴様! 黒髪!」
大柄男は飛び起きると近くにあったナタを拾い上げる、俺はその瞬間小屋の外に飛び出すと、俺を追うように躍り出てきた大男に竹刀を向けた。
胸にある感情は恐怖ではない、大男の真っ赤になった顔がただ気持ち悪い。
親父、人間は第一印象が十割って確信が持てることもあるんだな……
吐き気を抑えつつ竹刀を持つ手に僅かばかりの力をこめる。
構えは上段、振り抜く決意は出来ている。
だいたい俺が黒髪で何が悪いのだ。
大柄男はナタを握りなおし唾を吐き捨て体の重心を沈み込ませた。
白く光るタンポポの綿毛に似た何かが男の体からフワフワと湧き出ている。
大柄男は押さえつけたバネが反発するかのように伸び上がると、ナタを振り被りながら飛び掛ってきた。
ナタが背中に付かんばかりに腕を大きく振りかぶって接近してくる。
なんというか、隙だらけだ、俺は冷静に竹刀をその大男の額に最速で振りっ――
抜けない! 速い!
明らかに大振り。
お粗末で雑なその挙動が人間業とは思えない速度によって凶悪な一撃と化した。
俺は迎撃を中断する。
体を捻りながら左斜め後ろへ飛ぶ。
振り下ろされるナタを竹刀で威力を逃がしながら受流し。
竹刀が破壊されないように交わしきった……はずだが竹刀の一部は削れ、ささくれがピヨンピヨンと跳ねている。
あんなのを体に受けたら間違いなく致命傷だが……
あゆむと自然体で接することに比べれば恐怖に体が強張る事はない。
金髪の大柄男は「ちっ」と舌打ちする。
子供が金魚掬いでボイが破れた程度の態度。
自分が傷つくことなど微塵も考えちゃいない。
俺がチビだからか……一方的に蹂躙できるって思ってんだろうな。
殺意が沸いてきた。
大男は振り返りながら振り落ろしたナタを持ち上げる。
害虫か何かを見るような眼で俺を見据える。
全てがムカツク……
そして当たり前のように飛び掛りながらナタを振り下ろした。
確かに速い。
しかし何の工夫も無く同じような大振り。
軌道も速度も全て解っている。
俺は竹刀を上段に構え、飛び込んでくる男の間合いに飛び込む。
竹刀を握る手に『グッ』と力が篭る。
恐怖で身が竦む奴は体が何も覚えていない奴だ。
こんなやつ運動神経がいいだけの素人だ。
体の細胞に刻まれた記憶が大男のナタを避け
懐に飛び込む――
そのまま裂ぱくの気合を込め振り抜いた。
『ゴバシャアアアアアアアアアアアアアアアァンンン!』
と、バットでブロック塀を砕いたかのような音と、ハリセンの軽い音が入り混じった凄まじい衝撃音が響く。
大柄男は金髪を赤く染め直し崩れるように倒れた。
力任せに打ち込んだ。
フルスイングだ。
竹刀は半分から先はへし折れた挙句に砕け散り、裂けた竹の残骸で刀の真ん中から先はパンクロッカーのヘアスタイルのようになっていた。
大柄男は頭から激しく血を流しピクリとも動かない。
殺してしまったかもしれないと考えると鳥肌が立ってきた。
竹刀は壊れてしまった、武器はないのだろうか?
辺りを見回し武器になる物を探す、手ぶらでお散歩にはここの治安は悪すぎる。
武器を求めて小屋の中に入ると女の子は服を着て座っていた。
俺が死闘を繰り広げている間に着替えていたのだろうか? イメージしてみると結構シュールなシチュエーションだな。
だが少女は首輪は繋がれたままだ、嫌な気分だ、変態との違いを見せるため紳士的な態度を意識して首輪を外してやった。
「あっ……」
とだけ言うと少女は少しだけ俺から離れるように後ずさり、こちらへ怯えた目を向けた。
「ありがとう」も無しかよこのガキ。
少女が服を着ていることで安心して彼女を眺めてみる。
髪は緑、だが汚れているのだろう茶色がかっていて非常に汚らしい、艶消しスプレーでもかかっているかのようだ。
その顔はやたら丸顔……腫れているのか……この空間で大男と少女の間に何が起こっていたのかは考えないようにする。
腫れた瞼の下には緑色の瞳が潤んでいる。
「さっさと消えろガキ」
少女から目線を外し俺は血を流して倒れている大男からナタを回収、小屋に脱ぎ捨ててあった男の私物から脇差……ではないな、刃渡り50センチほどの短刀を見つけた。
両刃で使いにくそうだが大男が気付いて追いかけてきた場合に備えて没収しておこう。
食い物も探したが見つからなかった、だが水筒に満タンの水、壊れた竹刀の変わりに短刀もある……刀物なんか使う時がくれば間違い無く殺し合いだろう、本当に勘弁してほしい。
この数時間で超常現象と殺し合い2連発だ。
つい先ほどまで幼馴染のおっぱいを触ったりしてはしゃいでいたのに、今は自分の身を守るためとはいえ、命のやり取りをしている。
軽い現実逃避で頭を軽く振ると、少女のこちらを伺うような視線に気づく。
怯えきった瞳で真っ直ぐ俺を射抜いている、そこまで恐れられると相手がどんなに子供でも腹が立つ、なにより俺をその眼で見るな……あれ?
そもそも先ほどから少女は俺のことなんか見ていなかったのだ、俺の勘違いだったらしい。
背後に位置していた城壁からガラガラガラと鳴り響く音に気付き、目を凝らすと城門が開き十人ほどの男が中から出てきている。
手には各々武器をもっている、先ほど襲ってきた三人組のうちの二人もその集団に伺えた。
仲間を呼びに砦らしきものに戻ったのだろう……ターゲットは俺である可能性が濃厚だ。
あんな大人数を相手にできるわけがない、実際の戦闘は今日が初体験だがそんな経験不足な俺でもあんな人数に囲まれたら終わりなのは承知している。
時代劇でもあるまいし、人間相手に『ちぎっては投げ、ちぎっては投げ』的な立ち回りが出来るわけ無い。
本当に最悪の日だ! ちくしょう!
俺はナタをベルトに通し短刀を持ったまま鬱蒼と茂る草原に紛れるように身を隠した。
気付かれなければそれが一番都合がよい、やつらが焦れてバラバラに捜索し始めたら一人ずつ対処できる。
見つからなければそのまま引き上げてくれるかもしれない。
ここで借りに逃げ切っても俺には行く当ても無いが、どこに行き着いてもここよりはマシだろう。
それにあゆむを探し出さなければならないのだ。
助け出す、とは言わない。
ただ合流しようとは思う。
あれだけ強い女だ、アッサリ死ぬとは思えない。
この窮地を乗り越えて、あゆむに守ってもらおう……
うん、それがいい……