18話 撃剣使い
気づけば赤い太陽は地平線とランデブーしようとしていた。
横殴りの赤い光を浴びつつ俺はなんとか起き上がろうと足掻くが、全身がストライキを決行中で言うことを聞かない。
労働条件が悪すぎたらしい。
経営責任だ。
「あー……っ、あー……っ」
どうやら声はまだ出せるようだ。
安心した。
発声の確認をしたのは冗談抜きで俺はもう死んでいて自縛霊になっているんじゃないかと心配になったからだ。
まだ生きていた。
「ルタローーーーーーール!」
大声で俺の前に横たわっている俺が殺した、死んだ男の名を連呼するヤグダスの叫びは聞こえるが、本人はこちらには向かってこない。
俺が怖いのだろう、一目で俺の状態はわかるはずだが、それでも俺が怖いのだ。
俺は半笑いを浮かべながら冷ややかな視線で、叫び続けるヤグダスを眺める。
大柄で家柄もよく自分の部下を気にかける優しい奴、視点を変えればそう見る事もできるだろう。
だが、強い奴、強そうな奴に優しい奴が、俺みたいなチビで育ちの悪い奴に優しかった事はない。
仮にも他人の命を狙って追い掛け回していた人間が真っ先に考えることが『僕を守って』かよ、見ているだけでますます腹が立ってきた。
「ヨモギイイイイイイイイイイ!」
「そいつを! 叩き斬れええええええええ!」
俺は唯一まともに動く声帯を使ってヨモギに叫ぶ。
本当に叫べているかはわからない、喉の感触は血の吐きすぎだろうかジビレていて感覚が鈍い。
ヤグダスは鼻の穴を広げて俺を睨んでいるが虚勢だと分かりきっている。
死ぬまでルタロールを呼んでいればいい。
ヨモギは俺の方へ振り向き、首を左右に振っている。
そしていつもの怯えた、あの表情だ。
我慢できない、イライラする。
「いいからさっさとやれえええええ! がはっ!」
ゴボっと喉から血の塊が吐き出る。
「短い間だがお前だって、剣を、振ってきただろうが!」
視界が揺れる、最初にしなければならないことは止血で間違いないだろう、肩の出血は服を張り付かせ、ボディラインをクッキリと浮かび上がってる。
需要も無いのに。
そいつみたいなのに今までどんな目に合わされていたかお前は覚えてんだろ! 俺は聞かなかったから知らないけどよ。
下らない恋愛相談や進路相談なら答えなんか無くたっていくらでも聞いてやれるけどよ、虐げられていた記憶なんかそいつをぶっ飛ばさなきゃ消えないんだよ。
だからお前もさっさとソイツを斬れよ、一歩踏み出して踏み潰さなければその震えはとまんねぇんだよ!
「無理ぃ……タイサ……無理ですううううううう!」
視界が霞んでよく見えないがヨモギは俺へ首を振っているらしい、その横でヤグダスらしき大柄の男はウロウロキョロキョロ落ち着きなく周回運動をしている。
あちらは刃物を突きつける少女と百八十センチを越える五体満足の大男、こっちは死体になった男と血塗れで女の子座りをしたまま動けない自称百六十三センチの口だけの男。
こいつら危険の優先順位もわからんのかよ。
「無理じゃねえええっ! 無理じゃなかったんだよ……」
「だって!、わたし、無理いいいい!」
「お前だって、ずっと剣を振ってきただろ、お前の中に、だって、積みあがってるものがあるはずなんだよ!」
「だってじゃない……無理じゃないんだ!」
視界が揺れて急に暗くなった。
あ、地面に顔を打ち付けたようだ、土の匂いがする、鼻の穴に草が入り込んだがクシャミも出やしねぇ。
あぁ、クソッ、これは出来そこないの女豹のポーズだな。
「できる、お前だって、できるはずなんだ!」
俺は全身の力を振り絞り、寝返りを打った。
仰向けになれた俺はゼェゼェヒューヒューと大げさに騒ぎ立てる息を飲み込み続ける。
止血しないとヤバイのに何をしているのだろう。
「俺はな……おまえのっ」
「怯えた眼がだいっ嫌いだった! イラついて、イラついて、しょうがなかった!」
遠くにいるヨモギに届いているか分からないが続ける、何でだろうな。
視界が狭くなっていく。
「お前をな! 助けてくれるのはお前だけなんだ」
「俺もだ、俺を助けてくれたのは、俺の剣だったからな!」
「タイサ、あたしは! ……でも、怖いのぉ!」
でもって何だよ、誰が代わってくれるんだよ。
わかってんだよ怖いってことはな、だけど一歩も進めないうちはやっぱり死んでいるんだ。
お前がお前の意思で前に踏み出さないとダメなんだよ。
それに、俺がいなくなったらお前はどうするんだよ。
俺がいるうちは俺に縋って生きるのか? 媚びて生きていく気なのかよ!
「いいからやれぇ! お前がやるんだ!」
「でも!怖いんです! タイサアアァ!」
不毛な押し問答をしている場合じゃない、叫ぶたびに口から血が過剰在庫をバーゲン処分しやがる。
みんなヨモギのせいだ。
「ヨモギ、俺はもう動かないぞ! お前がやらなきゃ、俺もカリスティルもみんな死んじまうなぁ!」
自信を持って言えるが動かない、ではなく動けないだ、もう景色が暗くなってきた、止血を放棄して何してんだろ。
まぁ最後は丸投げってのも俺らしいか。
「ヨモギィ! もうお前だけだ! お前が決めろぉぉ!」
「俺だってお前と! 似たようなもんだ!お前に出来ないわけねぇんだ!」
もう目の前が真っ暗だ、耳も遠くなっているのか、ジャミングが酷くなっていく、呼吸も怪しくなってきている。
この距離では声も届かないだろう。
「い……やあああああああぁあ!」
「き、きっ! 貴様ぁ! 混ざり者の下郎がぁ!」
遠くなっていく音のさらに遠くの方で世界の変わった音がした。
だが何かが口をつく。
声は出ていないだろう。
だから漏れ出す。
「なぁ、俺は物心ついた時から、そんな頃から」
「ずっとチビだったんだ」
「周りのデカイやつは、いつも、俺を見下し、気分で殴ってきたりとか」
「ま、チビだからな」
「やつらは決まりきったニヤニヤ顔で近づいてきて、安心して殴れるのが俺の存在価値」
「そんなもんだ」
何の感覚もない。
俺はまだ生きているのかだろうか。
死後の世界ってやつだろうか。
まぁいいだろう。
俺はと言うと
笑っちまうことによ
上目使いで涙眼を見せたり……とか、怯えた眼をしたり
笑えるだろ、どういう顔が可哀想に見えるだろうとか
やつらも哀れすぎて見てられなくなるかも? とか
そんな事を考えながら、ただ息をしているだけだった
俺もお前と変わらねぇよ、だからお前の媚びた、怯えた目は大嫌いだった!
多分、俺もそんな風な眼をしてたはずだからよ
ハッ、死んでるのも同然だ
だからよ、お前も、そんな眼をしているうちは……死んでるのも同然なんだ
黒しかない世界で吐き捨てる。
俺は
俺に興味のない親父から、不動産で付き合いのある、おっさんの所へ
連れて行かれ、その中へ、放り込まれた
邪魔な俺を長時間拘束してくれる、ゴミ箱のような感覚だったんだろうな
金持ちの、道楽感覚の、門下生なんか、八人しかいないような
余る金を消費する為だけに存在するような剣道場だった
身を削るように何かが零れる
俺は言われるがまま、竹刀を振った
怒られない為……叱られない為だろうか
ビクビクすると怒鳴られる、弱音を吐くと殴られる
機嫌を損ねないように言われるがまま、竹刀を振り続けた
毎日、毎日振り続けた
小学校に上がっても、相変わらずだった
体の大きな連中は相変わらず、俺に不機嫌、不愉快をぶつけてきた
優しく評判のいい先生は、俺にも優しかったが
優しく見守っているだけだった
道場は毎日俺に厳しかった
だが、強い奴の身勝手なルールや、その場のノリがない分だけ
稽古の厳しさはマシだった
地獄のような世界の中で、道場だけが俺を受け入れてくれ
竹刀だけが、俺を認めてくれている気がしていた
何かがコツコツと積みあがっていく
ヨモギ……お前は俺の言うがままに
剣を振っているだけだろうけど、お前の中にも何かが積み上がっている気がしないか?
俺は俺を助けたぞ
ただ息をしている死体だった俺は
ひたすら見えないものを積み上げて、積み上げて、積み上げていった
学校という弱肉強食の狩場で
中心にいた体の大きな奴は
無抵抗な俺に不機嫌を執拗にぶつけてきた
俺は怯えた顔を打ち砕かれ、縋る顔を踏み砕かれ、命の危険を感じるほど打ちのめされ
最後に恐怖の顔を叩き割られ
仮面を全て割られ剥き出しになった俺の中から、積み上げたものが溢れ出した。
何だろう、この包まれているような感覚
何も感じない体でも分かるほど心地いい。
ひょっとしたら天国への入国許可でも下りたのだろうか。
随分と緩い審査基準だな。
目の前の景色は変わり、俺の体は勝手に動き
真ん中にいた大きな奴は流血に恐怖し
その取り巻きは逃げ惑ったが
そいつらも追い詰め、みんな同じ顔に変わった
血塗れの教室で、真っ赤な鉛筆を握り締めた俺だけが残った
扉の鍵は積み上げた物の中に埋まっていた
優しい先生は俺を悪だと断じた
優しい先生の正義は凶器を持った俺を卑怯者だと断じた
優しい先生の平和は俺の反撃を暴力だと断じた
優しい先生の平等は素手の相手を被害者だと断じた
優しい先生は逃げた取り巻きを刺したことをいじめと断じ
優しい先生は取り巻きを弱者と断じた
正義、平和、平等、弱者とは、支配者にエサを与え続ける方便だと悟った
優しい先生は優しい言葉で包み隠しつつ
優しい先生は、鍵を捨てろ、チビのお前は世界のエサになれと断じた
俺はそれでも鉛筆を握り締めて離さず
血塗れの鉛筆を抱いて眠った
鍵を手放さない俺は世界から排除された
世界から排除された俺は、もうエサになることはなくなった
気持ち悪いだろ
だけどな、ヨモギ
俺が積み重ねていたものは
優しさは与えてくれなかったが
死んでいた俺を助けてくれたんだ
俺を助けたのは俺だ、だから、だから、ヨモギ
お前を助けてくれるのはお前しかいないんだ
俺に媚びているうちは死んだままなんだ
縋るような目で見上げていても、怯えた眼で見上げていても
何も降ってきやしないんだぜ
ムカツクだろ、でも事実なんだ
包まれる心地よさが大きくなる。
天国への階段とかいう奴だろうか。
天国に招待される覚えはないがここまで来て強制送還は無しだぜ。
世界とは、平和とは美辞麗句で固められた支配者の餌場だ
世界のエサだった俺は死に、俺は世界の敵になれた
あゆむの態度は変わらなかったが
他には、俺に話しかけてくる奴も、近づく奴もいなくなった
だけど、いや、だから…だからこそ、ヨモギ…
その剣を振れ
お前の剣は俺の剣だ
お前は俺だ、俺の剣がお前を引き上げてやる
だから目の前のソイツに剣を振りかざせ
目の前の男に、刺して、斬って、ねじ込んで、グチャグチャに掻き回して……
扉に剣を刺し、こじ開けて……こっちの世界に来い……
碌でもない世界だが
今の死んでいる世界よりは
お前に優しくしてくれるはずだ
思考すら停止し始めたようだ
何も考えられないが
心地よい感覚はある
天国ってのは
結構柔らかいもんだな……




