14話 ホーリウォール山脈へ
長かった雨季も終わったらしく雲一つない晴天に恵まれた。
そもそも雨季までこの世界で雲を見たことがなかった。
白い太陽と赤い太陽が出ている時はいつも雲ひとつ無い晴天だ。
俺の世界の常識は殆ど通用しない。
「やっと出発できるわね!」
カリスティルは晴れやかな笑顔を浮かべ、空を見上げている、しかし俺はそんなプランを提示した覚えはない。
いつの間にか勝手にリーダーシップを取り始めたカリスティルに、ガツンと言わなければならないな。
しかし「出発は明日にしよう」とか口にしたら勢い余って刺されてしまうかもしれないので、やめておいた。
「出発は明日にしよう」
思わず口をついた瞬間に恐ろしい殺気が俺を突き刺す、グッ、奴隷に成り下がる寸前で、俺が助けてやったのをもう忘れたのか、こいつはとんだ恩知らずだぜ。
俺が振り返ると、俺に鋭い視線を突き刺すカリスティルと視線が交差する、心臓が跳ね上がる。
「フッ、冗談だよ」
「タイサ、いきましょう」
何事もなかったようにヨモギが俺の腰に手を回しながら押してきた。
すっかりスルースキルを身に付けたヨモギは俺の事をかなり理解してきたようだ、優しい眼差しを形作り俺に微笑みかけてくる。
足がすくんでいたことはバレているだろう。
荷物を抱えキャタピラポッドを預けていた厩舎にたどり着くと、厩舎を管理しているおっさんと、薄茶色の髪をした女が話をしていた。
「ヘイおっさん、うちのベイビーを引き取りに来たんだけど」
陽気なアメリカ人のように厩舎のおっさんに声をかけると、おっさんと女がこちらを振り向いた。
「いた! 黒髪よ!」
薄茶色の女は俺の顔を見るなり顔色を青く変えると叫びながら首に下げた笛を吹き鳴らした。
『ピィーッ!』
辺りに笛の音が響き渡る。
フードを被っていた俺を一発で黒髪だと見抜くそのスキルの正体は不明だ、だが突然の危機がやってきた。
「チェアー! 思った通り黒髪と一緒にいたのね!」
「クローゼットさん……」
薄茶色の髪の女は顎を上げ見下すように吐き捨てヨモギは眉をしかめて両手で顔を覆ったまま呟く、ヨモギには女が何者かわかっているらしい。
しかし今問題にすべきところはそこではない。
明らかに仲間を呼んでいる、ちくしょう!
「なにしてんの!さっさと逃げないと!」
カリスティルの反応は早かった。
素早く荷物をキャラピラポッドの荷台に放り込むとそのまま手綱をひっつかみ、キャタピラポッドを発進させ呆けているヨモギを片手抱きで回収し、城門に向けて爆走を開始した。
ふざけんな、俺を置いて行くんじゃない!
俺はダッシュで追いつき、キャタピラポッドの尾に取り付き荷台によじ登った。
背後では女の鳴らす笛の音が響き渡っている。
「ヨモギ! あいつは誰だ!」
「……です」
振動でドカドカ音を響かせる荷台では声が聞き取れない。
俺は剣を腰に刺すと荷物を荷台に放り込み、方で手綱を取るカリスティルの隣に座っているヨモギににじり寄り。
「あの女は何者だ!」
「あの方はグラミー家の奴隷頭のクローゼットさんです」
あ! 思いだした。
「そうだ、あの女は最初に俺を襲った三人組の一人だ、こんなところまで追ってくるとは執念深いな」
「奴隷だけが追ってくるなんてありえないわ! 単身で出歩く自由なんかないのが奴隷よ!」
門番らしき数人が、騒ぎながらガラガラと城門を閉じ始めていたがカリスティルが駆るキャタピラポッドは閉門前に城壁を飛び出した、さすがおれのキャタピラポッドだ。
褒美に『ゲジ男』という名前を授けよう。
「でかしたぞゲジ男」
「ゲジ男ってあたしの事じゃないよね?」
城門を抜けたゲジ男は俺たちを乗せてホーリフォール山脈に向け街道を驀進する。
ルーキフェア帝国から黒髪討伐命令を拝領したヤグダス・ベラミーは、廃爵の危機に慌て、父が唯一側近として残してくれた百年戦士ルタロールの指導の元、可能な限りの人員を動員し黒髪を追って南下していた。
総勢十八名だが男手はヤグダス、ルタロールを含めても七名で他は女奴隷だった、黒髪により男手七名を失った寂れた農村であるベラミー領において目一杯の手勢である。
黒髪の男に当主ヤグディヌ・ベラミー準男爵を討たれるのを城壁から目撃していたのも、そして城門を閉じ帝都に指示を仰いだのもヤグダスだ。
ヤグダスは当主の嫡男としてベラミー領を客観的に見ていた。
前回の大会戦で男手を多数失っていたベラミー領はこれ以上損失を出すわけにはいかない、そう判断し黒髪へ追っ手を出さなかったのだ。
しかし帝国から意図せぬ討伐命令を受けてしまった。
領内に残ったのは僅かな女衆と子供のみ。
「ルタロール、黒髪はまだダスタの宿場町に潜伏しているのだろうか、もう国境を越えてしまっているのではないか?」
「その可能性もありますがホーリウォール山脈は屈指の難所です、切り立つ岩肌は剣のように鋭く雨季には街道は濁流へと変わります、雨季に山脈越えは不可能でしょう。まずはダスタ全域を、女衆を使って捜索して、発見出来ぬようでしたら、雨季の終わりを待って街道を捜索しましょう。山脈越えで命を落とした黒髪の死体が見つかることでしょう。」
「そうか、ルタロールが言うのならばその通りなのだろうルタロールよ、最早お前だけが頼りだ」
そう言って肩に手を乗せるヤグダスを見てルタロールは思う。
この方は弱い、力だけではなく心が弱いのだ。
ルタロールもヤグダスの傍らでヤグディヌが討たれる様を見ていた。
その事についてルタロールに思うところはなくヤグダスの側近であるルタロールにとって好ましい結果とさえ言えた。
そして、ルタロールと共に大会戦を戦い抜いた百年戦士ケルン、シュルツの最後も全て見ていたが、その目算において、黒髪は狡猾であるが、ルタロールからすれば脅威でもなんでもなかった。
ケルンとシュルツは、ヤグディヌを守ることに執心するあまり、黒髪の奇襲に対応できず斬られたに過ぎず、ヤグダスの命令があれば、ルタロール単身で討てただろう。
七名全滅という目の前にある結果だけを見て、黒髪を脅威と判断してしまうヤグダスは弱い、優しいのではなく弱いのだ。
だからこそ、自分の手で黒髪を始末しなければならないとルタロールは誓う。
遠くで笛の音が響き渡り、ヤグナスはルタロールの肩から手を下ろし外套を翻し
「笛の音はどこか!」
周囲を見回した丁度その時、幔幕の裂け目から部下のラステイが躍り入り。
「南城門付近を探索していたクローゼットから黒髪目撃の報告です、黒髪とその一味は南門より突破、キャタピラポッドを駆り、ホーリウォール街道を南下とのことです!」
ヤグダスは振り向き叫ぶ。
「ルタロール!」
「ハハッ!」
ルタロールは既に跪きヤグダスの下知を待っていた。
「黒髪を追撃する、編成を速やかに終えよ!」
「黒髪はキャタピラポッドを駆っています故、歩兵は使えませぬ。私と腕利き六騎にて迎撃の下知を賜りたく存じます。」
ヤグダスは首を振る。
「いや、私も皆と共に追撃に向かう! 馬を用意させよ」
ルタロールは暫し逡巡したが首を上げ
「命令賜りました、編成は七騎、先駆けはこのルタロールが賜りますゆえ、ヤグダ……いえ、親方様は後衛を率い采配願います」
「あいわかった、では各自出撃用意!」
上気した血色を隠そうともせず幔幕から飛び出したヤグダスを見送りルタロールは、同じようにヤグヌスを見送ったラステイの肩を掴み、引き寄せると「貴様にヤグダス様を頼む」と告げた。
ゲジ男を駆るカリスティルはヨモギをガッシリ小脇に抱えたまま俺に叩きつけるような口調で聞いてきた。
「どのルートでホーリウォール山脈に入るの!」
「ルートなんか一つも知らねぇよ、お任せコースでよろしく」
「本当に頼りにならないわね!」
カリスティルが言うには、このまま街道を南下していっても、峠に抜けていけるらしい、しかし追っ手がかかっているなら、一本道である街道は逃げることができない。
だが街道を逸れて渓谷沿いの山道なら、狭く険しいので騎兵を使っての追撃はできない、険しい山道を進めば追いつかれる事なく逃げ切れるかもしれない、と選択肢を提示してくれた。
いや~カリスティルは頼りになる、いい買い物をしたなぁ。
ゲジ男の掻き鳴らす爆走音をバックに大きめな声でカリスティルへ尋ねる
「その山道はどのくらい険しいんだ」
「道幅は狭く、崖底は深いけど人が通れないほどではないわ!」
「狭いって……ゲジ男は通れるのか?」
「ゲジ男ってだからなんなのよ!」
そこからかよ!
「このキャタピラポッドのことだよ、なんでわかんねぇんだよ!」
「勝手にに一人で決めといてあたしるわけないでしょ! あんたほんと頭おかしいんじゃない!」
カリスティルのせいで会話が噛み合わない。
「まぁとりあえずゲジ男のことは後回しだ、キャタピラポッドはその山道を通れるのか?」
「とても無理よ、人が一人通るのがギリギリの場所もあるもの」
くっ、これは非情な決断が必要なのか。
「お前は大丈夫なのか?」
「人なら何とか通れるはずよ、私もルーキフェアにその道で入ったんだから!」
やっぱりダメだ!
「街道だな……」
「何で乗り物が基準なの!」
「ゲジ男を今更捨ててはいけない! 名前まで付けたんだ!」
カリスティアは心底ウンザリした顔をして溜息をついた。
なんだよ、心温まる話じゃねぇかよ、魔物だからって捨てていくとかよく考えられるもんだよ、酷い女だな。
ゲジ男との付き合いはお前より長いんだよ。
「わかった、街道を道なりに進むわ! でも敵に追いつかれるのは覚悟してよね!」
「あぁ……わかっている」
俺たちは街道からホーリウォール山脈を越えると決めた。
ふとヨモギが俺の方を見ている視線に気づいた、その表情には先程の狼狽は消え失せ俺に何か言いたそうにしている。
これでハキハキ発言できるようになったらいいんだけどな。
「どうしたヨモギ」
「あの、キャタピ……ゲジ男を……」
ヨモギもゲジ男呼びに乗っかることにしたらしい。
ゲジ男っていい響きだよね?
このお子様にもそんなセンスが備わっているのか、侮れないな。
「あぁ、ゲジ男って言いやすいだろ」
「いえ、そうではなくて」
「ん? なんだ」
「えっと……ゲジ男を預けていた厩舎に料金を支払っていません」
「…………」
ゲジ男は街道を驀進する、追っ手がいるとするなら一刻の猶予も無いだろう、正直に言うとお腹が空いているのだが言い出すのは難しい。
嫌、まだ今後の話をしていない、素早く打ち合わせをして逃亡計画を立てねばならない、干し肉でも齧りながら。
俺は全てを手放さないため街道での逃走を選択した。
(よろしく頼むぜ)
俺はゲジ男の硬い表皮をポンポンと叩いた……




