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手紙

作者: tomo

 昔、昭和の終わりごろ、学校の教室には50人近くの中学生が行儀良くぎゅうぎゅう詰めにされていた。1学年400人、学校全体で1200人。

 cm単位で決められた髪型、同じ黒い服を着た1200人が、月曜の朝の全体朝礼が終わると運動場からそれぞれの教室へと一斉に向かい始めた。

 その日常の中、秋の周囲だけは空間がぽっかり空いていて歩きやすそうだ。一定の距離を取り、誰も秋の方を見ない。秋は1200人の人波に確かに加わりながら、誰に話しかけることもなく一人で歩いていた。

 教室へ戻りホームルームが始まる前にトイレへ行った。今日は修学旅行のグループ分けがメインになる。大事なホームルーム前のトイレは賑わっていた。

 秋は用を済ませると手洗い場を素通りした。もしその混雑の中で手を洗って鏡を覗き込んだら、そこに映るのは赤く腫れ上がった顔。腫れが引けば何もなかったことになる。腫れが引くまでは、見て見ぬふりという、午後には忘れてしまうくらいの努力が必要になる。


 秋のクラスの担任は40歳くらい、他所の学校から今年移って来た。給食や休み時間、笑顔を浮かべて気さくに話す。「この学校は素晴らしい」と言っていた。「のどかで、みんな仲良くて。良い所ですね」。


 始業の鐘がスピーカーから流れ、ホームルームが始まった。壇上の担任が言う。

「良いお知らせです。みなさんは今までの上級生とは違っておとなしく態度の良い学年なので、修学旅行で自由時間が与えられることになりました。みなさんが問題を起こすようなことはないですからね。先生たちも安心です。まあ家出とかね、特殊なことは一部ありますが」

 教師の顔がちらっと秋を向いた、そう感じた秋は体に不自然に力が入って、猫背気味な姿勢がさらにおかしな格好になって気持ち悪くなった。教師は続ける、

「修学旅行で自由行動というのは、みなさんが初めての学年ですね。良かったですね。特別頭が良い必要なんてね、これっぽっちもないんですよ」

 勉強できればいいってもんじゃない、普段からそう力説する教師は、にこにこと笑顔を浮かべて言った。

「たとえば、小学生のときだけ非常に良い成績を取っていたといっても、勉強をしないでいると」

 わずかの間に秋と担任の目がしっかり合った。担任が視線を逸らせた。

「結局ね、人生では努力が大切なんです。頭良いだけじゃね。自分が頭良いと思って調子に乗って、努力しない人はそこでだめになります」

 そしてにこやかな笑顔を浮かべると、教室を見渡して「女の子は愛想があればいいです」と言った。

「このクラスは明るくて良い子が多いから、先生はうれしいです」


 その時間はグループ毎に分かれて、自由行動の行き先や移動手段を決めることになった。

 行き先である京都の地名は秋にとって見覚えのあるものばかりだった。訪れる予定の寺の大体の感じも覚えている。

 友達のいない秋はあるグループに入れてもらった。

 秋をグループに入れてくれた子たちは楽しそうに地図を眺めて話し合っている。 

 京都へ行ける、知らないことばかり、楽しみ、そんな感情を何とか自分も醸し出そうと秋は傲慢な努力をした。

 秋は小学生のとき京都から転校して来た。転校初日、いたずら者の男の子に「余所者」とからかわれたのを真に受け「自分は余所者、この人たちは現地人」と自分の中で分別をしてしまった。それ以来、秋は常に自分を余所者と位置づけていた。

 京都の友達がこっちに来たらいいのにと思った。京都は楽しかった。また友達と遊びたい。帰りたいとは思わなかった。京都には2年しか住んでいない。帰るべき場所じゃない。

 

 たった1回の話し合いでは何も決まらなかった。これから修学旅行までの一ヶ月間、こんな事を繰り返すのだろう。期待に胸膨らませながら。


 部活は引退の時期だった。

 授業が終わり真っ直ぐ家へ帰ると、同い年の従姉妹から手紙が来ていた。もう何年も会っていない。

 文通なんかしたことはない。この前家出したから、母の妹である彼女の母親から手紙を書くよう言われたのかもしれない。



 こんにちわ。元気ですか。私はすっごく元気だよ。


 部活の話、バドミントンがどれほど楽しいか、説明が続く。

 同じ部活の卒業した先輩の話。かっこよくて今もいちばんの憧れ。

 バドミントンの部活動が活発な高校へ行くために、今勉強をがんばっている。

 また会おうね。遊びに来てね!



 便箋2枚に書かれた太い筆圧の大きくてきれいな文字。

 それを見ながら、秋はずっと前に遊びに行ったときのことを思い出した。


 親戚たちが住む所へは、電車に6時間くらい乗って、秋の生まれ故郷の空気の悪い都会へと向かう。

 なぜか、秋は行くたびに体調を崩した。すると祖母が調子の悪いところにお地蔵様のお札を張ってくれて、静かな仏間に寝かされた。秋にとって唯一親戚の家で気が休まる時間だった。


 従姉妹の家は祖母の家からさらに少し遠くにあった。大きな駅できれいな色の小さな電車に乗り換え、大きな川を越え、降りた駅からいっぱい歩いた。


 とても良い所で空気もきれいだった。暑い夏、風が街路樹を揺らしていた。

 静かな住宅街、まったく始めての家へ秋は母に連れられて当たり前のように向かった。

 曇り空の下、彼女は、弟と近所の友達数人と一緒に、自分の家の屋根の上に座って待っていた。


 秋が見上げると、彼らはいっせいに片手を上げた。


 彼女は無表情に、大きな目で秋をじっと見下ろしていた。彼女のまわりで、秋の知らない男の子たちが、秋に向かってにこにこ笑って手を振っていた。


 彼女が秋の家に来たことはない。


「一人っ子なのに偉いなあ」

 彼女のお母さんによく言われた。

「うちの子なんて箸もちゃんと使えなかった。でも後で困るからって、泣いても持たせたのよ。今はちゃんと使えるようになって、良かったわ」

「でもやっぱり一人っ子はだめだわ」

 秋の母が返す。

「一人っ子はどうしても甘やかしちゃうから。わがままになって、だめね」


 一人っ子は甘やかすからだめだと、妹に言われたそうだ。いつか、母に蹴られながらそう聞いた。

 一人っ子という新しい存在に対して、まだ風当たりが厳しくもあった。

「いや、やっぱり秋ちゃんしっかりしてるわ。一人っ子なのに」


 一人っ子なのにしっかりしている秋。自分はぜったいやらないのに、折檻の結果を「良いしつけをしている」と評価した血縁者。友達のいない秋にとっての従姉妹ではあっても友達ではない同い年の子。

 秋は彼女の手紙に返事を書いた。


 部活のこと、春休みに泳いで寒かったこと、小学生のときから続けたけど結局速く泳げるようにならなかったこと。


 あまり書けなかった。

 そして小さく、乱れて読みづらい癖字で「また一緒に遊ぼうね、うちにも遊びに来てね」と締めくくった。



 昨日またお父さんに殴られた。最初は「挨拶しなかった」って言われて、あとから何かヘンなこと言われた。「女のくせに。女がいると会社の雰囲気が悪くなる」とか、「頭良いやつなんて頭悪い人間がいるお陰で一番になれるんだろうが」とか。

 笑うとよけい殴られるから我慢したけど。笑えるよね?

「学校出たら学歴は関係ない」とか。そうなのかな?


 あとで部屋で泣いちゃったんだけど、お母さんが部屋に来て「かわいそうに」って言って抱きついてきた。

 ずっと座って見てただけのくせに。

 挨拶しなかったのをお父さんにちくったのはお母さんなのに。

 前にさ、お父さんが怖くて逃げたとき、それ見て「鬼ごっこ?」って笑いながら言ったんだよ。

 だから抱きつかれたときは気持ち悪かった。


 ずっと殴られてると痛くなくなるよ。なんかね、どうでもよくなる。

 暇だから、お父さんが何か言いながら私を殴ってるのを見てた。お父さん笑ってた。

「女だからこの程度にしてやってるんだありがたく思え」って言ってた。男だったらもっと違うのかな?


 夜寝られない。小学校の図工の時間にもらった工作用の小刀を枕もとに置いて、一晩中起きてる。学校で寝てる。


 一人っ子は嫌だなあ。子ども一人で大人二人相手だもん。勝てないよ。

 私も兄弟が欲しかったなあ。そしたら二人で戦えたのに。二人じゃ負けちゃうかな?兄弟三人くらいいたら良かったなあ。

 でも兄弟がいたら、お父さんにもっと殴られちゃったかな?男だから。それはかわいそうだなあ。


 修学旅行は京都へ行くよ。すごい楽しみ。帰ったらスケッチブックに思い出作りをします。それだけちょっと、苦手かなあ。実は旅行って苦手。お父さんにもお母さんにも言えないけど、引越しって大嫌い。いいなあ、ずっと同じ所にいられて。うらやましいです。

 それじゃあ、元気でね。お返事待ってます。 了

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