No.3 片桐さえこ 著 「紅葉 『紅葉狩』」
これだから、田舎は嫌だと言ったのだ。
見上げれば、紅葉の赤が降るように空を遮っている。ここはとても明るいようでいて、本当に出口の無い、恐い場所だ。ここも、そんな場所になってしまった。女は力無い溜息を、ほぅとひとつついた。
嫌疑をかけられたと聞いた時は、まさかこの様になるとは思わなかった。よくあることと笑っていた。
夫が、田舎に行けと言う時にも、笑っていた様に思う。都から出た事が無いのだから、田舎は嫌だと笑っていた。それでも行く事にしたのは、紅葉の素晴らしさを余りにも魅力的に夫が語るからであった。あの赤を見て我を待てと、彼が微笑んだからだった。
しかし、こうなったということは。とうに、夫はこの世には居まい。
秋が始まり、女も侍女達も、戸隠の染まってゆく紅葉の美しさに眼を奪われていた。鮮やかな錦のような色たち。炭よりも鮮やかと思った。遠くで目にしたことのあるだけの、燃え盛る炎に近いのでは無いかと嬉しくなった。
それが今、女を覆っている。空を女から隠している。もう、ここは。
喉から熱いものがこみ上げ、手を当てて咳き込んだ。手にはべったりと紅葉の色がついている。
胸も全て、同じ色に染まっていた。そしてそれは、徐々に着物を塗らしている。
女が源の遠い姻戚に当たると言われた。その女を妻にしているのだと、夫は罵られた。
私が居なければ、とこうなっても思う。そうすれば、夫は助かったのだろう。私を切り捨てて首を差し出せば。
けれども、彼は微笑んでいた。田舎に行って少し休めと、私を待てと笑っていた。
もう、あの時には、死ぬことを決めていたのかもしれない。
不思議と、痛みを感じることは無かった。これがあの維茂に貫かれたのであれば、違ったかもしれない。
維茂は青くなっているだろう。よもやただの貴族の女に、逃げられるとは思わなかったに違いない。
女は、ひっそりと笑う。
ざまあみろ、と、口汚く罵った。最期なのだから、良いだろう。
あの維茂の事だ。上手く話を作るだろう。逃げたのでは無く成敗したと、首の無い理由は女が鬼女であったからだと、馬鹿げた話を作るだろう。そして、都の連中はそれを信じる。
女は、田舎での暮しで知ってしまった。
都が恐れているような鬼や化け物は、存在していない。否、山には棲んでいる事は在るかもしれない。ただし、都人の思うような、人に害成すものどもは存在しない。
人に害を成すのは、人のみだ。それを隠そうと、都は怪物を作り出す。そして、自ら閉じていく。
女は思う。
ヌエの娘は、どうしたか。赤ん坊を平氏に刺されていた。狂ったのでは無いか。
モリベは女を庇って目を潰された。妻は無事にモリベを探せたか。否、美しい女であるが為に、あの野蛮人どもに蹂躙された可能性が高い。
シキの妹は。頭が良くて、すぐに女が教えた歌を覚えた。
彼等は、彼女等は。そして、この村は。
人のみが、無為に人を殺す。熊は生きる為に、食べる為に狩人を襲う。だが、人は。自らが勝って滅ぼした一族に遠く連なるだけで、その者と関係の無い人を殺した。
いつしか、空が暗くなってきたのか、紅葉の色がさらに濃くなっていた。ふと見ると、女を染めていた紅の色も黒くなってきている。
だから、言ったのだ。田舎は嫌だと。
こんなに澄み切った世を田舎にて知らされてしまうと、この世が惜しくなるのだから。その世界を汚した自身が憎くなるのだから。
自らに突き立てた刃を持つ手が、緩んで離れた。ごめんなさい、と吐息が言葉を紡いでいた。
誰も知らない山の中で、紅葉がそれを聞いている。風が吹いて、女を隠すように葉が舞ってゆく。
終
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能「紅葉狩」より。
本当は鬼女では無く源氏だった、という話もあるようですね。




