No.1 村井紅斗 著 「電話 『留守番遺書』」
別れよう、と美鈴が言った。
俺は無言を押し通したけれど、内心動揺していた。今日だって、昨日だって、美鈴はずっと楽しそうに笑っていたし、手もつないでくれた、なのに。
何で、と聞くと、美鈴はさっきと同じような口調で、他に好きな人が出来た、と答えた。
不意に襲ってくる悲しみと、憎しみと。俺は何も言わず、下を向いて、持っていた空き缶に力を込めた。空き缶が鈍い音を立ててへこむ。
美鈴が立ち上がったような気配がした。重ねていた手が、離れていく。
さよなら、と美鈴が言った。声が少し、震えているように思えた。
俺は最後まで無言のまま、下を向いていた。
それが最後だった。
高井美鈴という彼女がいた。付き合いのなれそめは全然覚えていないけれど、大学で知り合って、大学でどちらからともなく惹かれあって、付き合い始めた。
美鈴は俺とは釣り合わないような上品な品性の持ち主である反面、好奇心旺盛なお嬢様だった。どこにでも行くし、なんでもする。それでも最低限のマナーは守る。俺はそんな美鈴に続いて、彼女を守る騎士のように後ろから付いて行った。
全部過去形で、俺は昨日美鈴に振られ、一人身になったんだけども。
正直なところ、本当に信じられなかった。
どこで、余所見させたんだろうなぁ…。
俺は、自室で、大学にもいかずにそんな物思いに耽っていた。
卓袱台に肘をつき、顎に手をあてて、真剣に考える。もう終わったことだ、と奥のほうの俺が言う。そんな自分を殴り、また考える。
自慢じゃないけど、美鈴が俺以外の男の話をしたのを、俺は聞いたことがなかった。大学の中でもずっと一緒にいたし、外に出ても一緒だった。
余所見する暇なんて、ありゃあしないはずなのだ。
自分が美鈴スペシャリストと自称していたところで、それはあくまで自称であって、現実は違うかもしれない。本当は、美鈴は俺以外の誰かをずっと見ていたのかもしれない。
もう終わったことじゃないか、元気だせよ俺、とさっき鎮圧したはずの俺が復活して叫んだ。思考が、萎えた。
そうだ、もう終わったことだ。今更考えたって、なにも起こらない。美鈴は、もう俺の彼女には、ならない。
固定電話が鳴った。立ち上がり、受話器を取る。
「はいもしもし」
『温海君!?温海君よね!?』
聞いたことのある声だった、誰の声だっただろうか。
「はい、そうですが、あの」
『美鈴がっ、美鈴がぁっ…』
思い出した。美鈴のお母さんの声だ。何度か美鈴の家へ行ったときに聞いたことがある。
おばさんは、泣いていた。
『美鈴が、事故に…』
「…え?」
おばさんは、しゃくり上げながら語った。美鈴が大学に行く途中に事故に会ったこと。美鈴は全身が車にあたって、即死だったこと。
『真っ先に美鈴の携帯を覗いて、温海君にかけたけどっ、繋がらなかったからっ、家電に、かけたっ、ごめんなさいっ…』
俺は鞄の中を探った。携帯が、無い。大学に忘れてきたのか…。
その後りは、よく覚えていない。俺は適当に相槌を打って、電話を切って、大学に向かった。
研究室に、俺の携帯は忘れられていた。
携帯が、光っていた。メールでも着ているんだろうか。
携帯を開く。留守番電話、一件。送り主は、高井美鈴。
すぐに再生ボタンを押す。
『温海君へ。これを聞いている時、私はもう死んでいると思います。昔から知ってた。なんでかって言うと、ほら、昔占い商店街に行ったじゃない。あの時にね、実は予言されたの。死の予言。不吉だけど、スルーできなかった。
昨日温海君と別れたのは、恋人のまま私が死んだら、色々後味が悪いと思ったからです。温海君も、私も。恋人が死んだなんて、トラウマになっちゃうしね。私は温海君が大好きなので、昨日のうちに別れようと前々から計画していました。もしあの予言が外れて、私がまだ生きていたら、昨日のは冗談だよ、ともう一度告白してると思います。
だから、私は君にひとつ嘘をつきました。他に好きな人なんて、出来るわけないよ。私は、温海君しか見ていませんでした。恥ずかしい台詞だけど、四六時中温海君のことを考えてた。
もし、あの予言が外れていたら、大学に来てからこのメッセージは削除するつもりでした。君が携帯を置き忘れたのは偶然じゃないよ。君がトイレに行っている間に、君の鞄から取って、隠しておきました。ごめんなさい。
温海君。私は温海君が大好きでした。この世で一番大好きで、大切な存在でした。ずっとずっと、一緒にいたかった。君も同じことを思っていてくれたのなら、本当にごめんなさい。一緒にいれなくて、悲しませて、ごめんなさい。
言いたいことはもっとたくさんあるけれど、時間がないのでこれくらいにしておきます。
さよなら、温海君。愛してます。』




