NO.9 ジャム 「ひまわり(サンフィッシュの真似)」
とても広い別荘の一室。彼は持ってきた荷物を整理していた。
自分のほかには誰もいないようだ。
一昨日までは、こんなことは予想だにしなかった。突然夜中に電話がかかってきて、うちの別荘に来ないか?と言われたのだ。欝になっていて、医師からも療養しなさい、と言われたこともあって、彼女の誘いを受けたのだ。
整理している最中、突然ドアがノックされた。
「整理は終わった?」
「もう終わるよ。 そういえば、僕以外、誰も来ないのかい?」
「静かな方が落ち着くでしょう。 そんなことより、釣りにいかない?」
「釣り? っていうと、目の前の湖で?」
「そうよ、面白いのが釣れるの」彼女はウインクをした。
「面白いの? ネッシーでも釣れるのかい?」最高のジョークだと思い、彼は微笑んだ。
「ネッシーより、もっと面白いのが釣れるのよ」
「へぇー、それはどんなのだい?」
「これくらいの…」そう言って彼女は、子犬くらいの大きさに、手を広げた。
「大きさは、普通だね」
「でも、顔が面白いのよ」
「顔? ゴジラみたいな感じかい?」
「ライオンみたいな、ひまわりみたいな、やつなの」
「え? そんな魚見たことも、聞いたこともないよ。たてがみでもあるっていうのかい? 君の見間違いだろう」
「本当に見たのよ、本当に。黄色っぽい、たてがみがついていて…」
「わかった。そこまで言うなら、釣ろうじゃないか」
「あの魚は昼間にしか釣れないわ。そして、時々太陽に向かってジャンプするの」
照りつける日差しの中、場違いなピアノの音が響く。曲はフレデリック・ショパンの「子守唄」。ピアノが外にあるため、室内とはまた違った音が聞こえる。
子守唄を弾いて、例の魚を眠らせる気だろうか。それなら、なかなかのセンスの持ち主だ、と彼は思った。
そんな彼を他所に、彼女はピアノを弾きつづける。
「君は釣らないのかい?」彼は聞いた。
「私はピアノを弾いて、魚の警戒心を解いているのよ」彼女は答える。
「まったく君は変わっているね」
彼女は本当に変わっている人間だった。
車に乗って出掛けようとして、エンジンをかけ、ペダルを踏んだが走らない。何回踏んでも同じ。いつも平気なのに、何が原因か調べた結果、アクセルとブレーキを間違えていたこと が判明した。
他にも、人と関わるのが苦手で、ほとんどの他人は自分を傷つけるだけ、と言っていた。 色々とおかしい所もあるが、しかし彼にとっては良い友人だ。
「良い曲だよね。僕はショパンが好きだ」釣れる気配がない湖面をボーっと見ながら彼は言った。
彼が言い終えると同時に、ピアノの音が変わった。曲は「子犬のワルツ」。
「やはり、私はピアノが苦手だわ。全然上手くならない」
「そんなことはない。とても上手いじゃないか」
「こんなのどうでもいいの…」そう言って、鍵盤を強く叩き、彼女は別荘に戻っていった。
釣れそうにないので、彼も切り上げて別荘に戻ろうとすると、竿が動いた。
「かかった!」彼は叫んだ。「けっこう大きい。例の魚かもしれない」
必死に竿を動かす。段々と引きが弱くなってきた。これはチャンスだ、と思い彼は勢いよく竿を引っ張った。
糸の先には彼女が言った通りの魚がかかっていた。首の所にたてがみがついている。本当にライオンやひまわりに似ている。彼は、どっちつかずが気に入らなかったので、太陽に向かってジャンプするという話から、ひまわりを連想し、サンフィッシュと名付けた。
さっそく彼女に見せようと思い、針を外していると、彼女が別荘から出てくるのが横目で見えた。
「釣れたよ、例の魚。太陽に向かってジャンプするという話から、サンフィッシュと名付けたよ。どうだい? 皆にも見せてあげたかったな」彼は振り向かずに言った。
彼女は何も言わず、イスに座ってピアノを弾きはじめた。曲は「別れの曲」。
「これって食べられるのかい?」彼はサンフィッシュを持って、ピアノの方に行き、彼女に聞いた。
「そう、食べられるわ。とっても美味しいのよ」
「じゃあ、君の演奏が終わったら食べよう」
彼はそう言うと、魚をボックスに入れ、湖に戻った。水際に行き、風景を眺める。
徐々に曲も終盤に差し掛かる。
一瞬の停止。
刹那。
爆音。
彼女の手から、硝煙が昇る。
彼は湖面に映る、ひまわりを見た。
(完)




