02 灰猫 著 夏休み 『夏休み』
「315円になります。ありがとうございました」
夏は嫌いな季節だが長期の休みと言うのは嬉しいものだ。家にいてダラダラしていると外にいけだの手伝いをしろだの怒られる事も多々ある。しかし高校生になり、アルバイトをはじめた事により家にいる時間が減ってしまったのでそんなお決まりの小言はグンと減ってきた。もちろん、帰りが遅いだのお金の使い方が荒いだの、もっと別の小言が発生するようになってしまったのだが。
「いらっしゃいませ」
バイト先は快適だ。
家には空調設備だなんてブルジョワな物体は存在しない。ほぼ毎日シフトを入れてしまっているので折角の長期休みが台無しになっているのはわかっているが、家でむなしく汗だく我慢大会を開催するよりは労働で汗水たらすほうがずっとマシだと思えた。6連勤の5日目になって、自分の体の疲労蓄積具合に悩まされ、自分の考えがとても甘いものだったと痛感したが、来月末の預金通帳の数字を想像すればなんとか乗り切る事が出来た。
それにしても。働くとはなんと大変なことか。私の母は専業主婦だ。専門学校か大学かは忘れたが、学業を終えた後にすぐに結婚して主婦となった。
今頃母はアイスでも食べながらドロドロしているのだろう。
家の気温を考えるならば、ダラダラと言うよりもドロドロ、と言う比喩が似合う。暑さでアイスだけでなく脳みそまで溶かされそうなのだ。家でむなしく汗だく我慢大会。全然羨ましくない。でも、働かないで良いというのはとても魅力的だ。毎日夏休みではないか。
秋は漬物の準備をし、冬になったら編み物をし、春が来れば花壇の手入れ。
夏は何をするでもなく家で一人溶けている。
多趣味な母にとっては素晴らしい生活環境。日々趣味に勤しみ優雅に時間を消費していく。毎日したくもない勉強やバイトを強いられる私とは雲泥の差じゃないか。
バイトは勉強よりは好きだが、そもそもお小遣いが足りないから始めたに過ぎない。働かなくて良いならそれに越したことはない。
限りある夏休みを少しでも有意義に過ごすべく、残り日数を指折り数える。
「溶ける、、、、」
夏は好きな季節だが長期の休みと言うのは困りものだ。
どこかに連れて行けという長期休暇にありがちな台詞。どこぞの誰かさんは海外旅行に行ったと言う妬ましい話。
最も娘はアルバイトに勤しみ、家にいる時間が少ないから
今年はそんなお決まりの台詞を聞くことはなさそうだ。
「あー、、、面倒くさ」
そろそろ食事の支度をしなければならない。自分一人ならいっそ食べないという選択もできるのだが娘がアルバイトからもうじき帰ってきてしまう。支度をしておかなければ、こっちは働いてるのに、とまるで仕事に疲れたサラリーマンのような台詞が飛んでくる。専業主婦の身としてはその台詞に弱い。
それにしても。
娘はなんて自由なんだろう。普段は学校へ行き、働きたくなったらアルバイトをする。学業やアルバイトそのものが羨ましいんじゃない。毎日忙しいとぼやきながら、時間を有効に使っている。
誰にだって等しく、時間は有限だけれども、有限の時間が無限に感じる日常にいる私とは大違いだ。無理に何かをせずとも、当たり前のように娘の時間は流れていく。この家の空気のようにドロドロと停滞することはない。進まない時計をじっと見つめて憂うこともないのだろう。
この家は暑い。だから夏は一人で溶けている。一人溶けて、次の夏までの時間を考える。
誰も好まない漬物。着もしないセーター。見向きもされない草花。
娘に言わせれば私は「多趣味」らしいのだが、それらは無限の時間を有限にするためにはじめた行動でしかなく、何年経っても楽しいと思えないこの行為が趣味と言えるのかは私にはわからない。
無限の時間を少しでも費やすべく、秋までの日数を指折り数える。
「ただいま」
「おかえりなさい」
嗚呼、なんて贅沢な休日。
(完)